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ナサニエル・ホーソーン 『The Shaker Bridal』 日本語訳

本訳文は、ナサニエル・ホーソーン(Nathaniel Hawthorne)が1838年にThe Tokenに発表し、現在はパプリックドメインとしてプロジェクトグーテンベルクにて公開されている短編『The Shaker Bridal』の原文を基にした個人訳です。
シェーカー関連の短編作品としてしばしば言及されますが、短編全集などを除いて、訳文にあたるのが容易ではない部分もあります。

アメリカ文学の巨匠ホーソーンによって紡がれた物語を通して、シェーカーの思想や風俗、さらに同時代の外部から見た印象や認識を知ることができるのは、何にも代えがたい貴重な機会です。また、本短編は史実とは異なるフィクションですが、シェーカー文化の雰囲気や世界観に触れるうえで優れたテキストであるといえます。

(太字箇所は文末に注釈あり)


シェーカーブライダル

 ある日のこと、ゴーシェンのシェーカー共同体を四十年にわたって率いてきたエフライム父長老の病室に、教団の重鎮たちが一堂に会していた。
 レバノンの豊かな共同体をはじめとして、カンタベリー、ハーバード、アルフレッド、そして、この風変わりな人々の組織的な勤労によって、実り豊かになったニューイングランドの起伏の激しい荒れた丘陵地帯、その各地から人々が集まってきていた。

 ある長老もまた、そこに居た。ケンタッキーの信徒の村から、千マイルもの距離を旅し、霊的な縁で結ばれる、聖母アンの子どもたちを訪ねるためである。
 彼は素朴ながらも豊かな食卓を皆と共にし、世に名高いシェーカーサイダーを味わい、聖なる踊りにも参加した。その全てのステップは、熱心な信徒を地上から引き離し、天上の純潔と至福へと導くと信じられていた。
 北方の兄弟たちは、彼をある集まりに丁重に招待した。その集まりには、共同体の全ての有力メンバーが揃うことが望まれていた。

 尊敬すべきエフライム父長老はゆったりした椅子に腰掛けていた。白髪で老齢なだけでなく、長引く病で衰え、その父長老としての杖、権威も間もなく他者に渡ることは明らかだった。彼の足元には、シェーカーの衣服を身にまとった男女二人が立っていた。

 「兄弟たちよ」

 エフライム父長老は周囲の長老たちに語りかけ、弱々しくも力を振り絞り、僅かな言葉を発した。

 「ここに神の摂理によって、私のくたびれた肩にかかる責務を託したい息子と娘がいる。どうか彼らの顔をご覧になり、内なる霊が私の選択を正しく導いたかを判断してほしい。」

 それに応じるようにして、長老たちは二人の候補者を注意深く見つめた。

 男は、名前をアダム・コルバーンといい、畑での農作業で肌は焼けているが、聡明で思慮深く、まだかろうじて中年に達する頃であるのに、一生分の苦労が刻まれているかのような顔つきであった。そこには厳格さがあり、全身にも硬さが感じられた。その雰囲気から、彼は教師であると思われたが、実際、彼はかつて数年間その職に就いていた。

 その女、マーサ・ピアソンは、30代を過ぎ、シェーカーのシスターたちがほとんど例外なくそうであるように、痩身で青白い顔色をしていた。シスターの服を身に纏うと、死者めいた印象からも逃れられなかった。

 「この二人はまだ、人生の夏の盛りにいる。」

 老練なハーバードの長老が言った。

 「彼らの頭に秋の白霜が降りるのを見たいものだ。わしには思われる、かつて互いの間にあった肉欲が、特別な試練として彼らを待つだろう。」

 「いや、兄弟よ」

 そう言ったのはカンタベリーの長老である。

 「白霜であろうと、黒霜であろうと、その兆候はすでにブラザー・アダムとシスター・マーサの両名に現れているのだ。まだ青いトウモロコシ畑で我々がその跡を見つけるように。 
 それになぜ、尊敬すべき父長老の意思を疑う必要があるだろうか?この二人がまだ若い頃に、俗世の人々と同じように愛し合っていたとしてもだ。多くの兄弟姉妹も長く共に生活してきたが、信仰に従うことで、心は精神の慈愛によって浄化されているのではないか?」

 アダムとマーサの若かりし頃の愛が、シェーカーの村を共に指導するにあたって不適切であったかどうかは別として、多くの暖かく優しい希望の積み重ねが、このような結末をもたらしたということは、実に奇妙なことであった。

