第1編 「推しを好きなのに、少し疲れている」 【エッセイ | 文学的推し活】
推しを好きなのに、少し疲れてしまうことがある。
そんな感覚を、昔の私は「好きが足りないせい」だと思っていた。
人生を変える本に出会った経験と、人生を変える“推し”に出会った経験は少し似る。どちらも、自分の見える世界を広げ、感情や価値観を動かしてくれるから。
ただ、本との関係では「本から認知されること」が前提になりません。本を読む時間は、相手へ届くためというより、自分自身と対話する時間でもあるからです。
そんな“本を読むような距離感”も含めて「文学的推し活」を考えてみる。
推しを消費し尽くすのではなく、推しによって開いた感受性を、自分の人生へ持ち帰るために。
推し活は、本来とても楽しいものだった。
新しい動画が上がれば嬉しい。
配信が始まれば生活の空気が変わる。
ライブの日が近づくと、平日の疲れにも少し耐えられる。
誰かを好きになることで、人生に色が増える。
それは本当に救いだったと思う。
けれど、好きでいる時間が長くなるほど、私は少しずつ「好き」以外のものも抱え込むようになった。
通知を見逃したくない。
TLの流れについていきたい。
炎上や空気の変化を把握しておきたい。
数字が落ちると不安になる。
自分だけ熱量が低いように感じる日がある。
気づけば、推しを見ている時間よりも、「ちゃんと推せているか」を確認する時間の方が増えていた。
もちろん、それ自体が悪いわけではない。
熱量高く応援することが楽しい人もいるし、イベントや拡散を頑張ることで得られる充実感もある。
ただ私は、ある時から少し苦しくなった。
推し活なのに、休んでいる感覚がない。
むしろ常に接続して、常に何かを確認して、常に「遅れないように」している。
それは好きというより、監視に近かった。
SNSを開けば、誰かの熱量が流れてくる。
積んだ数。
遠征回数。
再生数。
考察量。
推しからの認知。
接触の思い出。
グッズ量。
もちろん他人は他人なのだけれど、ずっとその空気の中にいると、少しずつ比較が染み込んでくる。
「私はちゃんと推せているのだろうか」
そんな言葉を、自分の中で繰り返すようになる。
でも、本来“好き”は、資格試験みたいなものではなかったはずだ。
私は昔、ある小説を何度も読み返していた時期がある。
毎日少しずつ読んで、気になった一文に線を引いて、疲れた時にまた開く。
作者に認知されることはない。
感想をRTされることもない。
読書量を競う空気もない。
でも、その本は確かに私の人生を変えた。
考え方を変え、言葉を変え、ものの見方を変えた。
そして不思議なのは、その時間が「自分との対話」になっていたことだった。
私はその本を通して、自分が何に傷つき、何を綺麗だと思い、何を怖がっているのかを知っていった。
最近になって、私は時々思う。
推しとの関係にも、本を読む時のような静かな距離感があっていいのではないか、と。
もちろん、推し活と読書は違う。
現代の推し文化にはSNSがあり、交流があり、リアルタイム性がある。
だからこそ楽しい部分も大きい。
けれど同時に、「常に接続できてしまう」ことは、人を疲れさせもする。
昔の好きは、もう少し静かなものだった気がする。
好きな音楽を何度も聴く。
好きなゲームを繰り返し遊ぶ。
好きな映画を定期的に見返す。
そこには必ずしも「反応を返してもらうこと」は必要なかった。
でも人生は変わった。
むしろ、一方向だからこそ、自分の内側に深く沈んでいく好きもあった。
私は、「文学的推し活」という言葉を、そんな感覚のために使おうと思っている。
それは、熱狂を否定する言葉ではない。
ライブで泣くことも、全力で応援することも、夢中になることも、全部素敵だと思う。
ただ、その感情を“推しの周囲だけ”で循環させ続けると、人は少し息苦しくなる。
推しの表現 → 動いた感情 → 感想をSNS → 推しへの報告 → 感情 → SNSへの報告
その循環だけになると、自分自身の人生が少しずつ空白になっていく。
でも本当は、推しによって動いた感情は、もっと色々な場所へ接続できる。
推しがきっかけで音楽を始めてもいい。
服を見るようになってもいい。
写真を撮ってもいい。
文章を書いてもいい。
旅に出てもいい。
あるいは、ただ静かに、自分の感情を理解する時間になってもいい。
「この曲を聴くと、なぜこんなに泣きそうになるんだろう」
そんな問いを持つこと自体、もう立派な“自分との対話”だと思う。
推し活に疲れる時、人はよく「離れた方がいいのかな」と考える。
でも私は、必ずしもそうではないと思っている。
推しを嫌いになる必要はない。
熱狂を否定する必要もない。
ただ少しだけ、「推しへ向かう感情」を、自分の人生にも戻してみる。
それだけで、“好き”はもう少し長く、穏やかに続けられるのではないだろうか。
そんな「文学的推し活」について、少しずつ考えていきたいと思う。
第1編:常時接続を解く「感情のオフライン化」
目的: 推し界隈の「空気」から離れ、自分の純粋な感情を取り戻す。
手順:
コンテンツに触れた後SNSを開かずに、1分間だけ深呼吸する。
今、SNSの反応(数字や他人の言葉)を一切無視した時に残る「自分だけの感想」を一言だけメモする。
その感想を「誰にも発信しない」と決めて、自分の中にだけ留めておく。
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