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社会が成熟するために~原発問題を考える~

「ヒバクしてるんですか?」
「はい」
「どうしてそこまでできるんですか?」
「ほかにやる人がいないし、それに、知ってしまったから……」
これは、ある講演の後に講師と交わした会話である。彼女の生き様に圧倒され、二の句を継げなかった。

千曲川・信濃川復権の会が主催する市民ジャーナリズム講座の第二回。ジャーナリストの青木美希氏が「報道の現場で何が起きているのか」と題して講演した。彼女は60分間、言葉を選びながら淡々と語った。


「報道の現場で何が起きているのか」

エネルギー研究者の父を持つ青木氏は、新聞社3社で23年間記者を務めた。北海道警察裏金問題や原発問題を取材し、敏腕記者として認められ、菊池寛賞や新聞協会賞などを受賞する。この日の講演では、警察の裏金問題を取材した時のエピソードや、関係者との接触方法、実名証言を得るまでの裏話などを語った。

ところが5年前に記者職を外される。監視の役割を果たすべき報道機関と「原子力ムラ」との癒着の実態を書こうとしたからだ。しかし、新聞に記事を書けなくなっても彼女の記者魂が消えることはなかった。ひとりのジャーナリストとして『なぜ日本は原発をやめられないのか?』を出版し、脱原発文学大賞や貧困ジャーナリズム賞を受賞した。

講演の最後に、廃炉作業が進む福島第1原発や、帰宅困難区域を視察した映像を流した。突然、現場の線量計がけたたましく鳴りだし、緊張が走る。作業員たちは平時であっても被曝しながら仕事をしていると知り、胸が詰まった。

権力に屈せず真実を伝えたいというジャーナリスト魂に感服する1時間だった。現在彼女は、YouTubeチャンネル「あおタイムス」やSNSで情報を発信し、本当のことを伝える活動を続けていている。

残念な科学

質疑応答で水俣病が話題になり、科学の役割について問われた。科学的根拠とは名ばかりで、実際には権力側が良いように使い、御用学者に「問題ない」と言わせているのが実態だと言う。それに対抗するには、地道なデータの収集と国際データとの比較しかなく、海外の論文にあたることも重要との見解を示した。

私憤か義憤か

続く第2部は、主催者である映画プロデューサーの矢間秀次郎氏(85)による「わが文章・編集作法」の講義である。この日の教材は、自身が執筆し、『週刊金曜日』2024年10月25日号に掲載された「論考」(『公益通報者保護法』の改正~問われる市民の底力~)だった。

兵庫県知事騒動で注目をあつめた公益通報者保護法の改正が検討されている。しかし矢間氏は、通報者は己を守る盾として本法を当てにしてはいけない、と注意喚起する。更に自身の体験から、「やるかたない憤慨」は「私憤」レベルではなく「義憤」となるまで通報すべきではない、と諫める。「義憤」とは、私心がなく晴天を突き抜けるような憤りで、故に民衆がついてくるのだと補足した。なるほど。青木氏が体を張って取材し伝える原動力はまさに義憤であり、だからこそ共感を呼ぶのか。SNS等での発信が容易になった現代において、全く示唆に富む指摘であり、内省を促される。

残念な因果

かつて筆者は業界新聞の記者をしていた。国が出す記者発表をそのまま記事にする御用新聞だった。採用時に編集長が言った。「ウチは取材先の気に入ることしか書かないから安泰なの」と。当時、駆け出しながらその言葉に耳を疑った。そして、こういった権力におもねる発想が「原子力ムラ」や「御用記者」を生むのか、と残念な因果に腹落ちした。

では権力に屈することのない報道機関というのは、もはや文春しかないのか。報道の現場で権力への迎合が常態化している。このことを知れば知るほど報道機関に対する信頼が揺らぎ、報道内容の信憑性も薄らいでくる。市民ジャーナリストとして、果たして何ができるのか。

社会が成熟するために

これを書いている間に北海道の泊原発3号機のニュースが飛び込んできた。2027年の夏ごろには再稼働すると言う。今となっては他人事とは思えない。

青木氏は、原発は人々の犠牲のうえに動いている、と言う。そして「私たちが自分自身、そして大切な人たちの命と安全を守るためには、まずは知ること」と、著書で訴えている。彼女の強さや正義感には、憧れや畏敬を覚えるが、誰でもマネのできることではない。しかし原発問題に関心を寄せ続けることならできる。

矢間氏は「論考」の中で、社会の成熟に欠かせないのは、闘い続ける「市民の底力」だとしている。底力を発揮するために市民は何をすべきか。溢れる情報を鵜呑みにしていないか、常に自戒していきたい。



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