【実体験】兄を連れて帰る日──遺書を前に何もできなかった私の後悔と怒りの記録──
“兄が死んだ”という現実に、心がついていかなかった
病院の待合室で、ただ黙って座っていた私。やがて霊柩車が来て、兄は静かに連れて帰られていった──。
この日、私は心の奥底から怒りと悲しみに支配されました。
この記事は、自死遺族である私が「兄を失ったあの日」のことを綴った記録です。
この記事が、誰かにとって大切な人のSOSに気づくきっかけになりますように。
そして悲しい思いをする人が少しでも減りますように。
■兄を迎えに行く日の朝、病院の静けさの中で
病院の待合室で伯母と母親と静かに待っていた。父親は兄の奥さんと話していたが、私たちは何も話す気にはなれなかった。
それからしばらくして、病院に霊柩車がきたという知らせがきた。その知らせを受けた時にはもう兄は霊柩車の中にいた。
今からやっと兄を自宅に連れて帰ることができる。
ここまでくるのに本当に色んな準備があった。
心が何度も何度も崩れそうになるのを奮い立たせて、やっと兄を連れて帰る準備が整った。
■霊柩車の助手席に乗せたのは母だった
葬儀屋の人が霊柩車の助手席に乗るのはどなたですかと尋ねてきた。
私はすかさず母親を指名した。
あの女が助手席に乗るなんて考えたくなかった。あいつのせいで兄は死んだ。そう思うと、母親に乗って欲しいと思った。
私は母親の背中を押して、霊柩車の助手席に乗せた。
「お母さんが乗った方がお兄ちゃんも喜ぶよ。」
その言葉が後押しとなって、母親は私の顔をじっと見たあと車に乗った。
先に霊柩車に乗っている兄の姿は見えなかった。
あぁ、これでやっと兄を連れて帰れる。
私は少しだけほっとした──。
■“あの女の母”が放った衝撃の言葉
母親が霊柩車に乗ったのを見送ったあと、私は伯母と父親を連れて車に乗り込んだ。あの女には声をかけなかった。
いつの間にかあの女の母親が待合室に居た。あの女の母親は父親の姿を見た瞬間、
「私たちは何も知りませんでした!私たちは何も悪くない。」
そんなことを口にしていた。
確かに兄が自殺をするなんて本気で思ってなかったとしても、遺書が届いた時点ですぐ連絡しなかったことは悪くないのか?
それなのに一言も謝罪の言葉もなく、自分たちは何も悪くないと主張するその神経に私たちはふつふつと怒りがこみ上げてきた。
私はもう我慢の限界まできていた──。
怒りが噴き出した瞬間──
私は「どういう事情があるにしろ、お兄ちゃんから遺書が届いた時点で、もし連絡をしてくれていたら、まだ生きていたかもしれないのに!そんな可能性は考えたことないの!?」
私の怒りの言葉に親子は黙って下を向いた──。
「それなのにあんたは朝方幼いこども2人を連れて自宅から4キロもある場所まで歩かせて連れて行くなんて狂ってるとしか言いようない。
まだ9才と4才のこどもだよ。もし事故でもあったらどうするの?そんなことも考えられなかったの?どうしてすぐ私たちに連絡しなかったの?」
私が激しい怒りに任せて怒声交じりの声を浴びせた。
今すぐにでも殴り掛かりそうなった──。
私の憤怒の形相を見て、相手はぐうの音もでなかった。
私は今まで抑えていた感情が一気に爆発してしまった。
兄の死を迎えた当日のやりとり、家族としての怒りや後悔、そして伝えきれなかった想いを率直に綴りました。
ただ責めたいわけじゃない。
どうしようもない兄だったかもしれない。
けれど、私たち家族にとっては、かけがえのない大切な存在だった。
兄を失ったあの日のこと、そしてその裏側にある“怒り”と“後悔”
ここから先は、私たちが兄を迎えに行ったあの日、私の心の中で何が起こっていたのか──家族としてのリアルな気持ちがあります。
同じように大切な人を失った方に、少しでも届いてほしい記録です。
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