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アナログ派の楽しみ/スペシャル◎やぶにらみジャズ(創作大賞2026応募作)

 
 
 生きるか死ぬかのせめぎあい
 恋する者たちを世界は優しく受け入れる
  ――『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』より
  
 

◎ジョン・コルトレーン演奏『至上の愛』

「A Love Supreme」の
肉声に込められたものは

現在から過去を振り返ってみると、ある出来事と別の出来事が同じ日に起きたと知って、たとえ偶然だったにせよ、まるで必然の糸によって結びつけられた運命のドラマのように思えることがある。わたしは、1964年12月9~10日にジョン・コルトレーンがニュージャーシー州のスタジオでアルバム『至上の愛』を録音したとき、キング牧師がノーベル平和賞を受けるためノルウェーのオスロ大学を訪れていたこともまた、そうした運命のドラマのひとつと思えてならない。
 
ジャズ・サックスの巨人、ジョン・コルトレーンが、盟友のマッコイ・タイナー(ピアノ)、ジミー・ギャリソン(ベース)、エルヴィン・ジョーンズ(ドラムス)との「黄金のカルテット」で録音に臨んだ『至上の愛(A Love Supreme)』は、ベートーヴェンの交響曲のように四つの楽章からなり、それぞれに「承認」「決意」「追求」「賛美」の標題がつけられている。トータルでおよそ33分の演奏時間を要する楽曲は、実際、ベートーヴェンの『運命』交響曲に匹敵する規模だ。
 
この謹厳な音楽を一度でも耳にした者はだれでも、「承認」の楽章がやがてひどく単純なリズムを刻みはじめると、コルトレーンそのひとのドスの利いた声が重なって、「A Love Supreme」と20回にわたって繰り返すさまに心揺さぶられるに違いない。まさしく核心と思いたくなるのだが、しかし、同曲のライヴの記録にこうしたシーンは見当たらず、どうやらみずからの肉声で歌唱とも祈祷ともつかぬメッセージを発したのはスタジオ録音における一度かぎりのことだったらしい。
 
レコードの録音が完了した日、黒人公民権運動の指導者、マーティン・ルーサー・キング牧師が史上最年少の35歳でノーベル平和賞授賞式の壇上に立ったのは、非暴力主義の社会変革運動が国際的に評価されてのことだった。その最大のクライマックスが、前年の1963年8月28日のワシントン大行進における「私には夢がある(I Have a Dream)」演説だ。事前に準備された原稿を読みあげたのちアドリブでつけ加えた約5分のスピーチは、ちょうど100年前にリンカーン大統領が「人民の人民による人民のための政治」を訴えたゲティスバーグ演説(1863年)と並び立つ、アメリカ史上最も有名な演説となった。
 
「私には夢がある。いつの日かジョージアの赤土の丘の上で、昔の奴隷の息子たちと、昔の奴隷主の息子たちが、いっしょに兄弟として同じテーブルに座ることができるようになるであろうという夢が。……私には夢がある。いつの日か私の幼い四人の子どもたちが、皮膚の色によってではなく、どんな人格の持ち主かということによって評価される国に住むようになるであろうという夢が。……」
 
キング牧師がここで8回繰り返した「I Have a Dream」は、黒人霊歌のサビのようにリフレインされるごとに法悦の境地を現出させて、やがて真昼のワシントンに結集した黒い肌や白い肌の聴衆たちも唱和したと伝えられている。こうして空前の盛り上がりを見せた大行進から2週間後、アラバマ州バーミンガムのバプティスト教会が爆破されて黒人の少女4人が犠牲となった。この事件に強い衝撃を受けたコルトレーンは、ただちに悲しみと怒りを込めた鎮魂曲『アラバマ』をレコーディングした。
 
さらに、濁流のうねりはとどまらない。同年11月には公民権法案に理解を示したケネディ大統領がダラスで暗殺され、そのあとを継いだジョンソン大統領によって翌年の1964年7月に法案は署名されたものの、アメリカ国内の対立と狂乱の炎はいっそう激しく燃えあがっていく……。こうした状況下で、ノルウェー・ノーベル委員会は10月14日、平和賞にキング牧師を選出して12月に授与式を行うことを発表した。ときあたかも新たなアルバムの構想に没頭していたコルトレーンに対して、このニュースが雷鳴のごとくインスピレーションを与えた、と言ったら穿ちすぎだろうか?
 
