泥と栄華 太閤秀吉を生んだもの
前作の全4話中1話目⏬
木下藤吉郎、現る(織田家足軽頭・前田利家)
あやつが初めて信長様の御前で働いた時のことだ。
まだ木下藤吉郎と名乗っておったか。
いやはや、よくもあれほどに人の懐へ飛び込めるものよ。
わしら古参の者からすれば、どこか胡散臭く、それでいて目が離せぬ男だった。
信長様もまた、あやつの才を見抜いておられたのだろう。わしはあの頃、正直、気に食わなかった。泥まみれの足軽風情が、やけにしゃしゃり出てきて……。
だが、あやつの周りには、いつの間にか人が集まってくる。それは確かに、人の心を掴む、得体の知れない魅力だったな。
日吉、成り上がる(木下藤吉郎の母・なか)
あの子が、まさかここまでになるとは夢にも思わなかったよ。
日吉と名付けた頃は、ただ貧しい農家の倵ばかり。それでも、いつも何かを企んで、目が輝いておった。
信長様にお仕えすると言い出した時も、ただ心配でな。
でも、あの子は一度決めたら、決して諦めない。どんな苦労も笑い飛ばして、周りの者までその気にさせてしまう。
わしはただ、あの子が無事に過ごせることだけを願っておったのに、いつの間にか『太閤殿下の母』などと呼ばれるようになってしもうた。あの苦労が、あの子を強くしたのじゃろうか…。
尾張の猿(今川家残党・朝比奈泰勝)
信長殿の家臣に、妙な成り上がりがいると聞いたのは、まだ駿河が今川の領だった頃のことだ。
木下藤吉郎、いや、秀吉と名を改めたか。
所詮は農民上がりの卑しい猿。
今川の武士道とは無縁の、ただの小賢しい策略家だと侮っていた。
だが、桶狭間以来、信長殿の勢いは止まらず、その片棒を担ぐ秀吉の動きもまた、目に余るものがあった。
人を誑かし、金で買収し、武力だけではないやり方で勢力を拡大していく様は、武士の誉れを知らぬ者のなせる業。
しかし、その泥臭さが、かえって彼を止められない存在にしているようにも思えたものだ…。
墨俣一夜城の真実(織田家普請奉行・丹羽長秀)
墨俣の一夜城。あれは確かに藤吉郎の手柄に違いない。信長様は、美濃攻めに際し、まず最前線に砦を築くことを命じられた。
しかし、敵の妨害が激しく、誰一人として成し遂げられなかった。斎藤方が夜討ちを仕掛け、築いても築いても壊され、資材は散逸し、兵たちは疲弊しきっていた。
誰もが諦めかけていたその時、藤吉郎が進み出たのだ。『某にお任せください』と。
信長様も半信半疑だったろう。何せ、それまでの彼の功は、せいぜい信長様の草履を温めたとか、ちょっとした使い走りとか、そんな些細なものばかりだったからな。
だが、あやつは本当にやってのけた。
それは、ただ資材を集めて組んだだけのものではない。
川並衆という地元の野盗まがいの者たちを言葉巧みに引き入れ、彼らに協力を約束させ、敵の目を欺いた。
材木は遠くから筏で運び、水運を最大限に活用したと聞く。そして、厳重な警戒網を掻い潜り、まさしく一夜にして、敵の目の前に砦を築き上げたのだ。
その奇抜な発想と、それを実行に移す周到さ、そして何より人を動かす力。
あの一件で、わしは悟ったのだ。この男は、ただの足軽頭ではない、と。いずれ信長様の大業を支える、いや、ひょっとすると…と、漠然とした予感を抱いたのは、この頃からだった。
才覚か、それとも…(斎藤家旧臣・竹中半兵衛重治)
信長公が美濃を平定した折、羽柴秀吉という者が、私の才を見込んで訪ねてきた。
私は病を患い、世を捨て、たった十数騎で稲葉山城を奪い取った後、すぐに城を返上した変わり者として知られていた。
そんな私を、彼は見出したのだ。私は仕えるべきは信長公であると諭し、彼に信長公への忠誠を尽くすべきだと説いた。
しかし、彼は諦めず、幾度も私の庵を訪れ、ついには私の屋敷に数日間も居座り続けた。
その熱意と執着は、もはや狂気にも近いものだった。
その熱意に根負けし、私は仕えることを決意した。彼の才は疑いようもない。
人を惹きつけ、人心を掌握する術に長けている。調略においても、戦においても、その発想は凡庸な武将とは一線を画していた。
しかし、その根底にあるのは、果たして天下泰平への純粋な願いか、それともただの果てしない功名心か。
時に彼の行動は冷徹であり、計算し尽くされているように見える。感情に流されず、合理的に物事を進めるその様は、時に畏怖すら覚えるほどだ。
