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大人にとって(都合の)『良い子』が大人になったら ~ゲイでHIV+の産業カウンセラーがゲイのカウンセリングをした経験から~

※本記事は、「第15回AIDS文化フォーラムin京都」の分科会にて発表予定だった内容のものを、スライド画像はそのままに、note用に発表原稿をまとめたものになります。

※第15回AIDS文化フォーラムin京都の公式サイト上とは、一部タイトルが変更があります。
こちらが正式なタイトルとなりますので、ご了承くださいませ。

大人にとって(都合の)『良い子』が大人になったら
~ゲイでHIV+の産業カウンセラーがゲイのカウンセリングをした経験から~


1️⃣自己紹介

まずは、ボクの自己紹介から。。。

名前は『勝水 健吾(かつみず けんご)』と申します。
1975年、昭和50年生の、現在は50歳ちょうどです。

“生物学的な性” は男性で、“表現する性” も男性、“性自認” も男性です。
いわゆる「シス男性」です。
セクシャルアイデンティティ(性的指向)はゲイで、男性同性愛者です。

出生地も、現居住地も、岐阜県郡上市。
なのですが…現在の居住地に落ち着くまでには紆余曲折ありまして…それは後ほどお伝えしますね。
職業は、いわゆる開業カウンセラーで、産業カウンセラー・社会福祉士・理学療法士の知識と経験を活かして、心理カウンセリングをオンラインで行っています。
副業としてWEBライターや、WEB記事の監修なども行っています。
家族は、同居している高齢の母と、同市内に嫁いでおります姉が一人おります。
そして、現在、絶賛、パートナー募集中(笑)

さて、ボクの50年といういう歴史を、急ぎ足でご覧いただきたいと思います。

紫色文字はセクシャリティに関すること、黄土色文字のところはキャリアに関すること、赤色文字のところはHIVに関すること、青色文字はメンタルに関することです。

幼少期のわずかな期間、ボクは、岐阜県各務原市にある父の社宅に、父と母と姉とボクの4人で暮らしていました。
その後、地元の岐阜県郡上市へ転居し、ボクは高校を卒業するまで、実家で暮らしていました。

理学療法士の養成校に通学するため、名古屋で一人暮らしを開始。
そして、短大のサークルやバイト、ゲイコミュニティーでの「遊び」などを謳歌し(笑)無事に短大を卒業。そして理学療法士の免許を取得しました。

将来的に、大学院に進学したいという思いがあり、すぐに夜間の福祉系の大学へ進学。
4年間後に大学を卒業し、社会福祉士の免許を取得しますが、通学している4年間、昼間は理学療法士として働く「二足のわらじを履く」生活をしていました。

その後、地方の公立病院で理学療法士として勤務をしていましたが、保健所の無料匿名検査にてHIV陽性告知を受けました。そしてすぐにブロック拠点病院に通院し始めました。
通院してすぐに、臨床心理士さんの心理カウンセリングを受けました(この経験が、ボクが心理職になりたいと思い始めた原動力になります)。

この29歳~33歳の間に、大学院への進学や、東海地方のHIV陽性者支援団体の立ち上げ、コミュニティースペースの立ち上げ、そしてメンタルダウン(うつ病)と、非常に大きな出来事を経験しました。

その反動のためか…次の10年間(30代のほとんど)は仕事も生活も安定せず、非常に苦しい生活を経験しました。
また、同じ時期に父のうつ病が発症。数年後には認知症へと移行しました。

42歳の時にやっと、落ち着いて就職できたのもつかの間、父が他界し、それと同じ頃にボク自身のこころの不調がうつ病ではなく、双極症であると判明。
紆余曲折、色々とお思うところがあり(笑)心理職の一つである「産業カウンセラー」の資格を取得。

