四流の人
今更ながら、「カルテット」にハマっている。
無料お試し中のNetflixのラインナップに入っていたので・・・。
世間はきっと「VIVANT」一色かもしれないし、そうでもないのかもしれないが。
というのも今の20代~30代は、もはやテレビじゃなくて、VTuberやゲーム配信に夢中らしいからだ(昨日、カットしてもらった美容師さん情報)。
いきなり話が逸れたが、「カルテット」である。今、5話目まで観たところだが、これがすこぶる面白い。
僕の頭の中では、四人の男女がダイニングテーブルを囲んで「唐揚げにレモンをかけるか、かけないか」について、延々とディベートするドラマのイメージだったけれど、全然、違った(当たり前だ)。
一級のエンタメ作品なのに、主要人物の描き方が妙に純文学的で、芥川賞と直木賞を同時に読んでいるような感覚にさせるドラマだった。
案の定、毎回、瞳をうるうるさせて、その姿を妻と息子にからかわれている訳だが、今のところいちばん身につまされたのは、音楽事務所の偉いオジサンが、主人公の四人を評して言ったこのセリフである。
「志のある三流は、四流だからね」
もちろん
「ああ、これって自分のことじゃん」
と思ったからだ。
別に当たり前の話なんだろうけれど、このオジサンのように、一流や二流の人の中には、三流の人たちを平気で見下す人たちがいる。
ちなみに、僕が直近でそういう人から言われた一言は、
「スキの数なんて関係ない。読めば作品の質は分かる」
だ。
こんなふうに、知らないふりをしていても、生きてりゃどうしたって気づかされる。
確かに、僕たちひとりひとりは"世界で一つだけの花"なのかもしれない。
でも、だからといって、全員が花屋の店頭に並ぶかというと、それはまた別の話なのだ。
つまり、僕が、こうやって懲りずにnoteで文章を書き続けるということは、
「志のある三流は、四流だからね」
という誰かの嘲笑をずっと背中に浴び続けるということでもある。
だからといって、書きたくなくなったか、というとそうではない。
むしろ逆だ。
そういうビターな現実をちゃんと自覚しながら書く方が、のびのびと好き放題やるよりも、少なくとも自分的には納得がいく文章を書けそうな気がしている。
カルテットの四人は、それぞれ違う場所から音楽を始めた。
でも、音楽に憧れていたことだけは、きっと同じなのは分かった。
僕も、そうだからだ。
憧れを忘れたり、諦められたら、きっともっと楽に生きられたかもしれない。
そう思う夜がなかったわけじゃない。
でも、根っから欲張りな僕たちは、楽をするよりも、自分の好きなものを手放さずに苦楽を共にしたい、といつの日か心に誓ったのだ。
だから、これからも、きっと、あの四人は、時々凹みながら、それぞれの場所で、それぞれの音楽を勝手に奏で続けるのだろう。
そんな彼らの姿をたまに思い浮かべながら、僕もまた、このnoteの片隅で、自分の下手くそな言葉を奏で続けたい。
これは、果たして呪いなのか、愛なのか。
もはや、そんなことはどうでもいいのだ。