私は彼の側にいて、その両面を見極めたいと願った。いずれ来るであろう、信長公の後の世を案じて…。
長浜の城主(近江の郷士・多賀秀種)
あの秀吉殿が、長浜の城主となられた時には、正直驚いた。
信長様が、あの貧しい出自の者に、近江の中心ともいえる長浜の地、そして琵琶湖の水運をも掌握する要衝を任せるなどと。
それまでの城主は、代々名門の武家が務めてきたものだ。我々郷士は、突然現れたこの『猿』のような男に、不安と警戒心を抱いたものだ。
だが、実際に長浜に入られた秀吉殿は、民百姓にも分け隔てなく接し、城下の整備にも力を注がれた。
戦で荒れた土地を復興させ、商業を奨励し、楽市楽座を設けて人々が自由に商いできるよう取り計らった。
年貢も、無理のないように配慮されたと聞く。戦働きばかりでなく、治世にも才を発揮される様は、我々郷士の目にも明らかだった。
最初は警戒していた者たちも、次第に秀吉殿の人柄、そして彼の政策が生み出す恩恵に惹かれ、彼に協力するようになっていった。
あの気さくな人柄と、それでいてどこか計算高さも覗かせる、あの眼差し。それは、今までの武将にはなかったものだった。
この男ならば、この乱世を終わらせてくれるのではないか、と密かに期待を抱いたのも、この頃からだった。
信長様への報復(明智光秀の残党・斎藤利三)
本能寺の変は、我ら明智が、信長様をお止めするための最後の手段であった。
信長様は、天下統一の大業のためとはいえ、その所業はあまりにも常軌を逸し、人々を苦しめていた。
我らは、乱世を終わらせるために、そして信長様自身の暴走を止めるために、やむなく立ち上がったのだ。
天下に大義を示し、皆が我らに従うと信じていた。
しかし、そこへあの羽柴秀吉が、まさかあれほどの速さで駆けつけるとは…。
備中高松城攻めから、山崎まで、わずか数日で大軍を率いて戻ってきたという。中国大返し。信じられぬ速さだった。
兵たちは疲労困憊であったはずなのに、その勢いは我らを圧倒した。我らは彼を、ただの成り上がり者と侮っていた。
武辺一辺倒の柴田殿とは違い、調略と謀略を巧みに操るが、あくまで信長様の足元にも及ばぬ小物だと考えていた。
だが、その機動力、人心掌握術、そして何より、状況判断の速さは、確かに恐るべきものであった。
彼の出現が、我らの大義を、そして天下の形を大きく変えてしまったのだ。
信長様の首級すら見つけられぬまま、我らは滅びた。秀吉は、信長様の仇を討った『忠臣』の顔で、天下の表舞台に躍り出たのだ。
柴田殿の無念(柴田勝家の妻・お市の方)
兄(信長)を討った光秀を、あれほどまでに早く討ち果たした秀吉。
その手腕には驚かざるを得ませんでした。しかし、夫(柴田勝家)は、彼を決して許すことはできなかった。
信長様が築き上げた天下を、あの貧しい出自の者が、血筋も重んじず、ただ勢いと小賢しさで簒奪しようとする様が、夫にはどうしても許せなかったのでしょう。
夫は、武士としての誇りと信長様への忠義を貫こうと、秀吉との対決を選びました。
賤ヶ岳の戦。夫は北陸の豪雪に阻まれ、準備が整わぬまま、秀吉の巧みな誘引に乗せられる形になりました。
秀吉は、柴田勢が雪に閉じ込められている間に、迅速に兵を進め、夫の援軍を次々と打ち破っていった。
戦は一方的なものでした。夫は最後まで武士の意地を貫こうとしましたが、秀吉の勢いはあまりにも強大で、その戦術の巧みさは、夫のような古き良き武士のそれとは異質のものでした。
夫は、秀吉が天下を奪うことを、決して良しとしなかった。あの男が、果たして兄の志を受け継ぎ、世を治めることができるのか。私には、ただ夫の無念と、滅びゆく織田家の行く末を案じるばかりでした。
冷静な観察者(徳川家康)
信長公が倒れ、世は再び混沌とした。その中で、羽柴秀吉の動きは、確かに目を見張るものがあった。
光秀討伐の速さ、そして柴田勝家との決着。いずれも、並大抵の者には成し得ぬ芸当だ。
彼は確かに才に恵まれている。
人の心を読む術、そして大局を見通す目。特に、兵站を重視し、物資と人員を効率よく動かす能力は、信長公にも劣らぬものがあった。
しかし、その成り上がりの速さゆえか、どこか危うさも感じる。
家臣団の結束も、血縁よりも功績で成り立っている感が否めない。彼が天下を統一したとしても、その天下が盤石なものになるとは限らない。
私は、彼がどのように天下を治め、そしてどのようにその座を維持していくのか、冷静に観察していた。
