「ルミちゃん」と「ばあば」~ルミちゃんside
私は、ばあばに育てられた。
気づいたときには、ばあばと私の二人暮らしだった。
どうしてばあばに育てられているのか、いつか聞こうと思っているうちに、なんとなく聞きそびれてしまった。
そんなことが気にならないくらい、ばあばとの暮らしは心地よかった。
ばあばは、いわゆる江戸っ子気質で、「人様の迷惑になることだけはするんじゃないよ。」が口癖だった。
何の取り柄もない私だったけど、ばあばは、私がテストでいい点を取るとすごく喜んでくれた。だから私は、ばあばを喜ばせたくて勉強を頑張った。
難しい大学に合格したら、はあばは涙を流していた。人は、嬉しくても涙が出るんだね。
「大学を卒業したら、ばあばにたくさんご恩返しするからね。」
と言ったら、「何言ってんだい、あたしはルミちゃんの世話にはならないよ。」と泣き笑いしていた。
入学式が終わって、家に帰ったら、ばあばは、居間で眠っていた。
でも、ばあばが二度と目を覚ますことはなかった。
ばあばは、自分の言葉どおりに、誰にも迷惑もかけず、いなくなってしまった。
ばあばは、私が大学を卒業するのに十分なお金を残してくれた。だから、私は、ばあばのためにも勉強を頑張ろうと思った。
大学2年生になったある日、私は急に頑張れなくなった。いくら勉強を頑張っても、喜んでくれる人はいない。ばあばはどこかで私を見ていてくれるはずだと思っても、心が悲鳴を上げていた。
お医者さんは、私に、しばらく大学を休むようにと言った。
お医者さんは、私に、誰かと一緒に暮らす方がいいと言った。一人でいると、病気は悪くなるらしい。それはそのとおりだと思う。
その日は、からりと晴れていて、ぽかぽかと暖かかった。少し気分がよかったので、ちょっと遠出をしてみた。
ある施設の前を通りかかった時、何の気なしに庭をのぞきこんだら、私は、ばあばと目が合った、と思った。よく見れば、彼女はばあばではないと分かったが、私には、ばあばだと思えた。
施設に駆け込み、職員さんに頼み込んで庭に入らせてもらった。
私は、ばあばに駆け寄り、思わずぎゅっと抱きしめた。抱きしめたら、私は彼女がばあばであることを、確信した。
職員さんに、ばあばを引き取って一緒に暮らしたいとお願いした。
職員さんは、普段は怒りっぽいばあばが、初対面の私に抱きしめられても怒らなかったことに驚いていたらしい。
彼女はものすごく年を取っているし、片方の目は見えないし、偏食だし、お風呂が嫌い、呆け始まっていて粗相はするし、癇癪もちだし、それはそれは大変ですよ、と、職員さんに念押しをされた。
面倒な手続きがたくさんあったけど、私は、ばあばと暮らせるなら、そんなことは全然苦にならなかった。そして、まずは1か月間、試してみて、ダメだったら、施設に戻すという約束で、私はばあばと暮らせることになった。
こうして、私とばあばの暮らしがまた始まった。
私は最初から、どんなに大変でも、ばあばを施設に戻すつもりはなかった。
ばあばは、確かにご飯の好き嫌いはあったけど、私が食べやすいように工夫すると、結構食べてくれた。
ばあばはお風呂は嫌いなので、毎日体を拭いてあげた。
ばあばと暮らし始めたら、私は急に、大学に行けるようになった。
帰ってくれば、家にばあばがいる。疲れて眠ってしまうことも多かったが、ばあばがそばにいてくれるのが心地よかった。
寝過ごしてご飯が遅くなっても、ばあばは全然怒らずに待っていてくれた。施設の職員さんは、ばあばが癇癪もちだって言ってたけど、ばあばが私に対して怒ることは、一切なかった。
ばあばは、年のせいか早起きで、私は、ばあばと一緒に早起きして散歩に出かけるのが日課になった。
ゆっくり歩くばあばと一緒に、ゆっくり歩いていると、心がどんどん元気になっていくのが分かった。
