宇宙の存在を悩む
基本的にひとり遊びが大好きな私。
乳幼児の頃から独り言とか、ひとりで人形遊びやら絵本を読んだりして、かなりインドア派な子どもだった。
あとは島に住んでいたので、家の庭や野菜が植えられた畑で、アリの巣を眺めたり、家の前の海や砂浜でカニや貝を捕まえたり、イソギンチャクにいろいろ食べさせてみたり(これは少々自然への悪さをしていた行動🙏🏻)。
島から船に5分乗って保育園に行き、集団生活をせねばならなくなった日のことは今でも生々しく覚えている。その日から小学校2年の終わりまでは、島の外では場面緘黙症になった。保育園や学校では、先生に授業中当てられたりして必要が生じない限りは黙り続ける子どもになったのだ。
島に帰ると普通に話していたのに、どうしてあんな風になっていたのだろう。今でもわからない。
小学3年生から場面緘黙症は治った、というか自主的に直したが、ひとり勝手に好きなことをするのが趣味なのは変わりなく、今もそれは続いている。
高校生の時は、宇宙の存在についてずっと悩んでいた。宇宙が存在している意味がわからないのに、人間が地球で生きている意味があるのだろうか?ということが思春期の一番の悩みだった。なので勉強にも身が入らない。将来やりたいことなど、ずっとよくわからなかった。
それから40年近く時が流れ、結局今でも宇宙の存在理由については謎のまま。それでも40歳すぎくらいからは普通に美味しいものを食べたり、好きな人と旅行に行くこと、健康に楽しく生きることに喜びを感じ、生きることの感動はコレか?くらいは理解できるようになった。
そして、スマホの登場により、ひとりで遊ぶことがさらに容易な時代が到来した。
動画配信でヒストリーチャンネルの『古代宇宙人説』というシリーズを観始めてから、かなり私の宇宙の謎探究は進んでいる気がしている。
とは言え、結局宇宙の存在理由については、やはりあまりよくわからないというのが現状だ。
ホーキンス博士だって、そういうことについてはあまり言及してないんじゃないかな(細かくは未確認、ごめんなさい)。
私の人生のテーマ、宇宙存在の謎解明への道はまだまだ遠い。ひとり悩みであり、ひとり遊びでもある、宇宙への思いは一生続くのだろう。
楽しい趣味が終わりなき旅なのは、ある意味喜ばしいことでもある。
