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不登校解決はいつ?


わが家の場合長男が中2のとき、そして半年たって小5の次男が不登校に陥りました。もうかれこれ15年以上前のことになります。



オーダーメイドの対応が必要

現在のように、選択肢はそれほど多くありませんでしたし、まだガラケーの時代で、SNSが世の中に広く利用されていなかった頃です。


兄弟それぞれの考え方の違いで進み方も違っていたものの、その区切りの前には目に見えて何かしらの決断が必要でした。


各々が、どうすれば自分に合った進み方が出来るのかを模索した時期は、おそらく学校を卒業してからも続いていたのだと思います。


いつ解決したの?
そう聞かれると、高校より先は私も仕事をしていましたし、学校も親もある程度本人に任せていた時代だったので、明確なことを把握できていないというのが本音です。


専門学校や大学の年齢になると、上手くサボりながら自身を調節していたのではないかと思います。


わが家の場合、学生という枠組みの中で何にポイントをおいて考えているのかが、兄弟でわかりやすく違っていたのが印象的です。


私の感想ですが、長男は「今友達と…」学校生活を送りたいように見えたし、次男は進学時に「次の学校に入る」ことに意識を集中していたように感じます。


兄弟それぞれの進路(兄)


行動派で好奇心が強い子供でした。
行動にそのカラーがよく出ています。


長男は学校や(一部を除く)友達との関係に問題はなかったので、午後は帰宅した友達と過ごすことが多かったように思います。

高校入学時に夫の転勤のため長距離の引っ越をすることになりました。

通常の進学でもむづかしいのに、知らない土地に行かなければなりません。

夫が単身赴任をするという道もありましたが、不在の多い父親との接点がますますなくなることに私は反対でした。


中学の先生には、私立専願の内申書を書いていただきました。

先生も、新しい土地に行けば気分も変わるし元気になるといいね、そういってくださいました。

新生活、都会の私立高校へ混みあう電車に乗り、1時間の通学時間です。

友達もできて、都会での生活を頑張っていました。

その生活に慣れてくると、また体の不調が始まります。


ところが…せっかく入学した私立高校をその年の12月に退学し、公立高校へ入りたいと言うのです。

本人いわく、同じ地域の友達と一緒に登下校し共に時間を過ごしたいとのことでした。中学校の時できなかった友達との登下校をリベンジしたかったのかもしれません…。


中学2年から勉強をろくにしていません。それでもどうしても公立高校に行くというのです。


私立の担任の先生と私は同じ意見でした。

あと2年辛抱して卒業すれば、そのあと行きたい大学や専門学校に入れば良いではないか。


本人はそれじゃぁだめだと言います。
今回は私立のすべり止めは受けない、私立はもう行ったから受験しても意味がない、公立一本で受験に立ち向かうと言うのです。


あと3か月という時です。家の近くの塾に通いだします。

願書と一緒に提出する内申書は、引っ越し前の母校の中学の先生にお願いして書いていただきました。


そのあとはまたトラブルが起こります。
体調がとても悪くなったのです。

ストレスで胃から出血が起こりました。
胃潰瘍です。


私は医師から叱られました。
わたしだって本当は心配でやめてほしかった…。

この子は人生をとても大切に生きている
それは尊敬すべきところでもある。
でも何で…それ程までに突き詰めるの…?


紆余曲折あった中、無事に全日制公立高校に合格‼
でもまだ終わりではなく、これからがまた始まりです。


二つ目の高校でも友達との交流は活発です。でもやはり五月雨登校の時期が多かったと思います。

学校を休んでも友達とは遊んでいました
この土地でも、友達が好きでまたその輪の中で切磋琢磨しています。


そして、また変化の時が来ました。
高校2年だったと思います。
休みが続くようになりました。


今度はいよいよ無理だと感じたようです。
何度もリベンジを狙って頑張ってきました。


転学の話が出てきます。
本人が調べて通信制に行くと申し出てきました。

私はもう驚きません。
どこまでも、納得するまでやりなさい。
そういう気持ちでした。

簡単に書いたつもりでしたが、長いものになりました。

このあと無事に高校を卒業しました。
そして専門学校にも入り卒業しました。

今仕事をとても頑張っています。
自分の道を納得のいくように…これからも歩んでほしいです。



兄弟それぞれの進路(弟)


兄とは対照的な次男
とても優しく穏やかです。

小学校5年で不登校になり、願いが叶わないうちに卒業となりました。
中学入学と同じ時期に、夫の転勤で引っ越しをします。

遠距離の引っ越し。
中学に入って数日で登校できなくなります。

保健室登校も試しました。
でも、そもそも会いたい友達がまだこの学校にいないのです。



子供は順応性がある…とは言っても
やはり無理があったのかもしれません。


中学2年になる頃のこと、家の近くにたまたま公文教室がありました。
あるとき、公文はどうかなと思い本人に伝えると、悪くない返事が返ってきました。


教室に二人で見学に行きました。
家からひと駅向こうの公文教室です。

コツコツ努力する次男には合っているようでした。先生も皆が学校に行っている間に時間を作ってくださり、宿題多めですが小学校4年生くらいのドリルから始めさせてもらっていました。


地道に頑張ります
次男の強みです
ひとりで考え結果を出します。

でも…中学生のドリルや英語が出てくると、できなくなりました。

「習っていない」「中学の勉強」そのプレッシャーなのかもしれません。

エネルギーがまだ足りないのでしょう。
どんどんドリルがたまり、結局やめることになります。


それでもドリルをしたことで、学校とは別の教材であればゆっくり自分のペースでできることが、分かったのかもしれません。


中学3年生の夏休みに、英語と数学…だったと思います。
ワークを買ってきてほしいと言われました。

それ程厚みのないもので、3年間の勉強の大事な部分を説明しているワークを渡すと、それをコツコツやっていたようです。


2学期は、塾に行くと言い出しました。
大勢で学ぶのは難しいと考え、マンツーマンの個別の塾に週に4回通うと、本人が決め休まず通いました。

そこから学校にも、休みながらでも行くようになりました。
卒業して公立の高校にも合格しました。

高校は中学からでも歩いて行ける地元の高校です。
次男もまた五月雨な時期を繰り返しながらも、3年間あきらめずに通います。

大学も受験前には予備校に通い、何とか現役合格しました。

次男は自分が納得しないと動かない
歩幅は少なくても確実に進む…。
その性格通りの道筋をたどりました。


あとはおまかせ


不登校ママとしてしんどいと感じていた、その時間は長くもあり一瞬だったとも言えます…。

無意識の諦めなのでしょうか、どこかで私は自然と手を離しました。


やっぱり「待つこと」「期待しないこと」…それしかない・・の気持ちがポツンとのこりました。


説明するならば、一番安全な即効性のない早道を選んだということです。


結局のところ親としてしてあげられたことは何もなく、わが子たちは自分の力で道を開いてきたのだと思います。

失敗したと思っても自分で選んだことに対しては、何も言うことはありませんでした。


ごめんね!『信じる』ことしかできない
これまで通りそしてこれからも・・


でも 絶対大丈夫 ✧✻✧ 私の子だもの


親が子供の前を歩いてはいけない
選択肢を伝えたあと、選ぶのは本人


「自由に選べる」には、責任が付いて回ることも後からわかり学びになったと思います。




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