ばあばのおかげですっかり元気になった私は、人の二倍の時間をかけて大学を卒業することができた。
ある日、毎朝散歩のときにすれ違って、挨拶を交わしていた彼から結婚を申し込まれた。
私は、ばあばと一緒に住むことを結婚の条件にした。彼は、もちろんそのつもりだし、一緒にばあばの面倒をみてくれるという。
結婚後、彼は、約束を守ってくれた。
新婚旅行は、ばあばが一緒に行けるところを探した。私は、別に今流行りの外国なんか、全然行きたくなかった。彼も、もちろん大賛成してくれた。
ばあばが疲れないように、車を借りて、あまり遠くない場所を選んだ。
着いた旅館は、広くて素敵なお庭があって、まるで外国みたいだった。空気が澄んでいて、思い切り息を吸うと、体全体が生き返る感じがした。
ばあばは、お風呂が嫌いなので、温泉には入らなかったけど、足湯は気に入ったみたいで、お庭をながめながら、ゆっくりくつろいでいるようだった。
みんなで一緒に来ることができてよかった。また一つ、いい思い出ができた。
ほどなく、私に赤ちゃんが生まれた。
赤ちゃんは、とても元気な男の子で、夜中だろうがお構いなしによく泣いた。彼もお世話を手伝ってくれたけど、彼のお仕事の迷惑にならないよう、私はできるだけ頑張ろうと思った。
でも、私も、疲れがたまっていたんだと思う。あるぽかぽかと暖かい日、私は洗濯をしながら、赤ちゃんをお膝に乗せて、一緒にウトウトと眠ってしまった。
彼が帰って来て、「ただいま」という声で目が覚めた。
そうしたら、お庭に面した窓が開いていて、ばあばがいない。しまった。前に一度だけ、ばあばが外に出て行ってしまったことがある。それからは、玄関のカギをしっかり締めて、気を付けていたのに…。ばあばは、口では言わないけれど、私に迷惑をかけていることを気にしている。今日も、私が疲れている様子を見て、私が疲れているのは自分のせいだと思って、出て行ったんだ。
私は、心がつぶれそうだった。私は、ばあばに申し訳なくて、涙が出てきた。彼は、「大丈夫。ばあばが行きそうなところはわかる。僕が探してくるから。」と言ってくれた。
ほどなくして、彼は、ばあばを連れて帰ってきた。「思った通り、施設に行く道の途中にいたよ。」
ばあばは、申し訳なさそうに何か言おうとしたが、私は、それをさえぎって、ばあばを抱きしめて謝った。「こめんなさい。ごめんなさい。」もうそれ以上は何も言えなくて、わんわん泣いてしまった。私があんまり泣いたから、赤ちゃんも一緒にエンエン泣いた。
ばあばが無事でよかった。本当によかった。
それからのばあばは、何か私の役に立とうとしてくれているようだった。いつも赤ちゃんの隣で添い寝してくれて、赤ちゃんが泣くと、よしよしというように、お腹をトントンして、おもちゃであやしてくれた。
そんなに気を使わなくたって、ばあばがいてくれるだけで、私は幸せなのに。でも、ばあばはきっと、自分が私に迷惑をかけていると思って気にしているのだ。ばあばの気が済むなら、それが一番だと思った。
私は、「ばあばが、赤ちゃんを見てくれるから、助かるよ。ありがとう。」と、毎日お礼を言った。
赤ちゃんが三歳の子供になった時、ばあばはもう片方の目も見えなくなった。起き上がることもできなくなった。
私を救ってくれたばあばには、もっともっと長生きしてほしかった。
私たちは、毎日、ばあばを見守った。
その日は、私とばあばが出会った日のように、からりと晴れてぽかぽかと暖かい朝だった。
ばあばは、気分がよさそうな表情をしていた。
私が、ばあばの顔を覗き込んだとき、私は、久しぶりに、本当に久しぶりにばあばの声を聞いた。
「わふ」
ばあばは、小さな声で鳴いた。
私にはそれが、ありがとうと言っているように聞こえた。
ばあばの呼吸が、静かに止まった。
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