 近隣に暮らす家庭の子どもであった二人の愛は、学生時代よりも古くからあった。それは生来の原理かのように、彼らの感情や心情に自然と入り混じり、単なる確かな記憶というよりも、あらゆる記憶に結びついたものであった。

 しかし、彼らが結ばれるに相応しい年頃になった時、重なる不運が二人に振りかかり、まずは、かろうじての生活を成り立たせるために、自らの手で働かざるを得なくなった。

 このような境遇にあっても、おそらくマーサ・ピアソンはアダム・コルバーンと運命を共にすることに同意し、互いの愛の幸福を確信して、将来のささやかな幸運を辛抱強く待っただろう。

 しかし、冷静沈着で用心深い性格のアダムは、独身の男が身を立てやすいという世間的な利点を手放すことを躊躇した。

 歳月が過ぎ、二人の結婚は結果として先送りされて続けてきた。アダム・コルバーンは多くの職業に従事し、時には遠くまで旅をして、世の中や人生の多くを見聞してきた。
 マーサは生活の糧を、時には仕立て屋として、時には農夫の妻の手伝いとして、時には村の子どもたちの教師として、時にはナースのような病人の看護人として働くことで稼いできた。このようにして積んできた様々な経験が、最終的に役立つとは、彼女は知る由もなかった。

 恋人たちの関係は何一つ順調には進まなかったーーその後のどの時期にあっても、人生の花開く若き日に、より良い運命を求めて最初に別れを選んだあの時ほど、結婚が賢明な選択であったことはなかったのだろう。それでも、彼らは互いへの信頼を堅く抱き続けていた。

 マーサは、故郷の州で上院議員の座にあるような男の妻になっていたかもしれない。アダムもまた、裕福で美しい未亡人の心を図らずとも射止め、結婚を勝ち得ていたかもしれない。それでも二人は、その幸運を互いに分かち合うのでなければ、それは望みではなかった。

 そしてついに、強靭でやや頑なな性格の者にのみ生じる、第二の春にも屈することのない、あの穏やかな絶望が、アダム・コルバーンの心に根を下ろした。

 彼はマーサとの面会を求め、二人でシェーカーの共同体に加わることを提案した。この宗派の改宗者たちは、狂信によってそこへ引き寄せられるというよりも、むしろ世俗的な不幸に追われて、そのもてなしの門の内へと入ることが多い。彼らは、動機を詮索されることもなく受け入れられる。
 なおも変わらず誠実であったマーサは、恋人の手に自らの手を重ね、彼とともにシェーカーの村へと赴いた。

 この地において、二人のそれぞれの生来の資質というのは、それまでの人生の困難によって鍛えられ、培われ、やがて共同体の中で重要な地位を彼らにもたらした。その共同体の成員は、概して通常の知的水準を下回っていたのである。
 二人の信仰と感情も、ある程度まで、仲間の信徒たちのものと同化していった。次第に、アダム・コルバーンは、教団の世俗的な運営においてのみならず、その教義を明晰かつ有能に説く説教者としても名声を得るようになった。マーサもまた、女性としての責務を果たす上で、彼に劣らず際立っていた。

 やがて、エフライム父長老は老衰のうちに、その座を譲る後継者を定めるべき時が来たことを悟り、その者としてアダムとマーサの二人に思い至った。
 彼らの二人をもって、母なる指導者アン・リーによって確立された原初のシェーカーの指導体制を再現することを提案した。それは、彼らがその村の宗教的父と母として立てられることを意味していた。

 こうして正式に、彼らをその任に就かせるための簡素な儀式が、今執り行われようとしていた。

 「息子アダム、娘マーサよ。」

 エフライム父長老は老いた眼差しを彼らに鋭く向けて言った。

 「もしこの責任を良心において担うことができるのなら、告げなさい。兄弟たちが、汝らの適性を疑うことのないように。」

 「父長老、」

 アダムが答えるその口調は彼らしく落ち着いたものだった。

 「私は一人の絶望した男としてこの村に訪れました。世界には疲れ果て、絶え間ない苦労に消耗し、ただ悪運から逃れ、身を守る安らぎを求めていただけなのです。幸福の望みすらありませんでした。私の中にあった世俗的な成功の願いすら、すでに絶えていました。墓に赴く者のように、その陰鬱さと冷たさの中に身を横たえる覚悟で、ただ平穏と静寂を求めていたのです。
 私の胸の中にはただ一つの世俗的な愛情しかありません。それは幼い頃から穏やかに育っていたーー私はマーサをシスター、姉妹として迎え入れることに満足していました。この新しい居場所で。
 私たちは兄弟であり、姉妹です。それ以外であってほしいとは思いません。この平和な村で、願うものすべて、望むものすべてを見つけました。持てる力を尽くし、私たちの共同体の精神の幸福、現世の幸福のために尽くします。このことについて、良心に迷いはありません。私はこの信頼を受ける覚悟があります。」

