ミステリ 紹介・感想 vol.2 : 殺戮にいたる病 [Written by 我孫子武丸]
皆さん、こんにちは。 vol.1では「推理小説 紹介・感想」などと銘打ちましたが……すみません。次に読んだミステリ、全然(いわゆる定番の)推理小説じゃなかったですね(笑)。
というわけで、名を改めて「ミステリ 紹介・感想」ということで、心機一転(?)頑張らせてください。
さぁ、今回は皆さん大好きあの名作『殺戮にいたる病』です。それでは、れっつらごー。
紹介 (ネタバレなし)
あらすじ
衝撃の結末に備えよ……華麗にして大胆な叙述トリックが生み出した「二度読みミステリ」の最高峰!
犯人は愛を語り、作家は真相を騙る……。
犯人は、永遠の愛を得たいと思った――東京の繁華街で次々と猟奇的殺人を重ねるサイコ・キラー。その名は、蒲生稔! くり返される凌辱の果ての惨殺。恐るべき殺人者の行動と魂の軌跡をたどり、とらえようのない時代の悪夢と闇を鮮烈にえぐり出す。そして、読者の心臓を鷲掴みにする、衝撃の結末……叙述トリックミステリの最高到達点!
紹介
この作品は、いわゆる「問題作」に分類される類のものであると僕は信じています。いや、問題作でなければいけないものです。
ミステリ好きが本作を強く推す理由はよく分かりますし、我孫子武丸先生のまさに代表作であり、歴史的名著であることは間違いありません。しかし僕は、この作品を「一番好きな作品だ」と胸を張って言うことはできないし、安易に友人に勧めることだって出来やしない……。特に過激な描写が苦手な人や、高校生が気軽に読んでいい代物ではない……などと、ネガティブな言葉がいくらでも出てきそうな内容です。
ですが、勘違いしないでほしいのは、本作にはそれらの倫理的な危うさを以てしても有り余るほどの「鮮烈感」「没入感」「スリル」、そして筆舌に尽くしがたい魅力があるという事です。
これを「面白い!大好きだ!」と快感を覚えるのは、ある意味で間違いなく病気です。どんな名医だって治しようがない病気です。
僕は本作を二度読み返しました。そして、心の底から「面白い」と思ってしまいました。
つまりです、皆さんも同じように、本作を読んで『ミステリ中毒』という名の、救いようもない重病に罹ってみませんか?
※以下はネタバレを含んだ感想です。
もし、この作品を読むことを少しでも検討しているのであれば絶対にここでブラウザバックすること!僕言ったからね。
感想(ネタバレあり)
読み進める中で多少の違和感は抱きつつも、特に引っかかることなく最後まで一気に読んでしまいましたが、ラストのどんでん返しには本当に驚愕しました。親子構造をここまで巧妙に使って「予想外の展開」を実現してみせるとは……。
トリック
●親子関係
本作の犯行は、殺人者・蒲生稔の視点で描かれる。
同時に進行する母親・蒲生雅子の視点では、「母親(雅子)⇒息子(稔)」という矢印で、我が子の殺人を疑っているように見せかけておきながら、実は裏に【母親(容子)⇒息子(稔)】と【母親(雅子)⇒息子(信一)】という二つの親子関係が存在しており、稔と雅子は「夫婦関係」だったという仕掛け。
雅子が息子の不自然な行動や、ゴミ箱から出てきた遺体の一部から息子の犯行を確信していく描写があるため、読者は「雅子が疑っている息子=主観視点の殺人者(稔)」だと完全に誤認させられる。
稔は43歳、信一は20歳。若い女性をナンパする年齢的な自然さから、誰もが「稔=雅子の若い息子」だと疑わないほか、大学生である信一と、大学教授であることが最後に明かされる稔とでは、大学構内でナンパを行う行動の自然さに天と地ほどの差がある。
特に、冒頭のこの一文が本当に狡いものです。
蒲生稔が初めて人を殺したのは、雅子が(蒲生信一に)不信を抱き始める三か月も前、前年の十月だった。
~(中略)~
もしこのことを知ったら、母さん(蒲生容子)はきっと気が狂ってしまうだろう。―稔はそう確信していた。
~(中略)~
実際彼女(蒲生容子)が彼の犯罪に気づいたときには、事態は彼にとっても思いにもよらない方向へと向かっていったのだった。
もちろん元の内容には( )←の中身はなかったわけだが、これでは百人中百人が「雅子=文章中の『母さん(彼女)』」だと勘違いするはずです。 しかし悲しい哉、作者は一切嘘をついていません。実際、稔にとっても最終的に「思いもよらない方向(息子の信一に犯行がバレ、信一を殺害する羽目になる)」へ向かっていくわけですから。完敗である。見事に騙された。
もとの内容では( )←この中の内容はなかったわけだが、百人中百人が 雅子=文章中の母親 であると勘違いするはずだ。
ただ悲しい哉、嘘はついていない。実際、彼(稔)にとっても最終的に思いもよらない方向(息子信一に犯行がバレる・信一を殺害する)に向かっていくわけだ。
ただしかし、疑いを持つための不自然性は確かに存在しており、その整合性すらもしっかりと取れているところが憎い。
例えば、
最初の被害者が、稔に対して「ニーチェの“権威”とお知り合いになれたことだし」と言う場面。初読時は哲学専攻の大学生をからかうジョークだと思ったが、わざわざ「“権威”」と強調されていたのは、彼が本当に「大学教授」であったから。く~、悔しい。
他にも、第二の被害者である15~16歳の少女が、稔のことを「オジン」「オジサマ」と呼んでいる。稔が20歳の大学生ならいくらなんでも不自然だ。また、稔の視点でも彼女を「(架空の彼女より)ずっと若くて可愛い子」と評していますが、同世代の4〜5歳下に対して「ずっと若い」という表現は本来使わない(多分)。
また、一番明確なもので言えば、
稔が自室の扉を開く描写と、雅子が息子(信一)の部屋の扉を開く描写にも、大人の部屋と子供の部屋としての微妙な差異が存在していた。
あーー、悔しい悔しい!
ただ、違和感として、実年齢が43歳の稔が、ことごとくナンパを成功させていたり、自分を大学院生と詐称している点には少し無理があるのでは?とも思いました。しかしこれについては、「彼は人を惹きつける心理操作能力(カリスマ性)に長けていたこと」「実年齢よりかなり若く見えるという描写があったこと」「念れうぃ詐称したターゲットが酔っ払っていたこと」などの理由で、自分の中で納得した。
以上。
総評
オブラートに包まずに言うと、結構「下品」でグロテスクな作品だった。
ただ、そこに潜むミスリードや伏線は非常に見事で、完全に引っかかってしまいまった。もう脱帽のほかありません。
また、文章を通じて犯人の思考を追体験させられるリアリティは、太宰治の『人間失格』にも似た、「自分や身近な人間も、一歩間違えればこうなってしまうのではないか」という根源的な恐怖を感じさせる。我孫子武丸先生の繊細で手に取るような心理描写が、この恐ろしい体験をリアルなものにしていた。
読む人を選ぶが、その読書体験は唯一無二。まさに強烈な珍味、「カラスミ」のような一冊でした。
↑もうちょっと上手い例えがあるような気がしないでもないから、コメント欄で何かいいのがあったらよろしく。
