彼女のロレックスが妙に印象に残った理由
先日、夜のカフェで何気なく過ごしていたときのことだった。
仕事帰りなのか、買い物の途中なのかは分からない。ふと視界に入った一人の女性が、なぜか妙に印象に残った。
特別派手なわけではない。
全身ブランドで固めているわけでもなく、誰が見ても高級だと分かるような装いでもなかった。
黒を基調とした落ち着いたコーディネート。
長い髪を無造作にかき上げる仕草。
テーブルに置かれた飲みかけのドリンク。
都会ではよく見かける、ごく自然な光景だった。
それなのに、なぜか目が留まった。
理由はすぐに分かった。
彼女の左手首にロレックスがあったからだ。
もちろんロレックス自体は珍しくない。
時計好きになってからというもの、街中でも電車の中でも、つい人の腕元を見てしまう癖がついた。
だからロレックスを見ること自体は日常茶飯事だ。
しかし、その日のロレックスには少しだけ違和感があった。
正確に言えば、違和感というより意外性だった。
「若いのに、ロレックスなんだ。」
そんな言葉が頭の中に浮かんだ。
もちろん今の時代、若い世代がロレックスを着けていても何も不思議ではない。
実際、以前に比べれば20代や30代前半のオーナーもかなり増えたと思う。
それでも私の中には、ロレックスというブランドに対してどこか成熟した大人のイメージが残っている。
長く働いて。
少しずつ経験を積んで。
ようやく手に入れる一本。
そんなイメージだ。
だからこそ、その女性とロレックスの組み合わせが少し新鮮だった。
最初は少し意外だった
もし若い女性が腕時計を選ぶとしたら、私なら真っ先に思い浮かぶのはカルティエかもしれない。
あるいはアップルウォッチ。
最近ならスマートウォッチを着けている人のほうが圧倒的に多い。
通知も見られる。
決済もできる。
健康管理もできる。
機能だけを考えれば十分すぎるほど便利だ。
だから若い世代ほど、機械式時計から遠ざかっていると思っていた。
しかし現実は少し違う。
ここ数年、街を歩いていても、カフェにいても、意外なほど若いロレックスオーナーを見かけるようになった。
しかも男性だけではない。
女性も増えている。
以前なら高級時計というとジュエリー感覚で選ぶ人が多かった印象がある。
ダイヤモンド。
小ぶりなケース。
華やかなデザイン。
そうした方向性が主流だった。
ところが最近は違う。
スポーツモデルを着けている女性も珍しくない。
デイトジャストやオイスターパーペチュアルを自然に着けこなしている人も増えた。
その変化を頭では理解していた。
けれど実際に目の前で見ると、やはり少し驚く。
その女性もそうだった。
ロレックスを見せようとしているわけではない。
腕をわざと前に出しているわけでもない。
写真を撮っているわけでもない。
ただ普通に座り、普通に会話をしているだけだった。
だからこそ余計に気になった。
ブランドを主張するためではなく、本当に自分の物として着けているように見えたからだ。
時計好きとしては、そういう人を見るとつい観察してしまう。
でも見ているうちに、不思議と似合って見えてきた
最初は意外だった。
しかししばらくすると、その印象は少しずつ変わっていった。
彼女は何度か髪をかき上げた。
グラスに手を伸ばした。
スマートフォンを確認した。
そのたびに腕元のロレックスが目に入る。
でも不思議なことに、だんだんロレックスそのものが目立たなくなっていった。
むしろ自然だった。
時計だけが浮いているわけではない。
服装とも合っている。
雰囲気とも合っている。
そして何より、その人自身と調和していた。
私は昔、時計は着ける人を選ぶものだと思っていた。
特にロレックスのような存在感のある時計はなおさらだ。
しかし逆なのかもしれない。
本当に似合う時計というのは、時計が主役にならない。
気づけばその人の一部になっている。
その日の彼女のロレックスも、まさにそんな印象だった。
高級時計というより、毎日使っているお気に入りの道具。
そんな空気をまとっていたのである。
若い女性がロレックスを選ぶ時代
あの日のことを思い返しながら、ふと考えた。
もしかすると、私が驚いたのは彼女ではなく、自分自身の固定観念だったのかもしれない。
ロレックスはもっと年齢を重ねてから。
ある程度キャリアを積んでから。
そんなイメージを私は無意識に持っていた。
しかし最近は、その感覚が少しずつ変わってきているように思う。
時計好きとしてSNSを眺めていても、街を歩いていても、若いロレックスオーナーは確実に増えている。
特に女性だ。
以前であれば、高級ブランドを選ぶ際の優先順位はバッグやジュエリーが中心だったように思う。
実際、それは今でも変わらないだろう。
しかしその一方で、「腕時計」という選択肢を持つ人が増えている。
それも単なるファッションアイテムとしてではなく、長く付き合う前提で選んでいるように見える。
ロレックスを資産価値で語る人もいる。
確かにそれも一つの側面だ。
価格推移を見れば、その考え方も理解できる。
ただ、実際にロレックスを着けている人たちを見ていると、それだけでは説明できない気がする。
彼らは投資家のような顔をしていない。
むしろ楽しそうなのだ。
腕元を見るたびに少し嬉しそうで、休日の服選びのように時計選びも楽しんでいる。
私はその感覚が好きだ。
時計は本来、そういうものだったはずだから。
ブランドではなく、時間にお金を払うという感覚
スマートフォンがあれば時間は分かる。
Apple Watchがあれば通知も届く。
