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宇多田ヒカルの新曲『Mine or Yours』は夫婦別姓を奨励しているのか?何もわかってないアンチがまた叩いてるだけ説


はじめに

私は、Xで「道中ヘルべチカ(@HelveticaMi)」として活動している官能小説家です。最近、宇多田ヒカルの新曲『Mine or Yours』が一部で批判されているのを見て、思うところがあり、Xで一連のスレッドを投稿しました。

今回はこの、また新たな"炎上ムーヴメント"の火種とも思える話題から、宇多田の歌詞が提起する社会問題や、ポップソングが果たすべき役割について、私の考えを改めて整理してみたいと思います。

宇多田ヒカルの歌詞に対する批判と私の受け止め方

今回、2025年5月2日にリリースされた新曲『Mine or Yours』が議論を巻き起こしています。この曲の一節、“令和何年になったらこの国で 夫婦別姓OKされるんだろう”が特に注目されているようです。

Xではこの歌詞について、「直接的な単語が入ってて、詩としてダサい、風情がない」という意見も私は目にしました。

それに対して思い出すのは、過去のヒット曲『Keep Tryin'』(2006年発表)の「国家公務員だなんて夢がないなあ」という一節です。このときにも直接的な言葉を使っていますし、むしろ宇多田ヒカル本人の作風とも感じています。

しかし今回、その歌詞についても掘り起こされ、一部で「職業差別的」と受け止められ、批判する声も目にしました。やれやれ、そうくるか、と正直呆れてしまいます。

その歌詞をよく見てみると、直後に「ダーリンがサラリーマンだって良いじゃん愛があれば」と続いています。特定の職業を貶める意図はないと私は感じますし、むしろ社会的な価値観や個人の選択について語っているように思います。

ただそれらを取り上げて、「前から嫌いでした」という人いることも理解はできます。それで「今回も嫌いです」と言うのは自由です。

一方で、今回の新曲『Mine or Yours』を聴いて、「宇多田ヒカルが嫌いになりました」と言っている人は、果たして正しいのでしょうか。元々、彼女のことを嫌いだったアンチの人たちが、また勝手に叩いているだけなのではないでしょうか。

宇多田ヒカルは、1999年のデビューアルバム『First Love』以来、常に社会的なテーマを音楽に取り入れてきたアーティストです。このアルバムは日本国内だけで800万枚以上を売り上げ、日本で最も売れたアルバムとして今も語り継がれています。

彼女の音楽は、ポップでありながらも深いメッセージ性を持ち、聴く人の心に刺さる一方で、時に議論を呼ぶこともあります。過去の『Keep Tryin'』の一件もそうですが、宇多田の歌詞は単なる批判の対象ではなく、「夢」や「愛」の価値観を問いかけるものだと私は受け止めています。

今回の新曲『Mine or Yours』が投げかける問題

そして今回、2025年5月2日にリリースされた新曲『Mine or Yours』の一件。この曲の一節である、“令和何年になったらこの国で 夫婦別姓OKされるんだろう”については、一部で「夫婦別姓を奨励している」と受け止められているようです。

しかし、私はこの歌詞をよく見てみると、そう一概には言えない部分もあると感じています。なぜなら、同じ曲の中で"自由に慣れれば慣れるほど 不自由だって、どうして誰も 僕らには教えてくれなかったの"とも語られており、自由と不自由の複雑な関係性について考えさせられるからです。

ポップソングは、世相を反映するものでなければなりません。そうでなければ、「誰かの心に刺さる歌」を作ることは難しいでしょう。しかし、誰かの心に刺さるということは、同時に他の誰かを傷つける可能性も孕んでいます。

宇多田自身も、このバランスに苦しみながら、傷つきながらも創作を続けてきたのではないかと私は想像します。だからこそ、私は彼女をずっと推してきました。

たとえば、2016年にリリースされたアルバム『Fantôme』は、母の死や第二の結婚、子どもの誕生といった個人的な経験を基にした作品で、世界中で100万枚以上を売り上げました。このアルバムは多くの人々に共感を与えた一方で、強い感情を呼び起こすことで賛否両論を巻き起こしました。

さらに遡れば、宇多田が2004年にリリースした『誰かの願いが叶うころ』の歌詞には"誰かの願いが叶うころ あの子が泣いてるよ"という一節がありますが、まさにその通りで、誰かを感動させる歌詞は、同時に誰かを傷つけることもあるのです。それを承知の上で、宇多田は音楽を作り続けているのだと思います。

夫婦別姓問題:単純な賛否を超えた問い

『Mine or Yours』の歌詞が触れている「夫婦別姓」問題について、少し深く考えてみたいと思います。日本では、1898年に制定された民法のもと、夫婦は同じ姓を持つことが義務付けられており、これは現在、世界で唯一の制度です。

この法律に対し、国連の女性差別撤廃委員会は繰り返し是正を求めており、1996年には法務省の法制審議会が選択的夫婦別姓の導入を提案する報告書を提出しましたが、いまだ実現には至っていません。

私は個人的に、夫婦同姓でも良いと思っています。でも、「別姓が良い」という人の気持ちもよくわかります。選択肢を増やすべきだという意見も理解できるし、逆に「それだと子どもが可哀想」という声も納得できる部分があります。だからこそ、私の中ではまだ結論が出ていません。しかし、「わからないから現状のまま」という姿勢は違うと思うのです。

宇多田の歌詞は、「夫婦別姓を奨励している」と一概に解釈するのではなく、むしろ「議論を続けていこう」と呼びかけるものだと私は感じます。彼女が歌う"自由に慣れれば慣れるほど 不自由だって"という一節は、選択肢が増えることのメリットとデメリットの両方を考えさせるものです。

2022年の日本労働組合総連合会(連合)の調査によると、64.0%が選択的夫婦別姓制度に賛成している一方で、18.3%が「夫婦は同じ姓であるべき」と回答しており、国民の間でも意見が分かれています。

変える必要があればそうすべきだし、もし今のままが良いなら、なぜそれが良いのかを改めて考えるきっかけになれば良いと思います。何も考えずに現状を受け入れるだけでは、進歩はありません。

ポップソングを通じて社会と向き合う

宇多田ヒカルの音楽は、常にリスナーに考える余地を与えてくれるものです。彼女の歌詞が引き起こす議論は、時に批判的な声を生みますが、それこそがポップソングの持つ力だと私は信じています。

「また変な歌詞書いて!」と怒るのではなく、目の前にある対立意見にどう向き合っていくかを考えるべきではないでしょうか。色んな意見があって、良いですよね。

宇多田ヒカルの歌詞が投げかける問いをきっかけに、私たち一人ひとりが社会と向き合う姿勢を見直すことができれば、彼女の音楽はただの「ポップソング」を超えた存在になるでしょう。

私自身、宇多田の音楽を通じて、社会問題について考える機会を得られたことに感謝しています。あなたは、宇多田の歌詞から何を感じ、どんな未来を思い描きますか? ぜひ、一緒に議論を続けていきましょう。

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