 「よく語った、息子アダムよ。」

 父長老は言った。

 「私が退くこの職務において、神は汝を祝福してくださるだろう。」

 「だが、シスターはどうだろうか!」

 ハーバードの長老が指摘する。

 「彼女もまた、自らの思いを示すギフトを授かってはいないのか?」

 マーサははっと息を呑み、思わず口元を動かした。まるで、この呼びかけに正式に応えようとするかのように。
 しかし、もし本当に応えようとしたなら、幼少期から青春期、そして女性として長く抑え込んできた感情や思い出が、心の奥からあふれ出し、口にすることさえ冒涜となる言葉として現れていたことだろう。

 「アダムが語ったように」

 彼女は急ぐように続けた。

 「彼の思いが、私の思いでもあります。」

 このわずかの言葉を口にしている間に、彼女は青ざめ、まるでエフライム父長老や他の長老たちの前に立つよりも、棺の中に横たえられる方が相応しいかのようにも見えた。
 身を震わせさえもした――まるで、自分の置かれた状況や運命に、恐ろしく悍ましい何かがあるかのように。

 確かに、並外れた神経の強さがなければ、これほど高名で教団全体に名の知れた男性たちによって作り出される、緊迫した雰囲気に耐え続けることはできなかっただろう。

 長老たちは人間の本来的な好意や弱さへの同情心というものを乗り越えていた。

 一人の長老は、共同体に参加する際、妻子を伴ってやってきたが、その瞬間から、妻に優しい言葉をかけることも、最愛の子どもを膝に抱くこともなかった。
 また別の長老は、家族が従うことを拒んだが、ーー彼に授けられた聖なる不屈の力によってーー家族の運命を世俗に委ねる決断を下すことができた。
 最も若い長老は、50歳前後の男性で、シェーカーの村で生まれ育った。言わく、女性の手を握ったこともなく、教団内の形式的な兄弟関係以上の結びつきを知ることもなかった。

 その中で、エフライム父長老は最も畏敬すべき存在であった。若かりし頃、彼は放蕩の自由人であったが、マザー・アン自身が彼を改宗に導き、初期シェーカーたちの熱狂にも加わらせた。
 伝えられるところによれば、かつて彼の心は地上の情念に染まっており、その浄化のためには、アン・リーの手によって、村の炉辺で赤熱した鉄を押し当てて焼き付けなければならないほどであったという。

 事情がどうであれ、かわいそうなマーサは女性らしい、しかも優しさに溢れた心を持っていた。奇妙な老人たちを見渡し、さらにアダム・コルバーンの落ち着いた表情へと目を移すと、彼女の胸は萎縮せざるを得なかった。長老たちが疑わしげに自分を見つめていることに気づくと、彼女は息を呑み、再び口を開いた。

 「多くの苦労の末に残された力の限りをもって、」

 彼女は続けた。

 「私はこの責務を担う覚悟ができています。そして最善を尽くします。」

 「わが子たちよ、手を取り合いなさい。」と、エフライム父長老は言った。

 二人はその通りにした。すると、長老たちは周囲に立ち上がり、父長老も弱々しく体を起こして姿勢を正したが、それでもなお大きな椅子に腰掛けたままであった。

 「手を取り合うよう命じたのは、」

 そして、彼は続けた。

 「決して地上の愛のためではない。汝らはその鎖を永遠に断ち切ったのだーー霊的な愛に結ばれた兄弟と姉妹として、また与えられた務めにおける互助者としてである。受け取った信仰を、他の者にも教えていきなさい。
 その門を大きく開きなさいーー私はその鍵を授けよう。俗世の罪悪を捨て、平和で清らかな生活を送ろうとするすべての者に、この門を開きなさい。
 疲れ果てた者を迎え入れなさい。世の虚栄を知った者を。幼い子どもたちを迎え入れなさい。彼らがあの惨めな教訓を学ぶことのないように。
 汝らの務めに祝福あらんことをーーそして、母なるアンの使命が完全に成し遂げられる日が、一日も早く訪れーー子どもたちがもはや生まれず、また死にもせず、私のように老い疲れた最後の生ける者が、太陽の沈む時を見届ける日が来るまで――もはや罪と悲しみに満ちたこの世界に太陽は再び昇ることもないその時まで!」