予定管理も健康管理もできる。
合理性だけを考えれば、機械式時計を選ぶ理由はほとんどない。
それでも私たちは腕時計に惹かれる。
なぜなのだろう。
その答えは人それぞれだと思う。
ただ最近、私は少し違う見方をするようになった。
機械式時計を買うという行為は、物を買うことではないのかもしれない。
時間との付き合い方を買うことなのかもしれない。
例えばスマートフォンは数年で買い替える。
パソコンもそうだ。
イヤホンもそうだろう。
技術が進化すれば、新しいものへ移行する。
しかし機械式時計は違う。
10年後も。
20年後も。
場合によっては30年後も同じ時計を使い続けることができる。
むしろ時間が経つほど愛着が増していく。
これは現代の消費行動の中では少し珍しい存在だ。
だから最近の若い世代がロレックスに惹かれる理由も、単なる見栄やステータスだけではない気がしている。
流行に左右されないもの。
長く使えるもの。
時間とともに価値が積み重なるもの。
そうした価値観が、今の時代に改めて評価されているのかもしれない。
時計好きとして少し羨ましくなった
正直に言うと、あの日の私は少し羨ましかった。
別に彼女が持っていたロレックスが羨ましかったわけではない。
その年齢で、自分が本当に好きなものを見つけているように見えたことが羨ましかったのだ。
私は時計に興味を持つまでに少し時間がかかった。
新社会人の頃に買ったセイコーがきっかけだった。
そこから少しずつ機械式時計を知り、革ベルトに興味を持ち、ロレックスやラグジュアリースポーツウォッチの世界に惹かれていった。
遠回りだったと思う。
もちろんその過程も楽しかった。
しかし、もし20代前半の頃に今の価値観を持っていたらどうだっただろう。
そんなことを考えてしまった。
高級だから選ぶのではない。
有名だから選ぶのでもない。
自分が本当に好きだから選ぶ。
その感覚は年齢に関係なく、とても素敵なことだと思う。
そして時計という趣味は、不思議なことにその人の価値観まで映し出す。
だから私は時計を見るのが好きなのかもしれない。
腕時計を見れば、その人が何を大切にしているのかが少しだけ見える気がするからだ。
だから、あのロレックスが妙に印象に残った
時計好きになってから、たくさんの腕時計を見てきた。
街中で見かけるロレックス。
雑誌の特集。
SNSに流れてくる投稿。
どれも興味深い。
けれど不思議なことに、記憶に残る時計と残らない時計がある。
高価だから記憶に残るわけではない。
珍しいモデルだから残るわけでもない。
その人の雰囲気と自然に重なった時計ほど、なぜか印象に残る。
あの日見かけたロレックスもそうだった。
モデル名は覚えていない。
文字盤の色も曖昧だ。
しかし、その時計を着けていた女性の雰囲気だけは今でも何となく覚えている。
静かな夜のカフェ。
窓の外の街灯。
何気ない会話。
そして自然に腕元に収まっていたロレックス。
時計が主張していたわけではない。
むしろ逆だった。
ロレックスという存在感のある時計が、その人の日常に溶け込んでいたのである。
だから印象に残ったのだと思う。
ロレックスそのものが理由ではなかった
以前の私は、ロレックスというブランドに対して少し特別な見方をしていた。
成功した人が持つもの。
憧れの存在。
いつか手に入れたいもの。
そんなイメージだ。
もちろん今でも魅力的なブランドだと思う。
時計好きであれば、一度は意識する存在だろう。
しかし最近は少し考え方が変わった。
ロレックスの価値はブランド名だけではない。
それをどう着けるか。
どう付き合うか。
そこにこそ面白さがある。
同じ時計でも、着ける人によってまったく違って見える。
スーツに合わせれば仕事の相棒になる。
休日のデニムに合わせれば気軽な相棒になる。
そしてあの日のように、若い女性が自然に着けていれば、それはまた別の魅力を見せてくれる。
時計は持ち主の人生を映す鏡のようなものだ。
だから私は時計そのものよりも、時計を着けている人のほうに興味を持つようになった。
若いということと、時間を大切にすること
あの日から少し考えるようになった。
なぜ私は彼女のロレックスに意外性を感じたのだろう。
おそらく私は無意識のうちに、
「時間を大切にすること」
と
「年齢を重ねること」
を結び付けていたのだと思う。
しかし本来、それは別の話だ。
若くても時間を大切にする人はいる。
20代でも長く使えるものを選ぶ人がいる。
流行よりも、自分が本当に好きなものを選ぶ人がいる。
そう考えると、あの日のロレックスは何も不思議ではなかった。
むしろ自然だった。
年齢ではなく価値観。
時計を選ぶ基準も、少しずつ変わってきているのかもしれない。
おわりに
今でも時々、あの日のことを思い出す。
もちろん、その女性のことを知っているわけではない。
名前も知らない。
どんな仕事をしているのかも知らない。
あれから二度と会っていないかもしれない。
それでも、あのロレックスだけはなぜか記憶に残っている。
考えてみれば、それは時計の話ではなかったのだと思う。
私が見ていたのはロレックスではなく、その人の時間との向き合い方だったのかもしれない。
若いのにロレックス。
最初は少し意外だった。
けれど今はそう思わない。
むしろ、
「好きなものを長く大切にする」
という考え方に、年齢は関係ないのだろう。
あの日のカフェで見かけた一本のロレックスは、そんな当たり前のことを改めて教えてくれた気がする。
そしてだからこそ、彼女のロレックスは妙に印象に残ったのである。