資格取得と同時に、前職を退職。
様々な、障がい者福祉サービスを受けながら、2023年9月に開業。

2025年1月に地元である郡上市にUターンで戻ってきました。

2️⃣ボクの育った環境と思春期と性自認と親子関係

さて、ここからは、ボクの思春期の頃の心理に、とても大きく影響を与えたと思われる

①育った環境
思春期の頃の
②親子関係
③性自認

についてお伝えしたいと思います。

1.育った環境

さて、皆さんは「岐阜県郡上市」という場所をご存知ですか?
本州の、ちょうど真ん中あたりにあります。

右の写真は、ボクの自宅周辺の衛星画像なのですが…

ご覧の通り、山と山の間の谷間に道路とわずかな田畑がある、いわゆる「限界集落」です。

岐阜県郡上市といえば、「奥美濃の小京都」といわれるほど、趣のある小さな城下町です。

現在は…

夏には郡上おどり・白鳥おどり
秋には紅葉
冬にはスキー・スノーボード
春には自然散策

といった観光関連産業がほとんどを占めています。

多くの山林や田畑がありますが、現在は林業ならびに農業は、非常に小規模になりつつあると同時に、人口流出による「社会的人口減少」の影響が大きな「消滅可能性都市」でもあります。

2.思春期と性自認(と)

そんな「田舎」(笑)に生まれ育ったボクですが、小学生や中学生、高校生の頃、ザックリとですが、こんな感じでした。

小学生の頃は「性」なんてものは、二の次で、男児も女児も関係なく、皆が仲良しでした。
田舎の小学校だったので、ボクの学年は1学年27人。男児は6人で女児が21人。
イジメなどなく、とっても平和でしたね(笑)

中学生になると、なんとなく男子と女子にグループが分かれますよね。
ボクも仲の良い男子だけのグループの仲間になって、四六時中、同じメンバーで遊んでいた気がします。
一方で、第二次性徴期にあたるこの時期、なんとなく「性」の話題はするのですが、それほど、大きな話題ではありませんでした。

高校生時代になると、「性」「セックス」というものを意識し始めます。
そしてボクは、自分の性に気づきました。
ボクは、男性が好きな男性だと…

(写真は、ボクが高校生3年の時の体育祭の後の集合写真です)

3.親子関係(と姉)

さて、ボクの父は大手企業のサラリーマンでした。
技術部門だったのですが、時々、休日出勤したり、呼び出しがあったり。
ただ、実家には田んぼも畑も山もあったので、休日のほとんどは、それらの『世話』のため、自宅にいることは少なかったと記憶しています。

母は、専業主婦でした。
ただ、自宅でできる内職をしており、ボクや姉の子育の中心だったと思います。
若干、過干渉気味でした。

姉はボクより2歳上です。
超マイペースでしたが、特に母親からは「お姉ちゃんだから」と言われて、我慢させられていたように思います。
ボクとは特に仲が良いとか悪いとかはなく、あまりお互いに干渉し合わない…そんな感じでした。

他にも祖父母も一緒に住んでいました。
ちなみにボクは大の「おじいちゃん子」でしたが、ボクが小学生2年の時に他界。祖母はボクが23歳の時に他界しました。

(写真は、ボクが短大最後の夏、家族4人で北海道旅行に行った時のものです)

3️⃣思春期の頃に感じていたこと・考えていたこと(ゲイのクライエントさんとのセッションを通じて)

ここからお伝えすることは、ボク自身が思春期の頃に感じていたことや考えていたことをベースに、ボクのクライエントさんと共通するテーマを再構成した、「物語」です。
そのため、全てのゲイ男性に当てはまるとは限らないということを念頭において理解していただきたいと思います。

なお、このストーリーには、ボクを含め数名のクライエントさんの「物語」がクロスオーバーしております。

そしてご注意いただきたいのは、子の頃に親や大人から明らかな虐待にあったケースは除外して考えています。

1.性自認した頃の思考・感情

思春期…いわゆる第二次性徴期の頃、自然と「性衝動」が沸き起こり「性行動」「セックス」への関心が高まりますよね?
全てのゲイが、とは断言しませんが、この頃に自分自身の性的指向(セクシャル・オリエンテーション:sexual orientation)が男性に向いていることに、気付く頃かと思います。

そして「性行為とはどういうものか」「セックスとは何なのか」という情報が外部からも入りやすい時期でもあり、学校教育の影響もあって、「性行為とは生殖行動である」かのように教えられ、そして認識するようになります。