わたしは舌の上でそっと確かめてみる。スタジオ録音に際してコルトレーンが口ずさんだ「A Love Supreme」のフレーズは、そのまま「I`ve(I Have)a Dream」に移し替えても自然とメロディにのせられることを――(なお、このあとかれは『キング牧師』という曲もつくっている)。
 
交響曲のようなジャズの録音とノーベル平和賞の授賞式が同日にあってから、3年後の1967年7月にジョン・コルトレーンは40歳で肝臓がんによって世を去り、翌年の1968年4月にマーティン・ルーサー・キング牧師は39歳で白人男性の凶弾に斃されてしまう。そして、アルバム『至上の愛』は永遠の名盤として、いまも時代や国境を超えて聴き継がれているのである。

 

◎チェット・ベイカー演奏『ムーン・ラヴ』

そのメロディに
秘められた意図とは
 
 
コンピレーション・アルバムがありがたいのは、たとえ自分が好むジャンルでも、その機会がなければ知らなかったであろう音楽と出会えることだ。なかでも、タワーレコードが独自にジャズの主役の楽器ごとに編集したCD3枚組シリーズは、わたしにとっては掘り出し物の宝庫で珍重している。先日も深夜の読書のBGMに、そのうちの『ハートフル・ジャズ・トランペット』をかけていたら、いきなり耳を連れ去られて活字どころではなくなってしまった。
 
チェット・ベイカー演奏の『ムーン・ラヴ』。トランペットによるバラードばかりを集めたアルバムで、マイルス・デイヴィスやリー・モーガン、クリフォード・ブラウンらの名演と並んでいるのだから、知るひとにはよく知られた演奏なのだろう。しかし、この自己破滅型のミュージシャンについて、わたしは元祖ヘタウマともいうべき不思議な歌唱の『チェット・ベイカー・シングス』(1954年)や、晩年にカナダのピアニスト、ポール・ブレイと共演した『ダイアン』(1985年)に親しんだだけで、この演奏時間3分ほどの小品は初めてだった。
 
にもかかわらず、耳が奪われたのは他でもない、それがチャイコフスキー作曲『交響曲第5番』の第2楽章にもとづくものだったからだ。このホルンのソロが奏でるメロディを編曲して、ジャズのビッグ・バンドが合奏したり、フランク・シナトラが歌ったりしたのを聞いた覚えはあるが、しかし、デビュー間もないチェットがラス・フリーマン(ピアノ)、カーソン・スミス(ベース)、ラリー・バンカー(ドラムス)と組んで1953年に行った録音は、そうしたアレンジものとは次元を異にするはかなさを漂わせていたのだ。
 
「ここには何か余分で雑多なもの、不誠実でわざとらしいものがあります」
 
これは、チャイコフスキー自身が『交響曲第5番』初演(1888年)の指揮をとった直後に、パトロネスで文通相手のフォン・メック夫人へ書き送った手紙の一節だ。自作に対して厳しい評価を下したのには、かれの内向的な性格も作用していようが、それ以上に作品の設計が原因だったと思う。第1楽章の冒頭で運命のテーマが提示され、波瀾万丈のドラマの果てに、第4楽章のフィナーレで豪快な凱旋行進曲を繰り広げるという、ベートーヴェンばりの闘争と勝利のモチーフは、およそチャイコフスキーに似つかわしくなかったのではないか。
 
実は、わたしがこれまでコンサートで接した交響曲の頻度において、ベートーヴェンの『第九』、ドヴォルザークの『新世界』に次ぐのがこの曲だ。とくに意図してのことではなかったから(チャイコフスキーでは『交響曲第4番』のほうを聴きたいクチだ)、今日ではすっかり人気の定番プログラムとなった事情を反映しているのだろう。もっとも、かつて国内の有名オーケストラの地方公演で若い指揮者がこの曲を振ったとき、アンサンブルが乱れて阿鼻叫喚に陥ったのを目撃したことがあり、この曲はがっちりとタガを嵌めないと崩壊しかねない危うさの上に成り立っているのを教えられた。
 
