#シロクマ文芸部 氷の指がほどける朝~短編フィクション小説~
小牧幸助さんのお遊び企画「花びらを」に参加です。
締切は3/25(水)23:59だそうです。よろしくお願いします。
※この物語はフィクションです。
氷の指がほどける朝
花びらを拾い上げたのは、雪が止んだ翌朝だった。
公園の端、誰も足跡をつけていない場所で、
赤い花弁が一枚、凍りついていた。
暗い冬の空の下、それだけが確かに色を持っていた。
彼女。
美沙は、しゃがみこんでそれを指先でつまんだ。
冷たい。
けれど、その冷たさが妙に心地よかった。
指の中で、花弁の氷がかすかに軋む。
それはまるで、ずっと沈黙していた自分の声が、
遠くから軋みながら蘇るようだった。
一年前、彼女は会社を辞めた。
大きな組織の中で、
与えられた椅子と空気に合わせて笑い続けることに、
ある日、急に息ができなくなった。
「私の中の何かが、凍っていく気がした」
そう夫に言っても、うまく伝わらなかった。
雪の中の散歩だけが、心を鎮める時間だった。
世界が音を失い、すべてが白く閉ざされるその瞬間だけ、
凍りついた自分と静かに向き合えた。
その朝、花弁の氷が、太陽のぬくもりで少しずつ溶けていった。
滴が落ちた軌跡を追いながら、美沙はゆっくり息を吸い込んだ。
胸の奥に、かすかな熱が戻ってくる。
「もう一度やり直せるかもしれない」と思えた。
帰り道、手のひらに残った水の跡が光っていた。
それは決して消えない印のように、やわらかく輝いていた。
その日から、美沙はノートを開き、
ずっと書けなかった言葉を書くようになった。
怖がらずに、自分の声で。
花弁はもう跡形もなく消えたが、
水となって、確かに彼女の中を流れている。
世界は、思っているより何度でも溶けて、生まれ変わることができる。
そう信じられるだけの春が、ようやくやってきたのだ。
~ 終 ~

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