ブチ切れた瞬間に見えた、本当のストレスの正体
慣れないパートの仕事を終えて、買い物をして、車に燃料を入れて帰宅する。
その時点で、もう十分に疲れているはずなのに
家に帰れば、やることは山ほど待っている。
夕食の支度。
明日の朝ごはんの用意。
夫のお弁当のおかず作り。
洗濯物の片付け。
仕事道具の整理。
着替え、洗面。
インコのお世話。
事務手続き。
動画編集。
明日の段取り。
ひとつひとつは、日常の中の当たり前のこと。
でも、それが一度に押し寄せてくる。
さらに、その空間には「安心」がない。
一日中、姑が使っていたキッチンとリビング。
帰宅して最初にするのは、換気。
ファブリーズ。
ドアノブも、引き出しも、冷蔵庫も、
素手で触れることに抵抗を感じる。
自分の家なのに、くつろげない。
その時点で、もう限界は近かったのだと思う。
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そして、引き金は一言だった
帰宅を待ち構えていた23歳の息子。
「お母さん、コンビニ乗せてって」
悪気がないことは分かっている。
でも、その一言で、何かが切れた。
しばらく考えたあと、
荷物をブン投げた。
突然のことに、息子は謝り始める。
「ごめん、俺が悪かった」
その姿に、こちらも戸惑う。
怒りの矛先がわからなくなる。
それでも結局、私は息子をコンビニへ乗せていった。
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本当のストレスは、家事ではなかった
帰宅後、息子は少しでも手伝おうとする。
その気持ちは伝わってくる。
でも、違う。
私のストレスは、そこじゃない。
家事の量じゃない。
人なんだ。
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飲み込んできた言葉たち
本当は、胸の中にずっとある言葉がある。
・23歳なら社会人として自立する年齢では?
・教習所の費用は親が出したよね?
・免許が取れなかったのはなぜ?
・「免許はいらない」と言ったのは自分では?
・なぜ親の車を当てにするのか
・生活費はどうするのか
・家にお金を入れる気はあるのか
これらを、毎日、何度も飲み込んでいる。
言うに言えない。
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「特性」と「現実」のはざまで
息子には発達特性がある。
自閉スペクトラム症。
そして、自己愛的な傾向。
そう思えばこそ、強く言えない。
理解しようとしてきた。
受け止めようとしてきた。
でも、その一方で
「どこまで受け入れるべきなのか」
「どこからが甘やかしなのか」
分からなくなる。
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手放せないという感情
夫や姑は、距離を取ることを選んだ。
でも、私はできない。
この子だけは、手放せない。
インコのエロールと同じように、
守りたい存在だから。
だけど
手放さないことが、本当に正しいのかも分からない。
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この出来事が教えてくれたこと
今回、私はブチ切れた。
でもそれは、
「ダメなこと」ではなくて
「限界に気づいた瞬間」だったのかもしれない。
ずっと飲み込んできたもの。
見ないふりをしてきたもの。
感じないようにしてきたもの。
それが、一気に表に出ただけ。
そして
息子は謝った。
少しだけ、こちらの状態を感じ取った。
関係は、止まったままではなかった。
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これから
私は、この子とどう向き合えばいいのか。
まだ答えは出ていない。
でもひとつだけ分かっているのは
自分が壊れる関わり方は、続けられない。
優しさだけでは、どちらも救われない。
だからこれからは
少しずつでもいい。
無理のない形でいい。
「関わり方」を見直していこうと思う。
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これは、誰かのための正解ではなく
私自身のための記録。
同じように悩んでいる誰かに、
少しでも届けばいい。
