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返信が来ない夜に、私は勝手に嫌われたと思っていた

夜の10時を過ぎていました。

テーブルの上のスマートフォンを、私は何度目かわからないくらい手に取ります。

画面を開く。

通知はない。

そっと閉じる。

そしてまた数分後に開く。

やっぱり通知はない。

たったそれだけのことなのに、胸の奥がざわついていました。

「何か失礼なことを書いたかな」
「変なことを言ってしまったかもしれない」
「もしかして嫌われた……?」

相手は何も言っていません。

何も起きていません。

それなのに私の頭の中では、一人会議が始まっていました。

議題はいつも同じです。

『私は嫌われたのではないか』。

そして会議の参加者もいつも同じ。

不安な私。

完璧を求める私。

最悪の未来を想像する私。

その会議は、たいてい深夜まで続くのでした。

今思えば、私は長い間、嫌われないように生きることに、自分の大切なエネルギーのほとんどを使ってきました。

子どもの頃から、人の顔色を見るのが得意だったのです。

機嫌が良い、少し怒っている、今日は疲れている、そんなことを、センサーが働くように自然に感じ取っていました。

周りから見れば「気が利く子」だったのかもしれません。

でも本当は違いました。

私は気が利いたのではなく、ただ嫌われるのが怖かったのです。


クラスの空気を読む。

友達に合わせる。

先生に怒られないようにする。

誰かが不機嫌になると「自分が何か悪いことをしたのではないか」と思う。

今振り返ると、私はずっと安心を探していました。

「大丈夫だよ」
「あなたはここにいていいよ」
という、その言葉を、誰かに求めて、確かめたくて仕方がなかったのだと思います。


大人になって会社員になってからも、その癖は変わりませんでした。

むしろ、年齢を重ねるごとに強くなったように思います。

38年間の会社員生活。

私はずっと事務職として働いていました。

数字を扱う仕事、正確さが求められる仕事、責任のある仕事。

そこでは「まあ、いいか」が通用しません。

1円のズレも許されない、1文字の誤字も許されない世界。

確認して、また確認する。

慎重に進める。

その積み重ねが、私の仕事の質を支えていたのは事実です。

けれど、その慎重さは仕事だけでは終わりませんでした。

私はいつの間にか、自分自身という存在そのものにも、完璧を求めるようになっていたのです。


失敗してはいけない。

迷惑をかけてはいけない。

期待を裏切ってはいけない。

役に立たなければならない。

そうやって自分を追い込み続けていました。

メールを1通送るだけでも大仕事でした。

文章を書いては読み返し、読み返しては修正する。

送信ボタンを押したあとも、「本当にこれで良かっただろうか」「失礼ではなかっただろうか」「冷たい印象にならなかっただろうか」と不安になる。

そして返事が少し遅いだけで、またあの一人会議が始まるのです。

ある日のことです。

上司にメールを送りました。

内容は特別なものではありません。

業務連絡です。

普段なら数時間以内に返事が来ます。

でも、その日は来ませんでした。

夕方になっても、帰宅しても、夜になっても来ない。

私は落ち着かなくなりました。

「何か失礼なことを書いただろうか」
「怒らせてしまったのだろうか」
「評価を下げてしまったかもしれない」

そんなことばかり考えていました。

翌朝、出社して恐る恐る上司の様子を見る。

すると上司はいつも通りでした。

そして開口一番、「ごめん、昨日忙しくてメール見られなかった」と言ったのです。

ただそれだけでした。

私は何度もこういう経験をしているのです。

現実には何も起きていない。

でも頭の中では大事件になっている。

今ならわかります。

私は、事実を見ていたのではなく、自分の頭が作り出した解釈を見ていたのです。

それでも、その癖はなかなか抜けませんでした。

なぜなら私は、どこかでちゃんとしている人でいようとしがみついていたからです。

頼られる人。

迷惑をかけない人。

気が利く人。

しっかりした人。

そんな自分でいようと頑張っていました。

でも本当は苦しかった。

心が、身体が、すっかり疲れていました。


休日の朝。

目覚ましは鳴っていないのに、ふと目が覚める。

なのに身体が動かない。

起き上がれない。

窓の外は晴れているのに、心の中はどんよりとした曇り空でした。

やらなければいけないことはたくさんあります。

掃除、洗濯、買い物。

でも身体が重い。

そして、そんな動けない自分をまた責めるのです。

「もっと頑張らなきゃ」
「みんなやっているのに」
「私は甘えている」

そうやってさらに自分を追い込む。

今思うと、私は本当に疲れていたのです。

仕事に、人間関係に、そして何より「自分自身」に。

一番厳しかったのは他人ではありませんでした。

私自身だったのです。

誰よりも私が私を責めていました。

失敗したら責める、できなければ責める、休んだら責める、落ち込んだら責める。

そんな毎日でした。

だから、返信が来ない夜がこれほどまでに苦しかったんです。

ただ返信を待っていたのではありません。

その沈黙という時間を使って、自分を責める材料を一生懸命に探していたのです。

もしあの頃の私に会えるなら、肩をそっと叩いて言いたいです。

