高市早苗政権下さらに「原発政策」推進となるがあいからわず「トイレのないマンション」状態に打開策はない
1 2026年2月8日投開票日であった衆議院解散総選挙は自民党・高市早苗政権の圧倒的多数という結果となったが,筆者の関心は現政府(自民党政権)の「原発:原子力エネルギー政策」に向けられる。
本ブログはこれまで,「原発政策を推進させたいという狙いを絶対に止めないこの国」が実際には,東電福島第1原発事故という21世紀に大書されるべき重大事件を起こしていながら,まるでこの悲惨な核事故など気にもかけておらず,「その後の処理」に当たってきた態度からは「廃炉管理問題」,換言すれば「廃炉工程問題」と「事故原発後始末」への取り組みが,進捗をみていない現状を指摘してきた。
原発は「電力生産費が安価であり安全性も非常に高い」というふうな「安全神話」にもとづく,いわば俗説以前の虚偽にまみれた,それも「悪魔のささやき」にも似た,「ウソそのものであった原子力エネルギー観」は,すでにとくに,チェルノブイリ原発事故(1986年4月26日)と東電福島第1原発事故(2011年3月11)の発生によって,もはや完膚なきまでに破砕されていたはずである。
もとはといえば「核エネルギーの戦争目的への利用技術である原水爆」の余技的な技術応用であった,いわば中途半端な原爆技術としての「そのエネルギーを利用した電力生産であった」原発という装置・機械から,電力をえるという目的じたいはさておき,原発という技術体系そのものの特性として,機械・装置として本来〈付きもの〉である「その大小の規模とその種類を問わない,それも固有な事故の発生」が,今後において絶対に回避・予防できるとはいえない。
したがって,旧ソ連でのチェルノブイリ原発事故や東電福島第1原発事故が,原発による電力生産技術に関して,いってみれば確率論的にもどうしても随伴してこざるをえなかった「過酷(重大かつ深刻)な巨大事故」として,確かに発生していた。

原発を電力生産のために商用運転しだしたのは,日本では1965年11月10日から「東海発電所」が営業用発電を開始したときであった。それから半世紀がまだ経たない時期の2011年3月11日,東電福島第1原発事故が起きた。いうまでもなく原発事故としては〈もっとも深刻で重大で過酷な水準〉の事故になっていた。
IAEA(国際原子力機関)が定めた「国際原子力事象評価尺度(INES)」は,原発事故の深刻さを「0から8までの8段階」で表わす〈客観的な指標〉を,レベル4~7が「事故」,1~3が「異常な事象」,0が「尺度以下」と分類している。チェルノブイリ原発事故および福島第1原発事故の場合,最大レベル7の「深刻な事故」だと判定した。
2011年3月11日の午後2時46分に発生した東日本大震災と,これに伴いまた直後に発生し,東北地方沿岸を中心に襲った大津波が,東電福島第1原発事故の原因になった。その結果はいまもなおその爪痕が,東電福島第1原発事故現場の実情や人間が住めなくなった地域が残されている結果に,ありありと残されている。
この記述は今日:2026年2月28日に書いている。東電福島第1原発事故発生した2011年3月11日まで “あと11日で15年目の日” がくる。当時,溶融した3基の原子炉(その核心部分である圧力容器・格納容器)のなかには,いまだに溜っているデブリが,溶解物としてしかも高度に汚染された物体として,しかもその3基分だと880トンにもなる「きわめて有害で危険な汚染物質」として残されている。
ところで,当事者である東電(と政府)は,廃炉作業が完了させる時期を2051年に設定している。デブリ(原発事故では一番の超やっかいモノ)という物体の「取り出し作業が完了できる」時期を,事故発生から40年後に区切っている。けれどもいままで,デブリを本格的に取り出す開始の時期そのものが,ベタ遅れ状態を常態としてきたゆえ,もとよりその達成はより困難になっている。
というよりは,そのデブリ取り出し作業は「2011年事故発生から⇒15年が経った2026年2月末日:本日」になっても,なんら具体的な進捗がみられなかった。この実績に照らしていえば,現場における作業の様子も考慮していうに,これから15年あとの2041年や,25年あとの2051年の時点で完了させるというのは,とうてい無理難題である。
補注)早稲田大学の松岡俊二教授は,福島第1原発の廃炉完了をめぐり政府の「30~40年」という計画はあまりに短すぎると指摘し,「170年でも楽観的」という分析を提示していた。
