【吃音症のリアル vol.1】なぜ、私たちは「わかってもらえない」と感じるのか
「え、今、なんて言った?」
聞き返されただけなのに、心臓がぎゅっと縮む。
もう一度言おうとすると、さっきよりもっと言葉が出てこなくなる。
吃音症を持つ人なら、この感覚に覚えがあるはずです。
「話せない」のではない。
「言いたいことは、頭の中にはっきりある」。
なのに、それを音にする最初の一歩だけが、うまくいかない。
そして、もっとつらいのはここから。
詰まった瞬間、相手の顔に浮かぶ一瞬の戸惑い。
「緊張してるのかな」「人見知りなのかな」という、的外れな優しさ。
あるいは、笑いをこらえるような、気まずい沈黙。
――違う。緊張じゃない。性格でもない。
でも、それを説明しようとすると、また言葉が詰まる。
この「説明できないもどかしさ」こそが、吃音症という悩みの本当の中心にある。
もしあなたが、この文章を読みながら何度も頷いているなら。
あるいは、大切な人がこの苦しさを抱えていて、どう接すればいいかわからずにいるなら。
このシリーズは、あなたのために書いていきます。
▪️馬鹿にされた小学3年生
これは、私自身が体験したお話しです。
小学3年生の放課後。
学童で過ごしていた時。
2歳年上のお姉さんに、「〇〇って変な喋り方するよね!なんか喋ってみて!」
みんなの前で言われました。
当時、小学3年生からすると6年生は立派な大人に見えていた。
そんなお姉さん達に、友達みんなの前で笑われました。
その時に私は、「自分は普通じゃないんだ」と気づきました。
この出来事は、もう15年以上前のことなのに、今もどこかで自分を縛っています。
――この話に既視感を覚えた人は、決して少なくないはずだ。
吃音症の多くは、幼少期から症状が出始める。そして、その時にどう扱われたかが、その後何十年もの自己認識に影響を与え続けます。
▪️なぜ「わかってもらえない」が起きるのか
構造を理解する
吃音症が誤解されやすい理由は、大きく3つの構造に分けられる。
構造1:症状が「見えない障害」であること
車椅子や白杖のように、見た瞬間に配慮が必要だとわかるものではありません。
話し始めるまでは、周囲は何も気づかない。だからこそ、詰まった瞬間に「性格」「メンタルの弱さ」だと誤解されやすいです。
構造2:症状が「その日・その場面」によって変動すること
電話は苦手だけど、独り言はスラスラ言える。緊張する場面では悪化するが、リラックスした家族との会話では出ない、ということも珍しくないです。
この「一貫しなさ」が、「本人の気の持ちようなのでは」という誤解を強めてしまいます。
構造3:「良かれと思ったアドバイス」が、本人にとっては刃になること
「ゆっくり話せば大丈夫だよ」「深呼吸してごらん」
――これらはきっと善意から出た言葉。
しかし当事者からすると、「まだ理解されていない」ことを突きつけられる言葉でもあります。
悪意のない言葉が、一番深く刺さることがある。
この3つの構造を知っておくだけで、「なぜ自分はこんなにも誤解されるのか」という漠然とした苦しさに、初めて輪郭が見えてきます。
▪️その後どうなっていくのか
私が吃音と少しずつ向き合えるようになったのは社会人になって数年経った頃です。
それまで、できるだけ人と関わることを避け続けていた私でしたが、ようやく吃音症というものを受け入れられるようになっていきました。
そして、今では飲食店で接客業をしており、楽しく働けています。
どうやったら吃音症が治るのか。
私にもわかりません。
ほんのちょっとでもいいから、自分自身の吃音症を受け入れられるようになれば全てが変わります。
これから、私が実際に経験した出来事を発信していきたいと思います。
症状が酷くて落ち込んだ日、
思ったよりもスラスラと話すことが出来た日、
きっと吃音症を持っている方が共感してくださるような内容ばかりです。
同じ悩みを抱えている人はたくさんいます。
私もそのうちの1人です。
あなたもそのうちの1人。
私の記事を読んでくださった方が少しでも気持ちが軽くなれる場所になれば嬉しいです。