 老いた父長老は疲れ果て、もたれかかるように座り込み、周囲の長老たちは新しい指導者たちがその務めを始める時が来たことを、確信を持って判断した。

 彼らの視線はエフライム父長老に注がれると、自然とマーサ・ピアソンからその注目は逸れていた。彼女の顔は見る見る青ざめていったが、アダム・コルバーンもそれに気づくことはなかった。
 彼は確かに、自ら彼女の手を離し、満足げな野心を胸に抱くように腕を組んでいた。
 しかし、その傍らでマーサの顔色はますます青ざめ、ついには、まるで死装束をまとった死体のように、かつての恋人の足元に崩れ落ちた。

 多くの試練を堅実に乗り越えてきた彼女の心も、もはや荒涼の苦悩には耐えることはできなかった。

(訳:白木克洋)


注釈(本文中の太字箇所について)

ゴーシェン
物語の舞台となる架空の共同体、その他の共同体は1838年当時、シェーカーコミュニティーとして存在した。
ケンタッキーからの直線距離1000マイルでサバスデイレイク付近になるが、実際の陸路はアパラチア山脈を迂回する必要があるため、ボーソーンの活動したマサチューセッツ近郊を想定しているのかもしれない。
父長老
これはFatherに対応する造語である。シェーカーにおけるFatherは、日常語の父でもなく、極めて高位の尊称であるため特別の語彙を採用した。(ファザーもしくはマザーは単一共同体ではなく、教団全体の指導者である場合が多いため、ホーソーンはゴーシェンを総本山と設定しているのかもしれない。)
シェーカーサイダー
おそらくこの時代に一般社会でも好評を博していたシェーカーのアップルサイダーのこと。リンゴはシェーカーにとってもアイコニックな果実であり、本短編の発表された1838年ごろというのは教団内の1840年代以降のアルコールの制限以前であり、時代的にも一致する。
地上から引き離し、天上の純潔と至福へと導く
シェーカーの思想の一貫した世界観やテーマが、この悪しき地上から天上への浄化である。身体的なものを地上的に捉え、精神的なものを天上的に捉える。ここで描写されるような踊りの光景が、シェーカー(震える人々)と呼ばれる所以でもある。
白霜
ここでは白髪の比喩。本短編を通して、人生を季節に見立てた物語的比喩が楽しめる。
肉欲
性欲を含む身体的な欲求のこと。地上の欲求であるとして、シェーカーは罪の根源と考えた。本文内のカンタベリーの長老の言葉にあるように、彼らは共同体での信仰実践によって、その罪は浄化し得ると考えた。
浄化
シェーカーの教義はあくまでも霊的な次元での行いに焦点を当てる。現世的な婚姻関係の破棄などは実際には行われず、共同体内での性別分離と信仰の実践によって、肉体の罪を振り払い、精神的で霊的な存在になれると信じた。
原初のシェーカーの指導体制
これは、共同体形成を定めたゴスペルオーダー以降の男性と女性による指導体制のことを指していると考えられる。信徒が多くいた時期にはこのバランスが取れたが、場所や時代によってどちらか一方に傾くこともあった。
ギフト
シェーカーの用語における霊的なインスピレーションや啓示のことを指す。歌や踊り、言葉などを含み、それらは信仰に応える聖霊からの賜物であると考えた。
荒涼の苦悩
原文はDesolated Agony 。冒頭の起伏の激しい荒れた土地を、実り豊かにしてきた人々の表現を、個人の苦悩に回収する美しいアイロニーの表現と言える。


あとがき

 本短編は、1838年に発表された後に、Twice Told Taleというナサニエル・ホーソーンの短編集の一つに収録されました。国内では、ホーソーンの短編全集などで訳文にあたることが出来るようです。なかなかに機会に恵まれないため、僭越ながら個人訳を掲載させていただきました。
 シェーカーという特殊な舞台をテーマにしながら、自己抑制的で丁寧な筆致の中で静かに語られる心理や状況描写を通して、物語に秘められた失意や狂乱も描き切る、ホーソーンらしい美しい短編の一つだと思えます。
 シェーカーを知る上でも、家具やデザインだけでなく、物語という入り口が新たな視野をもたらしてくれる契機になるはずです。もちろん物語である以上、そこにはホーソーンという作者による誇張や曲解も舞台装置として存在します。それが何であるかを見極めることも、シェーカーを学ぶヒントになるのではないでしょうか。

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