「そんなに頑張らなくていいよ。返信が来ないだけで、自分の価値まで下げなくていいよ。まだ何も起きていないよ」と。

でも、そのことに気づくには、もう少し時間が必要でした。

人生の流れが優しく変わっていく出会いが、まだ先に待っていたのです。

私は長い間、もっと頑張らなければと思いながら生きてきました。

頑張ることは良いこと。

努力は裏切らない。

弱音を吐いてはいけない。

そう信じて疑いませんでした。

でも身体は正直です。

心が気づかないフリをしていても、身体はよく知っていました。

朝起きるのがつらい。

肩が重い。

眠っても疲れが取れない。

何をしていても心から楽しめない。

それでも私は「まだ大丈夫」と言い聞かせていました。

なぜなら、立ち止まることが怖かったからです。


休んだら負ける気がした。

頑張れなくなった自分には価値がない気がした。

今振り返ると、私はずっと誰かに認めてもらおうとしていました。

会社で、家族に、周囲の人に、そして、自分自身にも。

だから返信が来ないだけで苦しくなる。

反応がないだけで不安になる。

それは単なる返信の問題ではなく、私はそこに、自分の存在価値をそっくりそのまま重ねていたのです。

そんな私の人生を変えるきっかけになったのが、ストレングス・ファインダーとの出会いでした。

友人から勧められて、最初はほんの興味本位でした。

自分の強みがわかるらしい、その程度の気持ちです。

でも、届いた結果を見たとき、不思議な感覚になりました。

そこには、私がずっと「自分の欠点だ」「直さなきゃいけない」と思っていたものが、そのまま並んでいたからです。


考えすぎる。

気にしすぎる。

深く悩む。

人の気持ちに影響されやすい。

私はずっと、そういう自分を直さなければならないと思っていました。

もっと強くならなければ、もっと割り切れるようにならなければ、もっと気にしない人にならなければと。

でも、違ったのです。

それは弱さだけではありませんでした。

人の気持ちを繊細に感じ取れること。

深く考えられること。

相手の立場に立って想像できること。

最悪の事態を想定して準備できること。

見方を変えれば、それはすべて私の強み(資質)でもあったのです。

もちろん、その瞬間に魔法のように人生が変わったわけではありません。

38年間かけて染みついた考え方が、一日や二日で変わるはずもありません。

それでも、少しずつ自分を見る目が変わっていきました。

「私はダメな人間ではない。私はこういう特性を持った人なんだ」

そう思えるようになったのです。

それは、長い長い暗いトンネルの先に見えた、小さな、でも温かい光でした。

ストレングス・ファインダーの診断結果をきっかけに私は、38年勤めた会社員生活を終わらせることができました。

38年は、決して短くない時間です。

その年月の中で、私はたくさんのことを学び、経験させていただきました。

そして50代後半になってから、起業という新しい道を選びました。

正直に言えば、不安でたまりませんでした。

会社員時代は、毎月決まった日にお給料が振り込まれます。

やるべき仕事の枠組みもありました。

でも起業は違います。

何をするか、どう進むか、全部自分で決めなければなりません。

自由だけれど、そのぶん不安も同じ大きさでやってきました。

そして気づきます。

会社を辞めて環境を変えても、私の中の一人会議は終わっていなかったのです。

SNSで発信する。

記事を書く。

投稿する。

そして反応を待つ。

スマホを見る。

通知がない。

不安になる。

まるで昔と同じでした。

「この文章で良かったかな」
「誰にも読まれなかったらどうしよう」
「意味のない発信なんじゃないかな」

またあの会議が始まるのです。

やっぱり私は変わっていないのかな、と落ち込むこともありました。

そんなある日、私は自分のカッコ悪い部分、つまり、弱さをそのまま書いた記事を投稿してみたのです。

発信しようとしても手が止まってしまうこと。

考えすぎて動けなくなること。

完璧を求めるあまり苦しくなっていること。

本当は少し、いえ、かなり怖かったです。

こんなことを書いて大丈夫だろうか、プロ失格だと思われるのではないか、弱い人だと思われて誰もついてきてくれないのではないかそう思っていました。

でも、結果は予想とは全く違うものでした。

その記事に、ぽつりとコメントが届いたのです。

『私も同じです』

たったそれだけの言葉でした。

長い文章でも、特別なアドバイスでもありません。

でも、その短い一文の中に、私は言葉にできないほどの大きな温かさを感じていました。

思えば私はずっと、誰かの役に立たなければ価値がないと思っていました。

だから発信するときも、有益なことを書かなきゃ、学びになることを書かなきゃ、読んだ人が劇的に変われるようなことを書かなきゃ。

そうやって自分に高いハードルを課していたのです。

でもそのコメントを読んだとき、ふと気づきました。

もしかしたら人は、いつでも正論や完璧な答えが欲しいわけじゃないのかもしれない。

本当に欲しいのは、自分だけじゃなかったんだという、ホッとするような安心感なのかもしれない、と。

私自身がそうでした。

会社員時代、職場の人間関係で悩んだときも、仕事で失敗したときも、頑張っているのに報われないと感じたときも、私を救ってくれたのは、どこかの誰かが書いた完璧なノウハウではありませんでした。