「慰め、ひとすじの光……いや、希望はない」
 
第2楽章のスケッチに、チャイコフスキーがそっと書きつけた言葉だという。この大言壮語の交響曲のただなかで、くだんのホルンのソロが切々と奏でるメロディは、当時の帝政ロシアのもとでは違法とされた同性愛者のかれが、世間に対してみずからを偽りながら、ひそかに胸中にわだかまらせてきた思いの丈を吐露したものではなかったろうか。ヨーロッパの辺境の地にあって、ひときわデリケートな感受性を持ち合わせた作曲家には、そうした韜晦のほうがふさわしい気がするのだ。
 
もしそうなら、おのれの弱さのあまり終生ドラッグを手放せず、最後にはホテルから転落して謎の死を遂げたチェットの、孤独のトランペットが奏でる『ムーン・ラヴ』こそ、チャイコフスキーの秘められた意図に寄り添うものだったかもしれない。あらゆる規範から離れてふわふわと、青ざめた月光の下でいつまでも見果てぬ夢をさまよっているような……。

◎ジョヴァンニ・ミラバッシ演奏『不屈の民』

あまりにも美しい
革命歌が意味するものは
 
 
イタリア出身のジャズ・ピアニスト、ジョヴァンニ・ミラバッシが2001年、30歳のときに発表したアルバム『AVANTI!』は、世界の革命歌・反戦歌をピックアップしてソロ・ピアノで弾いたものだ。冒頭の『EL PUEBLO UNIDO JAMAS SERA VENCIDO』のあまりにも美しい演奏を聴いただけでも、そこに込められた確信犯的な意図を推し量ることができるような気がする。
 
この曲は南米チリの革命歌で、長ったらしいタイトルはスペイン語で「団結した人民は決して打ち負かされない」を意味し、日本では『不屈の民』の題で知られている。チリ共産党員だったセルジオ・オルテガの作曲と、フォルクローレのグループ「キラパジュン」の作詞により、もともとサルバドール・アジェンデ大統領の人民連合を支持する賛歌だったが、その直後の1973年9月にアウグスト・ピノチェト将軍のクーデターが政権を奪取すると、アメリカ帝国主義と軍事独裁への抵抗を象徴する「ヌエバ・カシオン(新しい歌)」として世界的に有名になった。と同時に、南米のみならず、アジアやヨーロッパの各地の政治闘争の場においてさまざまな言語で愛唱され、日本でも東日本大震災後の脱原発運動に関連してうたわれた。また、アメリカの作曲家フレデリック・ジェフスキーは、そのメロディをもとに大がかりなピアノの変奏曲をつくって人気を博している。
 
オリジナルの歌詞はこんな内容だ。
 
 団結した人民は決して打ち負かされない。
 さあ立ち上がってうたおう、われわれは勝利するのだ。
 団結の旗はすでに前進している。
 私とともに行進すれば、君たちの歌と旗が栄えるのを見るだろう。
 赤い夜明けの光は、来るべき未来を告げているのだ。
  
いかにも大衆の闘争心を掻き立て、血を熱くたぎらせるアジテーションというべきだろう。
 
ところが、である。ミラバッシのピアノが奏でるジャズ・ヴァージョンのひたすらな美しさといったら! どう表現したらいいのだろう。玲瓏(れいろう)。まさに力強い打鍵から立ち上がるひとつひとつの音が澄み切って光り輝くよう。果たして、こうした演奏が革命歌にふさわしいのかどうか。そこで、わたしは思い当たる。元来、革命という政治闘争は、新たな未来に向けての大衆のまじり気のない、まっすぐな希望と勇気を原動力としていよう。したがって、フランス革命の『ラ・マルセイエーズ』やロシア革命の『インターナショナル』はもとより、あらゆる革命歌にじっと耳を傾けてみれば、そこには人間精神の玲瓏としたあり方が聴き取れるはずなのだ。
 
しかし、とさらにわたしは思い当たる。世界の隅々までインターネットが張り巡らされ、すべてゲームと化したかのような今日の高度情報化社会にあって、革命という政治闘争もまた、大衆の素朴な希望と勇気のもとで遂行されることはもはや不可能となってしまった。21世紀が開幕した年にミラバッシが世に送りだしたアルバムは、かくして革命歌の終焉に捧げられたモニュメントだったのではないか。この『EL PUEBLO UNIDO JAMAS SERA VENCIDO』のあまりにも美しい演奏を聴くたびに、そんな感懐が込み上げてくるのである。
 
