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突然に起こった

はじめに


はじめましてあぐりと申します。

かつて息子たちが不登校という状況になりました。

このことがキッカケで、のん気に生きてきた平凡なパート主婦のわたしは「変わらなきゃ」そう思うようになりました。

それでも急に変われない……もがきながら長い時間がかかりました。

解決したとき、わたしはおどろくほどの転身を遂げていました。

その体験談を記事にしていこうと思います。

今回はその1回目の投稿です。

『ことの始まり』をお話ししたいと思います。
ちょとベタな話になりますが、ここはどうしても外せない大切な部分なので、飽きることなくお読み頂ければ幸いです。 




1.真っ逆さまに落とされた


こんなことが起こるなんて…
五月の朝…洗濯物を干していた時にそれは始まった。

あれっ?
もう行ったはずの 中二の息子が戻ってきて
「学校を休む」と言った。

どうしたの?
いつも気が付いたらもういない…みたいなそういう出かけ方なのに

その顔をみると真っ白。血の気が無い。
ただごとではない…そう感じた
とにかく学校に連絡だ。

そう言えば最近友達が迎えに来ないし
出かける時に もたもたしていたよね


いつもじっとしていない
我が子が今は動かない

黙っていることが少ない息子が
一日中しゃべらない…

わたしの考えが止まってしまった。


真っ逆さまに落っこちた
ー そこはアリ地獄

這い上がろうともがいても私の手足は制御不能
“渦の中に” 深く吸い込まれる
渦に落ちて 自分の身体がどうにもならない、人生初めての感覚。


2.夢かもしれないーそう思いたい


1週間くらいして学校に呼ばれた。
後になってわかったのは、どうも友達とのトラブルだったみたい。

この時は、何を話したのかはっきり覚えていない。

覚えていることは、スクールカウンセラーの予約のプリントをもらったこと。

本人が行ける状態ではないから、私が予約を取りカウンセリングを受けるということらしい。

当時はまだSNSというものが、今のように広く知れ渡っていない。

不登校も “登校拒否” などと言われていた頃

情報がない。
私がカウンセリングを受ける?
何のため?

私はてっきりカウンセラーの先生に状況説明をし、対処法をレクチャーされたり、どうやって学校に戻すのかを相談するのだと思っていた。


今から思うと、私はかなり動揺していたのだと思う。
私たちに今起きていることがどういうことなのかを、まだ私が整理しきれていないことは先生にもわかっていたのだろう。


夜も、寝ているのか 起きているのかわからない状態。
明日起きたら夢だったらいいのにといつも思った。



3.世の中の少数派になった


4人家族。私たち夫婦と3つ違いの弟もいる。

半年たって下の息子(5年生)もまもなく学校に行かなくなった。

今ならわかるのが、下の子のケアもまったく出来ていなかった。

家の中の様子が一変して、親があたふたしているのに、この子だけなんともないわけがない。

親としての配慮が足りなかったし、下の子にもきちんと説明をするべきだったと、今なら思える。

次男の時はもう受け入れる体制はできていてた。

変わったことといえば、お昼ご飯を作るのが二人分から三人分になったことくらい。


私の記憶では登校刺激はこの頃はしなかったと思う。
そういう状況ではなかった。

普通の地味な家族。
子どもの勉強は中の中か中の上なら十分。
スポーツやって楽しい子供時代、過ごしてくれたらそれでいい。

大それたことなど何も望んでいなかった。

なのに  “普通”ができない

平凡で平均をめざしているわたしが、こんなところで世の中の少数派になった。


4.不登校ママである私の頭の中


朝起きた瞬間から、何とも言えない気持ちになる

あぁそうだ、わたしは不登校ママなんだ

朝は特に辛い
わが子の様子が心配

学校へ行きなさいなどと言える状態ではない。

真面目でも不真面目でもなく平凡に生きる
人より優れたところがなくても不満を持つこともなく、洗濯物が風に揺られているのを眺めるだけで、幸せ感じていたー

いたって普通のパート主婦が
今までの人生全否定された気持ち


人並みの“普通の人生”を生きたい
そう思うのは欲張り過ぎですか?


時間が止まっている
家の中が寒々しい・・
わたしがしっかりしないといけない。


5.このレールはすでに敷かれていた?


今思うと不登校が起きるレールは、もう敷かれていたのかもしれない。

数年前、出産以来初めて就いたパートの仕事を、半年で辞めることになってしまった。

フルネームを呼ばれるのは、病院か役所の窓口だけだったわたしの働きが、お金になりしかも顧客からお礼を言われる。


13年ぶりにはじめて「わたし」になれたことがとてつもなく新鮮で嬉しかった。

子どもを留守番させてまで働くことの罪悪感と、やっと見つけた「わたし」を手放したくないワガママもあった。

昭和な考えが刷り込まれたわたしがパートに出ることは、それくらい “母として”という言葉に縛られていた



悪いことに同じタイミングで夫が急病になり入院した。

以前のように仕事に復帰できるのか?また復帰できたとしても、今まで通り働けるまでに回復できるのかも不安だった。


ここでわたしが働くことの大義名分が出来た。

持っていた罪悪感はどこかに飛び、わたしのワガママも責任感に変わった。


夫の病気は完治することはないと言われたけれど、なんとか職場復職が叶った。ところが今度は私が体調を崩すことになってしまった。


今までの私の心の中の変化は、誰にも話していない。

夫婦でもお互いが忙しく一日があっという間に終わっている。
いつも忙しそうに動いている私の気持ちは…多分夫は分かっていないだろう。

何より後悔したことは子供たちのこと。
私が働くことについて、状況をよく説明して納得をさせていなかった。


彼らが話したいことがあっても、わたしが聞こうというスタンスが出来ていないから、きっと自分の中に色々溜め込んでしまったのだろう。

不登校の芽があったとすれば、ここが大きくなり始めるキッカケだったのかも知れない。

私の考えなしの行動と、体調不良という警告が出されたことにより、せっかく見つけた「わたし」もお蔵入りとなってしまった。


6.「わたし」を探し続けるわたしに 下された天罰


今まで全力投球してきたから、加減というものが分からない。

健康を害してはじめて「まずいんじゃないんですか?」という天の声を聞いたのに、

くよくよしない私は、体調が回復するとまた「わたし」を探すためにパートに出た。

こうして家族が何となく落ち着かなくなっていた。

仕事を始めることはいけないことではない。
どういう気持ちで働くのか…それが大切なことを、この時の自分に言ってやりたかった。

「ゆっくり大人になればいい」そう思えず、無理やり大人にさせようとしていなかったか?


子育てが終わったら好きなことをしようーそう思っていたわたしが、少し早めに「わたし」に出会ってしまったことが、そもそも間違いだったのかも知れない。

わたしにとって「わたし」の価値は、そんなことにも気づけないくらい大きなものだったのだ。

結局子供たちの不登校が始まったことで、わたしはまた仕事を辞めることになり、唯一 “母” という私の価値ですら危ういものになっていった。


わたしの 不登校ママ生活 と、しまい込んだ 「わたし」がとても重要な関係をもっていたのがわかったのは、ずっと後になってからのことだった。



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