56歳の決意⑥ーー姑の“教育しない”問題
姑への違和感は、
私たちの生活空間への“出入り自由”だけでは終わらなかった。
もっと深いところに、
私の中でずっと引っかかる問題があった。
それは——
姑が子どもに“生活の基本”を何ひとつ教えないこと。
靴を揃える。
食べ方の作法。
服を脱ぎ散らかさない。
片付ける習慣。
ものを大切にすること。
どれも、家庭で自然と身につけていくべきものだ。
私は当然の気持ちで、
「生活の基本だけでも、一緒に教えていきたい」
と姑に相談した。
けれど、返ってきたのは思いもしない言葉だった。
「掃除なんて、男の子には無理よ。
女の子じゃあるまいし。
そんなの、やらなくていいの」
掃除だけではない。
しつけ全般に対しても、姑も夫も“やらせる気”がなかった。
夫も、夫の弟(叔父)も、
子どもの頃からしつけをされずに育っている。
だから、父親の立場になっても「しつける」という意識がない。
私が何か注意しようとすると、
子どもは夫や叔父の姿を見て、
「パパだってやってない」
「おじちゃんもしてない」
と真似をする。
そして、夫と姑はそれを止めない。
子どもは、悪い意味で“大人の姿を見て育つ”ということを
痛いほど実感した。
長男と夫は、私の言葉を軽く扱うようになり、
生活の基本が身につかないまま成長していった。
(私が母親でも、この家では私の声だけが届かない)
そう思うほど、
家の中の力関係は明確だった。
いっぽうで次男は、
学校や習い事の中で“正しいもの”に触れ、
自分でルールを身につけていった。
家庭に“教える大人”がいないと、
同じ兄弟でも、こんなにも違いが出てしまう。
このしつけの問題は、
後の「子どもを取り上げられる」出来事へと
つながっていく——。