 

◎秋吉敏子 演奏『孤軍』

歯をくいしばって生きてきた
ふたりが交錯して火花を散らした瞬間
 
 
小野田寛郎の自伝『たった一人の30年戦争』(1995年)のなかに忘れられない一節がある。
 
「ルバング島での三十年、私は一度も歯を悪くしたことはなかったが、帰還して十年の間に、歯槽膿漏のため十本の歯が抜けてしまった。帰還したとき五十二歳、多分に年齢のせいもあるだろうが、私は歯をくいしばって生きていれば、歯など抜けないものではないか、と実感として感じている」
 
ここに表明された見解は、一般的な考えとは逆ではないか。いつも歯をくいしばっているような生活は、口腔ケアのみならず心身全般の健康維持の面からも望ましくない、というのが常識だろう。この告白のすぐあとで、小野田は携行していた弾薬について、年に一回は必ず保存状態を厳重に点検して「当時、銃弾の寿命は十五年といわれていたが、私は三十年間、年に六十発以上の弾を使って不発だったことはほとんどない」と述べているから、かれにとってみずからの歯と弾薬を正常に保つのは同じ原理のものだったらしい。
 
1922年和歌山県生まれ。旧制中学を卒業して貿易商社に勤めているとき、太平洋戦争がはじまって徴兵され、陸軍中野学校で「大東亜戦争には百年戦争が必要だ」との方針のもとに秘密戦の訓練を受けたのち、1944年フィリピン戦線へ送られ、翌年の終戦のあともルバング島にとどまって、以降30年にわたり「残置諜者」としてゲリラ活動を続ける。この間、日本からの捜索隊や肉親がたびたび現地を訪れて帰国を呼びかけたものの頑として応じず、戦時中の上官だった元少佐の「任務解除」命令によってついに投降したのは1974年3月のことだった。
 
その翌月、ジャズ・ピアニストの秋吉敏子は、夫のルー・タバキンとともに結成したビッグ・バンドを率いてハリウッドで初のレコーディングに臨み、小野田の帰還をモチーフとして作曲した『孤軍』を吹き込んでアルバムのタイトルにしている。よほど創作意欲が刺激されたのだろう。
 
1929年満洲(現・中国東北部)生まれ。敗戦後に引き揚げて駐留軍のキャンプなどでジャズ・ピアノを弾くようになり、1956年単身渡米して日本人として初めてバークリー音楽院に学んだのち、チャールズ・ミンガスのバンドへの参加を皮切りに本格的な演奏活動を繰り広げる。そんな彼女の代表作のひとつとなった『孤軍』は、いきなり裂帛の気合で鼓が打ち鳴らされ、地の底から湧き上がってくる合奏のなか、タバキンのフルートが自在に飛翔する。あたかも能舞台にジャズ・バンドが登場したような前代未聞の楽曲は大きな反響を巻き起こした。
 
やはり東西の音楽を融合させた『ノヴェンバー・ステップス』(1967年)で国際的な評価を得た作曲家・武満徹と1976年に行われた対談で、秋吉は自分とジャズのかかわり方をこんなふうに語っている。
 
「まず、いままで何千年も長い間男性の世界だったから、女性がいろいろなことをやるというのは非常にハンディキャップがあるということですね。でも、これは事実として認めているだけで、べつに自己憐憫に陥っているわけでも何でもないのですが、もう一つ今度は私の場合、アメリカの文化であるジャズに携わっている日本人であるということで、普通の状態よりも特殊な状態にあるということです。〔中略〕私みたいな特殊な状態にある人間にとっては、数が少なくても一つ一つが、ある一つのレヴェルから落っこちるということは許されないと思うのです。自分にとっても許されないけれど、他人の目から見ても許されないことだと思うのです」
 
まさしく秋吉もまた、歯をくいしばって生きてきたのだ。太平洋戦争という未曽有の災禍を経て、かたやフィリピンのジャングルにあって、かたやアメリカのジャズ・シーンにあって、ぎりぎりと歯をくいしばった7歳違いのふたりが交錯して火花を散らした瞬間を記録したのが『孤軍』だった。現在ではストレスこそ諸悪の根源とされて、その歯をくいしばるという表現自体もう久しく見聞きしていない気がするけれど、もはや死語になりかかっているのだろうか。