つまり、「性行為とは(生物学上の)男性と女性でするもの」であると教えられることによって、「男性が男性に対して性衝動が起こることは一般的ではない」つまり「異常である!」と理解してしまいます。(小学生高学年~中学生あたりの年代)。

そして、「自分自身が異常であることを誰にも知られてはいけないこと」「とても重大な問題であること」と認識してします。
それは何より、異性同士であれば可能な「結婚」「子どもを授かること」に直結するからです。

そして何を考えるか…

結婚や子を授かることは「親孝行の仕方の一つの方法」と考えている子にとっては、重大な問題になるのです!!
「じゃあ、どんな方法で親孝行ができる?」「どうやったらこの“罪”を償える?!」と考え始めてしまうことも、決して大げさな話ではありません。

もちろん、この時点で「親なんて関係ない!」とか「親孝行なんて必要ない!」という信念(笑)を持っている場合は、この限りではありませんが、子と言うのは親が思うよりも、ずっとずっと親のことを考えているものです。
それは多くの場合、子の持つ世界が「家庭」+「学校」+αチョット…ぐらいですから、「親の占める割合が大きい」というのは容易に想像がつくでしょう。

よくも悪くも、子にとって親は、大きな存在であることには間違いありません。

さて、皆さんは「結婚する」「孫の顔を見せる」“以外”の親孝行の方法といえば、どんなことを思いつくでしょうか?

例えば、親が高齢になっても不自由させないように、お金を稼ごう。
または、親に頼らないように、できるだけ早く金銭的に独立しよう。
それなら、いい会社に就職しよう。
ということは、良い大学に入ろう。
だから、勉強しよう。
だから、親の言うことは聞こう。

そして…

「良い子」になろう!

という思考過程になる!(ケースもあります)

と、いうことで(笑)

最初は、『大人たちからの要求に応える』ということで『良い子』であろうとします。

しかし子も人間です。人です。
徐々に、「こうすると大人が喜ぶ」「こういう態度のほうが大人は受け入れてくれる」等といった、『先回りする行動』をとるようになります。
※なお、必ずしもそうとは限らず、ただただ大人の要望に応え続ける、というケースもあります。

この図が示すのが「良い子の行動・態度」の一例です。

2.こんな子どもになっていった

さて、このようなスキル(?)を身に着けていった「子」はどのようになっていくのでしょう…

おそらく、大人の目からは

責任感の強い子
真面目な子
優しい子
大人しい子

という評価される「子」になっていきます。

ここまでのお話で、ボクは「ゲイである子」「男性同性愛者である子」という前提でお話をしてきましたが、なにも、セクシャリティだけが原因で「良い子」になるわけではありません。
様々な原因で「良い子」になってしまう、またはならざるを得ない環境に置かれてしまった「子」もいるかと思います。
ただ、ゲイ男性との心理カウンセリングを経験する中で、心の奥底には常に「親に対する申し訳無さ」という感情が常に流れていた、という多くのお話を聞かせていただきました。

そしてここで、ボクは提案します。
「良い子」とは「大人にとって都合の良い子」だ、と。

4️⃣顔色をうかがう大人

さて、「大人にとって都合の良い子」が大人になったら、どんな大人になるのでしょうか?

思春期の頃から培ってきてしまった思考過程が表す、代表的な3つをご紹介したいと思います。

1つ目に『顔色をうかがう大人』です。

『顔色をうかがう大人』は、自分の行動や態度、発言などを、相手・他者の「表情」「態度」「その人から受ける印象」で決めてしまいます。

誰しも、他者に認めてもらいたい、または評価されたいという思いはあるものです。
しかし、「大人にとって都合の良い子」が『顔色をうかがう大人』になった時、問題なのは「表情」「態度」「印象」という『非言語(ノンバーバル:nonverbal)』だけで判断してしまうことです。

皆さんもよくありませんか?表情や態度が表しているモノと本心が乖離していること。
というか、社会生活を送るうえで、それはある意味、必要なスキルと言えるかもしれません。