彼が天下の主となり、そしてその座を盤石にしようとするならば、必ずや私の前に立ちはだかるだろう。
小牧・長久手の戦では、一度は彼と対峙したが、直接的な決着は避けた。
今はまだ、その時ではない。いずれ、時が来れば、この私も動かねばならぬ時が来る。そのためにも、今は力を蓄え、好機を待つ時だと…。
天下統一への布石 城攻めの妙
高松城、水に沈む(羽柴秀吉の軍師・黒田官兵衛)
備中高松城攻めは、秀吉様の真骨頂が発揮された戦であった。
毛利方の援軍が迫る中、正面から力攻めでは犠牲が大きすぎる。そこで秀吉様が考案されたのが、あの『水攻め』であった。
誰もが呆れ、不可能だと口にした。なにせ、城は平地にあり、周囲には川があるとはいえ、それを城を取り囲むほどの巨大な湖にするとなど、狂気の沙汰としか思えなかっただろう。
しかし、秀吉様は諦めなかった。まず、地形を詳細に調べさせ、城の周囲に広大な堤防を築く計画を立てられた。
その規模は、まさに土木工事の粋を集めたもので、一日として休むことなく、数万の兵が土嚢を運び、木材を打ち込んだ。夜を徹して松明が灯され、兵たちの怒号が響き渡る。
地元の民も動員し、報酬を約束して協力を仰いだ。毛利方もまさか本当にやるとは思わなかったろうが、我々は文字通り、人海戦術で巨大なダムを築き上げたのだ。
そして、梅雨に入り、川の水が溢れ出すと、みるみるうちに城の周囲は水没し、高松城は孤立した浮き城と化した。
城兵たちは食料も尽きかけ、士気は地に落ちた。
秀吉様は、戦の前にすでに勝っていたのだ。武力のみならず、智謀と、そして何より圧倒的な実行力と人を動かす力。
あの水攻めは、後世にまで語り継がれるであろう、まさに奇策中の奇策であった。そして、あの時、京で信長様が…。
城中の絶望(備中高松城主・清水宗治の家臣)
我らは、主君宗治様の命を受け、高松城に籠城した。
毛利の援軍が必ず来ると信じていた。だが、あの羽柴秀吉という男は、常軌を逸していた。
まさか、城の周囲にあの巨大な堤防を築き上げ、我らを水攻めにするとなど。
最初、兵たちは笑っていた。『そんな馬鹿なこと、できるはずがない』と。
だが、日が経つごとに堤防は伸び、高さを増していく。そして、梅雨の豪雨が降り始めると、見る見るうちに水嵩が増し、我らの足元は水に浸かり始めた。
城は孤立し、外部との連絡も途絶えた。食料は底を突き、水の上では満足に動くこともできない。
兵たちの顔には絶望の色が濃くなっていった。主君宗治様は、それでも我らを鼓舞し続けたが、もはや万策尽きたのは明らかだった。
秀吉は、宗治様の首と引き換えに、城兵の命を助けるという。非情だが、現実的な要求だった。
主君は、我々を守るため、潔く首を差し出すことを決意された。あの水攻めは、我々武士の常識を遥かに超えたものであり、秀吉という男の恐ろしさを、身をもって知ることとなった。
毛利の葛藤(毛利家当主・毛利輝元)
秀吉が備中高松城を攻めているという報は、我々の耳にも届いていた。
まさか、あの平城を水攻めにするとは。最初は信じられなかった。しかし、現実のものとなったという報告を受け、私は秀吉の異常なまでの執念と実行力に戦慄を覚えた。救援に向かおうにも、既に高松城は孤立無援。
しかも、彼らは堤防の決壊に備え、我々の進軍路にまで手を打っているという。
我らは、安国寺恵瓊を派遣し、和睦の道を模索した。
城主・清水宗治の命と引き換えに、高松城の開城、そして我々毛利家との和睦を提案してきたのだ。
宗治を見捨てることは、武士の義に反する。しかし、このまま戦を続ければ、疲弊するのは我々の方だ。
そして、何よりも、京で信長に異変があったという報せが飛び込んできた。
本能寺の変。信長が横死したという。この機を逃せば、天下の趨勢は一気に変わる。
秀吉は、信長の死を隠し通しながら、和睦交渉を急いだのだ。
その老獪なまでの交渉術と情報統制。宗治の命を差し出させるという冷徹な判断を下しながら、我々には信長の死を伏せていた。
私は、秀吉という男が、単なる信長の家臣ではなく、天下を狙う器であることを、この時、はっきりと悟ったのだ。
続く
南北朝時代の物語もちょっとずつ書いてるけどややこしい後、室町幕府って意外と長いんね
ここに来て勉強して無かったの悔やまれる日々
この先も書き続ける力に変わります。もしええなと思っていただけたら、応援してもらえると嬉しいです.