◎チャールズ・ミンガス演奏『直立猿人』

なぜ男たちは
雄叫びをあげるのか
 
 
ノーベル医学・生理学賞を受賞したスヴァンテ・ペーボの自叙伝『ネアンデルタール人は私たちと交配した』(2014年)のなかに面白い記述がある。ネアンデルタール人のゲノム解析から、われわれ現生人類とのあいだに性的な関係のあったことが判明し、2010年5月に論文を発表する際にはさまざまな反発や攻撃の起きる可能性を予想したという。確かに、ある意味ではダーウィンの進化論以上にスキャンダラスな発見だったかもしれない。しかし、現実にはそうした懸念はおおむね杞憂に終わり、むしろ自己のルーツに興味を抱いて、ネアンデルタール人から受け継いだ遺伝子を調べてほしいと申し出るひとが続々と現れたそうだ。そして――。
 
「9月の初めまでに、わたしはあるパターンに気づき始めた。そんなことを書き送ってきたのはほとんどが男性だったのだ。Eメールを読み返してみると、47名が、自分はネアンデルタール人だと思うと書いていたが、このうちの46名が男性だった。このことを教え子の学生に話すと、たぶん男性のほうが女性よりも遺伝学の研究により興味を抱くからでしょう、という答えだったが、そうでもなさそうだ。と言うのも、12名の女性から同様のメールが届いていたが、彼女らは、自分ではなく夫がネアンデルタール人ではないかと考えていたのだ!」(野中香方子訳)
 
まあ、そりゃそうだろう。ネアンデルタール人の一般的なイメージと言えば、毛むくじゃらのデカい図体で大股に歩く姿だろうから、そうした外見を男性に重ねあわせるのは当たり前の成り行きに違いない。一方で、もしダイエットや脱毛ケアにいそしむ女性をネアンデルタール人に譬えようものならセクハラの誹りさえ蒙りかねないだろう。現生人類が保有するネアンデルタール人由来のDNAの比率に、男女差はないとしても。そんなことを考えていた矢先、部屋のCD棚を物色していて一枚のアルバムが目に止まった。『直立猿人』。もう何年も耳にしていなかったモダン・ジャズの名盤を久しぶりにプレーヤーにかけてみて、わたしはのけぞってしまった。まるで自分がネアンデルタール人になったような気分に襲われたからだ。
 
リーダーのチャールズ・ミンガス(ベース)と、ジャッキー・マクリーン(アルトサックス)、J.R.モンテローズ(テナーサックス)、マル・ウォルドロン(ピアノ)、ウィリー・ジョーンズ(ドラムス)のクインテットによる演奏。アルバム・タイトルの曲は冒頭に置かれて「進化」「優越感」「衰退」「滅亡」という四つのパートからなり、現生人類に先立って地球上に登場しながら絶滅した種族をテーマとしている。野心的というより誇大妄想といったほうがふさわしい代物なのだが、これが凄まじい。クラシックの交響楽のような緻密な構成のもとで、かれらが恐る恐る二本足で歩きはじめて以降の道のりが描かれていくのだが、ときにメロディを切り裂く集団即興演奏が沸き起こって強烈なエネルギーを発散するのだ。その瞬間、わたしの腸(はらわた)も共鳴して叫びだす……。
 
1956年1月にニューヨークで録音されたこのアルバムは、当時のアメリカを揺るがせていた公民権運動のうねりのなかから誕生したという。すなわち、白人優位の社会が黒色や黄色の肌の人種を差別して憚らない構図を、現生人類が過去に駆逐してきた同類の種族の運命になぞらえて告発しようとしたわけだが、しかし、5人のプレーヤーが不協和音をぶつけあう憤怒と抗議の絶叫さえ、われわれを陶酔の境地に引きずり込もうとするのはどうしたことだろう?
 