しかし『顔色をうかがう大人』は、相手の「表情」「態度」「印象」を敏感に察知し、相手の意に沿った行動・態度・発言が、いかにできるかに注力します。
ただ、まだ相手の意に沿った行動・態度・発言をとろう、としているウチはまだ、良いかもしれません。

これが極端になると「あの表情の裏にある感情はなんだろう」「この人のこの態度は本物だろうか」という『不信感』へと発展していいくことも考えられます。

さらに進行してしまうと、「人が怖い」「誰かと話すのが怖い」などの『恐怖症』のような状態にもなりかねません。

また一方で、『顔色をうかがう大人』は、他人が望んでいる(と思われる)言動を、先回りする傾向にあります。

つまり
「きっとこの人は今、これが必要だろうからこうして“あげよう”」
「きっとこの先、あの人にはこうして“あげる”ことが“良いに”“違いない」
などの、思考過程のもと、先回りすることをしてしまいます。

これをご覧の方の中には「それは優しさなのでは?」「相手のためを思った配慮なのでは?」とお考えの方もおられるかもしれません。

しかしこれは、本当に「優しさ」「配慮」なのでしょうか?

「大人にとって都合の良い子」が『顔色をうかがう大人』になった時、このような先回りする行動には、「他者からの高い評価を得るため」という思惑が『無意識のうちに』働いてしまうことが、往々にしてあります。

ではその言動が『顔色をうかがう大人』としてなのか「ほんとうの意味での優しさ・配慮」なのか、どこでそれを判断できると思いますか?

それは「先回りした言動を取った時の相手の反応によって湧いてくる感情」です。

もし相手が、喜ばなかったり鬱陶しがられたりする「ネガティブな感情表現」をした場合に
「せっかくしてあげたのに」
「苦労してやってあげたのに」
「あなたのためを思ってあげたのに」

という感情が湧いてきた時、それは「優しさ」「配慮」とは、程遠い言動であったであろうと推察できます。

このような思考は「他責的」とも言えるでしょう。
ワタシの言動を受け入れてくれなかったあなたの責任。
ワタシの行為に対して良い評価を与えなかったあなたの責任。

少し余談になりますが、ボクは常々『無償の愛』という言葉に違和感を覚えていました。
そもそも『愛』というのは『無償』であるから『愛』だと思うのです。
もしそれが『条件付きの愛』であったとしたら、それは『歪んだ愛』と言わざるを得ません。

話をもとに戻します(笑)
もし、本当に相手のために思って起こした行動であるなら、どんな反応が帰ってきたとしても、それは行動した自分自身の責任であって、相手の責任ではないはずです。

5️⃣失敗できない大人

さてこれからお伝えする2つ目と3つ目は、比較的単純明快です。

まず2つ目は『失敗できない大人』です。

先にお見せしたスライドにもありますように、そもそも「大人にとって都合の良い子」は、ある程度、自らの意思で「大人にとって都合の良い子になろう」として、そのような思考過程や行動を身に着けています。

頑張らなければ大人に認められない。
やりきらなければ評価されない。

そんな思考が身についてしまうと…

頑張れないなてとても言えない!
やれないなんて恥ずかしくて口にできない!

という思考に結びついてしまいます。

つまり自分自身で失敗を許すことができない『失敗できない大人』になる可能性が高い、ということです。

6️⃣相談できない大人

そして3つ目は『相談できない大人』です。

先ほどと同じようなスライドですが…

“自らの意思で”「頑張る」「やる」と、心に決めてしまうと、他人に頼ることは「恥ずかしいことである」と決めつけてしまい、相談することをどんどん“しなく” なります。
そして、月日を追うごとにそれが“できなく”なってしまいます。

