嵐の中の船乗り
船乗りは、海を知っていました。
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穏やかな日も、荒れる日も。
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でも、その日の嵐は、違いました。
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空が、黒く沈みました。
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風が、うなりを上げました。
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波が、壁のように立ちました。
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船乗りは、舵を握りました。
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手に、木の感触。
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足に、揺れる甲板。
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顔に、叩きつける雨。
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「来るぞ」
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波が、船を持ち上げました。
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高く、高く。
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そして、落ちました。
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船乗りの体が、浮きました。
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でも、手は、舵を離しませんでした。
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「離すな」
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船乗りは、自分に言いました。
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また波が来ました。
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船が、きしみました。
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帆が、ちぎれそうに揺れました。
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船乗りの心は、恐れていました。
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「このまま、沈むかもしれない」
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でも、
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手は、舵を握っていました。
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「嵐は、止められない」
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船乗りは、そう思いました。
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「でも、舵は、握れる」
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波が、何度も来ました。
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船乗りは、何度も揺れました。
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でも、何度も、舵を握り直しました。
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手が、痛くなり
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腕が、しびれ
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足が、震えました。
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でも、
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離しませんでした。
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どれくらい経ったでしょうか。
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風が、少し弱くなりました。
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波が、少し低くなりました。
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空に、光が差しました。
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船乗りは、まだ舵を握っていました。
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手は、もう動きませんでした。
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でも、握っていました。
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やがて、
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嵐は、去りました。
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海は、また穏やかになりました。
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船乗りは、ゆっくりと、手を離しました。
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手のひらに、舵の跡が残っていました。
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深く。
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船乗りは、その跡を見ました。
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「嵐は、止められなかった」
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「でも、舵は、握れた」
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船乗りは、それから、何度も嵐に遭いました。
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嵐が来たら、
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舵を握る。
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手のひらの跡は、消えませんでした。
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でも、船乗りは、それを見るたびに、
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思い出しました。
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「嵐は、止められない。でも、舵は、握れる」
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海は、今日も、そこにあります。
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穏やかな日も、荒れる日も。
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船乗りは、今日も、舵を握っています。
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静かに。
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(終)