雄叫び。世の男性はだれしも、人生のなんらかのシーンで全身がひとつの楽器となったように大音声を発した経験があるはずだ。それが歓喜や威嚇の表明ではなく、たとえ怒りや悲しみに満ちたものだとしても、世界に向かって放たれる雄叫びというものにわれわれは痺れるような快感を覚えるものらしい。そうした生理的機構もまた、むくつけき外見と併せて、男性とネアンデルタール人のイメージを重ねあわせる結果をもたらしたと思うのだが、どうだろうか。もっとも、近年の研究によると、実際のネアンデルタール人はずっと繊細な感受性の持ち主だったそうで、もしホモ・サピエンスのこうした見解を知らされたらさぞや苦々しく受け止めるに違いないけれど。 
 

◎ビリー・ホリデイ歌唱『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』

女は男を求め
男は女を求める
 
 
わたしの手元にあるビリー・ホリデイのアルバムは、この不世出のジャズ・シンガーが24歳から29歳にかけて(1939~44年)吹き込んだ全16曲を収録したものだ。彼女の代名詞ともいうべき『奇妙な果実』の絶唱からはじまり、それぞれの曲がめざましい個性を放っているのだが、12番目に置かれた有名な『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』にも開いた口がふさがらない。ふだん聞き慣れたものとはまったく別の曲のように聴こえるからだ。
 
ハーマン・ハプフェルドが1931年にブロードウェイのショーのために作詞・作曲したこの歌は、マイケル・カーティス監督の映画『カサブランカ』(1942年)の主題歌に採用されたことで広く知られることになった。前段の歌詞を、ネット上で見つけた「ニキ」の素晴らしい訳で掲げよう。
 
 これだけは心に留めていて欲しい
 キスはキスすることであり、
 ため息はため息をつくこと
 恋の基本はどの時代でもあてはまる
 いくら時が流れようとも
 
 恋人たちが恋をすると
 やはり「愛してる」とささやく
 だから信頼することができる
 この先どんな未来が訪れようとも
 いくら時が流れようとも
 
『カサブランカ』では、かつて恋仲だった酒場の経営者ニック(ハンフリー・ボガード)と人妻イルザ(イングリッド・バーグマン)が数年ぶりに再会してふたたび惹かれあっていく恋愛劇を、酒場の黒人歌手サム(ドーリー・ウィルソン)のうたうこの歌が鮮やかに彩っていく。いかにも分別盛りの大人同士の純愛にふさわしいラブソングというべきだろう。
 
ところが、ビリー・ホリデイの『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』は印象を異にする。そこには、およそ分別のかけらもない男と女のもっと生臭いドラマが息づいているようなのだ。後年の自叙伝『奇妙な果実』(1957年)によると、まだ10歳の幼いときに四十男に強姦され、母親とともに売春宿を転々とする生活を過ごしたのち、ナイトクラブの歌手となって成功した彼女は、このレコード録音を行ったころ、初めての結婚を体験した。だが、相手のトロンボーン奏者ジミー・モンローは麻薬の密売人でもあって、夫婦生活はたちまち凄まじい様相を帯びていき、自叙伝にはこんなふうに記されている。
 
「私たちは最初ホテルに移った。その後小さなアパートを借りた。私はジミーと住みたいと願っていたところに落ちつき、たのしかるべき二人だけの住いを持った。しかし幸福ではなかった。彼は私にも一緒に、麻薬を吸うことをすすめた。私たちの結婚生活は終りに近づいた。私が麻薬のとりこになったのはこの頃である。しかし、私がそうなったことの原因を、ジミーになすりつけようとは思わない。自分のしたことは自分で責任をもつべきだ。〔中略〕この頃の私は、この世界で最高の給料を得る奴隷の一人となる直前であった。私は一週間に軽く千ドルをかせぎ出した。しかし百年前、ヴァージニアで働いていた我々の祖先である奴隷たち以上の、自由はもっていなかった」(油井正一・大橋巨泉訳)
 
いやはや、なんという人生! しかし、こうした荒んだ日常のなかでたがいに深く傷つけあいながらも、哀しみの泥沼に溺れていても、やはり男と女を結ぶ愛の絆はかけがえのないことをビリー・ホリデイの歌唱は力強く訴えてくるのだ。後段の歌詞がまさしく主張するとおりに――。
 
 月の光とラブソング
 すたれることなどない
 人々はいつでも情熱と嫉妬と憎しみで
 心は満ちている
 女は男を求め
 男は女を求める
 誰も否定することの出来ない永遠の真理
 
 それが昔から続く変わらぬ物語
 栄光と愛への戦い
 生きるか死ぬかのせめぎあい
 恋する者たちを世界は優しく受け入れる
 いくら時が流れようとも
 
 
 


#創作大賞2026 #エッセイ部門

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