どんな時に
どんなタイミングで
誰に
どの人に
どうやって

『頼るのか』が分からなくなり、それは『他者との距離感の取り方』にも影響してきます。

そして孤立してしまう原因にもなりかねません…

7️⃣つまりはこんな大人

さて、ここまで説明してきた「大人」について、少し、心理学的な用語を用いならがまとめてみましょう。

1.思考過程や認知のクセ

まずは思考過程や認知のクセについてです。

(強すぎる)完璧主義
(極端な)0か100思考・二極化思考
(頑固な)べき思考
(自分ではなく)他人軸

この4つに関しては、とても関連性が深いことが、よく観察されます。

「完璧主義」の「成功するか失敗するか!」は「0か100思考」につながります。
「0か100思考」の「良いと悪いの境界線」は「べき思考」につながります。
「べき思考」の「皆が正しいと言っているんだから正しいと思うべき」は「他人軸」につながります。

少し、強引に感じられるかもしれませんが(笑)実際に、ゲイのクライエントさんとのセッション中に吐露されるいエピソードの中には、それぞれに関連したテーマであることが、よくあります。
本当によくあります(笑)

2.対人におけるスキルの特徴

そして、対人スキルにも特徴がでてきます。

援助希求能力の低下
自己開示能力の低下
自己受容能力の低下

あえてここでは『能力』と書かせていただきました。
それは、『鍛えること』『訓練すること』『トレーニングすること』で高める、または改善することが可能だと考えたため『能力』と表現いたしました。

これら3つのスキルも互いに深く関わり合っているとボクは考えます。

「自己受容能力」があれば、他人にどこまで開示すればよいかの判断をする「自己開示」が適切に可能となります。
「自己開示能力」があれば、自分自身の何をどこまで開示すれば救けてもらえるのかという「援助希求」が可能となるでしょう。
「援助希求能力」があれば、できない自分を受け入れる「自己受容」も適切だと思われます。

これも「強引だな」と思われるかもしれませんが(笑)

7️⃣皆さんにお伝えしたいこと・お願いしたいこと

これはよく、クライエントさんともお話することなのですが、『時間は巻き戻せません』
「思春期の頃、こんな風に考えていたんだね」
「そんなことを感じながらご両親と向き合っていたんだね」
と、過去が理解できたとしても、その時点に戻ることはできません。

まずは、「大人にとって都合の良い子」になろうと頑張っていた自分自身、そしてそれを信じて生きてきた自分自身をねぎらい、そして褒めてあげて欲しいと思います。

「よく、頑張ってきたね」
「ツライ思いをしながら今まで生きてきたね」

と。

そして「大人にとって都合の良い子」であったことを否定しないでください。
その時は、それが最善策であると、最適解であると信じで生きてきたのですから。

そして大切なのは、自ら『気付くこと』『気付けたこと』です。

そこから「生きやすい生き方ってなんなんだろう?」と思えるようになると、ボクは信じています。

「このストーリーには、ボクを含め数名のクライエントさんの「物語」がクロスオーバーしております」と、最初にお伝えしました。
つまり、ボクも同じような経験をしそして生きてきました。

大きく道を踏み外したこともあります。
後悔で胸が張り裂けそうになったこともあります。
どうして世の中はこんなにも生きづらいんだろう?と自分自身で人生を終わらせることも深く考え、実行しかけました。

しかし「生きづらい」と人生を嘆くよりも、自分自身の思考過程や認知のクセ、能力の低下に気付き「これからの人生、どうしたら自分自身にとって、より生きやすくなるのか?」と考え、そしてそれに取り組むほうが、何倍も人生は楽しくなる!とボク自身は体感してきました。

実はそれもまた、苦しい選択になる可能性があります。
それはなぜかと言うと、自分自身の信じてきた価値観や信念を、根底からひっくり返すことにもなり得るからです。そして、見たくない自分自身を見る必要があるからです。

自己紹介でもお伝えしました通り、ボクはブロック拠点病院で臨床心理士さんの心理カウンセリングを初めて受けました。
その心理カウンセリングの場での対話を、20年経った今でも時々、思い出します。
あの頃は見たくない自分から目を背けていた、臨床心理士さんとの対話を納得していた“風”に聴いていたんだ、と。

「あ~あの時、臨床心理士さんは、本当はこんな事を伝えようをしてくれてたんだなぁ~」

ぜひ、皆さんも、ご自身なりの「生きやすさ」を見つけて、そしてそれを実行していっていただきたいと、心から願って、このお話を終わりにしたいと思います。

謝辞


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