「私もそうだったよ」
「私も昔、同じことで悩んでいたよ」
と言ってくれる、等身大の人の存在でした。

その言葉がそこにあるだけで、ぎゅっと強張っていた肩の力が、ふわっと抜けることがあります。

自分だけが弱いわけじゃない。

自分だけができないわけじゃない。

自分だけが取り残されて悩んでいるわけじゃない。

そう思えるだけで、人はまた少し、前を向ける足元を取り戻せるのかもしれません。

そして、そのとき初めて気づいたのです。

私はずっと、人の役に立つことばかりを義務のように考えていたけれど、本当の本当は、「人と心でつながりたかった」のだと。

誰かより優れたいわけでも、誰かに勝ちたいわけでもない。

ただ、「わかるよ」と静かに伝え合える関係が欲しかったのです。

考えてみれば、私がストレングス・ファインダーに救われたのも同じ理由でした。

自分だけがおかしい、自分の欠点だと思っていたことが、資質として優しく言語化された瞬間、私は心底ほっとしたのです。

「なんだ、私だけじゃなかったんだ」と。

その安心感が、私の頑なだった自己否定を、少しずつ、少しずつ緩めてくれました。

だから今の私は、昔ほど完璧な発信を目指していません。

もちろん、読んでくださる方のことを想って丁寧には書きます。
心を込めて書きます。

でも、100点満点の非の打ち所がない文章を書こうとは思わなくなりました。

60点でもいい。

70点でもいい。

その代わり、自分の本当の気持ちを書こう。

自分が泥臭く遠回りしたことも、失敗したことも、今でも迷うことさえも、隠さずに書いてみよう。

なぜなら、その私のカッコ悪い経験の中にこそ、今悩んでいる誰かの安心につながる種があるかもしれないから。

あの日のコメントは、私に発信することの本当の意味を教えてくれました。

発信は、誰かをコントロールして変えるためだけにあるのではない。

「あなたは一人じゃないよ」と、そっと手を添えるためにあるのだと。


私は今でも不安になります。

今でも考えすぎるし、今でも返信を待ってソワソワしてしまいます。

38年モノの癖ですから、そう簡単にはゼロにはなりません。

でも、以前よりずっと、そんな自分に「そっかそっか、そうだよね」と優しくなれました。

そして、かつて誰かの言葉に救われたように、今度は私も誰かの心に、小さな、温かい灯りをともせたらと思っています。

まだ、不安になる日もあります。

スマホを何度も見てしまう日もあります。

でも、以前とは決定的に違うところがあります。

それは、「あ、また私の中で一人会議が始まったな」と、客観的に気づけるようになったことです。

会議が始まりそうになったら、私は自分にこう問いかけます。

「それは事実? それとも想像?」

返信が来ないのは「事実」。

嫌われたかもしれないのは「想像」。

反応が少ないのは「事実」。

自分に価値がないというのは「想像」。

この二つを切り離して見られるようになったことは、私にとって本当に大きな変化でした。

私たちは時々、実際に起きている出来事そのものよりも、自分の頭が作り出した「解釈」や「物語」に、自ら苦しめられてしまいます。

相手の沈黙、ちょっとした表情、そっけない言葉。

その余白に、勝手に自分を傷つける悲しい物語を紡いでしまうのです。

でも本当のところは、誰にもわかりません。

相手には相手の事情が必ずあります。

たまたま忙しい日もある。

スマホを見る余裕がない日もある。

体調が悪くて返信を後回しにしているだけかもしれない。

それは、私たち自身だって同じですよね。

だから今、もしこの記事を読みながら「返信が来なくて苦しい」「なんだか空回りしている気がする」と思っている方がいるなら、心を込めて伝えたいです。

まだ、何も決まっていません。

嫌われたとも決まっていないし、あなたに価値がないとも決まっていない。

その苦しい不安は、静かな夜にあなたの頭の中の一人会議が作り出した、ただの幻の物語かもしれません。

だから今日はもう、少しだけスマホを遠くに置いてみませんか。

温かいお茶を淹れて、ゆっくり飲んで。

窓の外の夜空を眺めて、深く、深呼吸をしてみてください。

そして、今日まで一生懸命生きてきた自分自身に、こう言ってあげてほしいのです。

「大丈夫」
「本当によく頑張っているよ」
「まだ物語の途中なんだから」

私は38年という長い時間をかけて、ようやくその言葉を、お守りのように自分にかけられるようになりました。

もし今、「このままでいいのかな」「自分の空回りを止めたいな」そんな気持ちを抱えているなら、まずは今のあなたの「現在地」をそっと知ることから、始めてみませんか。

焦らなくて大丈夫です。

答えを急いで出そうとしなくても、大丈夫ですからね。

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