蝶々結びを間違って覚えた
あれは小学一年生のときのことだ。
プールの季節が近づいてきた。
プールに入るときは、水泳帽の着用が決まっていた。
幼稚園のころの帽子は簡単だった。
頭にかぶり、最後にひもについている玉のような留め具を顎までクッと上げればよかった。
ところが、小学校の帽子には玉がついていない。
ひもを蝶々結びにしなければならなかったのだ。
私は蝶々結びができなかった。
当時履いていた靴は、アニメのキャラクターが描かれたようなビニール製の靴ばかりで、ひもは必要なかった。
日常生活でも蝶々結びを使う機会はほとんどなかった。
でも、学校のプールでは自分で結ばなければならない。
たぶん、蝶々結びができない子は覚えなさいと言われたのだろう。
母と二人で鏡の前で練習することになった。
私は強い左利きだったこともあり、こうした手作業を覚えるのが苦手だった。
ちなみに後に家庭科でも苦労する。
どうしてもわからず、鏡を使って覚えようとしたこともあった。
ところが、母の教え方はかなり大ざっぱだった。
ひもを交差させてキュッと結び、一つ輪を作る。
そこまでは良かった。
しかし母は、もう一つ輪を作る工程を教え忘れたらしい。
私の蝶々結びには羽が一つしかなかった。
そして私は、それを蝶々結びだと思って覚えてしまったのである。
私もずいぶんのんきだったが、その後何年も、その結び方を続けていた。
小学校高学年になるころには、みんな紐靴を履くようになった。
バッシュが流行っていた時代だ。
私も紐靴を履き、いつもの蝶々結びで結んだ。
すると聡子ちゃんが言った。
「ねえ、ゆかりちゃん、その蝶々結び、おかしくない?」
私は聡子ちゃんの足元をじっと見た。
確かに、聡子ちゃんの蝶々結びには羽が二つある。
何年も間違えたままだったのだ。
人に言われるまで気づかないなんて。
母は当てにならないので、姉に聞きながら練習した。
姉は右利きだから、当然右利きのやり方で教える。
理解するまで、ずいぶん時間がかかってしまった。
今ではスニーカーを履く機会も多く、ちゃんと蝶々結びができる。
でも、この件を思い出すたびに、
「私はずいぶんぼんやり生きていたなあ」
と思うのである。
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