とりわけ,デブリ(溶け落ちた核燃料)の取り出し難航や,放射性廃棄物の最終処分場確保の困難さを背景に,長期におよぶほかない複雑なプロセスを強調していた。
断わっておくが,大事故を起こした東電福島第1原発の現場に関した話であるから,通常の廃炉をあつかう要領でもって,その工事に要する時間がどのくらいになるか,そう簡単には見積もれていなかった。通常の廃炉の場合,早くて片付いた場合でも,その実績に照らしていうと最低30年はかかる。
ところが,東電福島第1原発事故は「事故を起こした原発」の現場を廃炉にする工事となる。付帯して要求されるさまざまな手間ヒマは,そう簡単には見積もれないほど多種・多岐にわたる。だから,それらの取り組みには「時間と費用と処理体制」の全般にわたり,格別の配慮・留意が必要となる。
2051年に廃炉作業完了だという東電側がかかげていた計画(日程表)は,机上の空論である。それにもかかわらず,いまもなお「正式の見解」としてかかげられていられるのだから,ずいぶん悠長かつ奇怪なる「同社の基本姿勢」であった。
チェルノブイリ原発事故の現場は現在,第2代目の石棺で覆われる状態になっている。こちらは最初からデブリの取り出しなど想定外どころか,そもそも不可能だとみなしていた証左が,その石棺の存在である。
日本の東電福島第1原発事故の後始末に関しては,地元住民などの意見が石棺工事には反対だったという経緯もあった。しかも実質的に,デブリ取り出し工事がまだ全然手つかずの状態であるなかで,「いつになったらに取り組みはじめることでき完了できるか」といった話題じたいが,雲を摑むような性質の問題にならざるをえなかった。
だから,このままデブリ取り出し工事を進める予定を机上で立てたところで,この着手が,いったいいつになったら可能になるのかまったく見通せていなかった。
そのような「日本の事故原発関連の事情」が残されたまま,これからも原発の再稼働や新増設までも敢行すると決定していた岸田文雄政権以来のエネルギー政策観念は,自分のお尻に着いている火災「問題」がろくに始末すらできていない実状のなかで,
そのように原発の電源に占める比率を2050年には--以前は2040年を目標に設定していたそれだったが,これをさらに10年繰り延べるという遅延措置を咬ませて2050年にまで延ばして--「20-22%」にまで引き上げるという算段をもくろんでいる。
ところで,以前のいいぶんではその原発の電源比率をなぜか「22-20%」と表記していたのだが,この数値を逆に表記したところには,なにか「よからぬ魂胆」が秘められていたと観察することも不可能ではない。「22~20%」に対して「20%~22%」という数値の表記に,あえて差があると解釈したうえでこれになんらかの意味を汲みとることができない。
2 原発の廃炉にかかる経費が各種発電方式のなかではダントツに高い事実は,これから徐々に明らかになってくるわけだが,この問題にはどこまでも触れないで済ましておこうとするのは,ほかのあらゆる電力生産方式(とくに再生可能エネルギーである水力・風力・太陽光など)に比較して原子力発電のほうが完全に劣位であったからである。
ましてや原発(原子力)が脱炭素だという偽説は,科学的根拠のない俗説であった以前に,そもそも「21世紀に作られた都市伝説」に過ぎなかった。原発を脱炭素の部類に分類しようとする発想じたいがまやかしであった。換言すれば「タメにする主張や議論」であった。
ここで,原子力資料情報室のホームページのなかに指示されていたつぎの関連する表,東電福島第1原発事故の後始末にかかる経費(コスト)一覧を,紹介する。中身の数値を,この表からいちいち引き出したかたちにしておき,これをつづけて文章的な記述に引きなおしておきたい。

◆ 費用は青天井,責任の所在は? ◆
福島第1原発の事故処理にかかる費用の総額は,23.4兆円(2023年12月時点)とされているが,燃料デブリの処分費用などは算定されていないので,実際にはこれよりもかなり多くかかる。事故処理費用は東京電力だけでは負担しきれず,多くの税金が投入され,電気料金にも上乗せされており,広く一般市民に「ツケ」が回されるかたちになっている。
「金額」=「廃炉・汚染水 8兆円」+「賠償 7.9兆円」
+「除染 4兆円」+「中間貯蔵 1.6兆円」(交付国債枠:13.5兆円)
⇒「総額 21.5兆円」
「負担者」
東電=「廃炉・汚染水 8兆円」(毎年約3000億円を廃炉等積立金に積立予定,うち約3分の1は託送収益から捻出)
+「賠償 2.7兆円」(一部小売原価参入)
+「除染 4兆円」(国が出資した1硝煙の株式売却益を想定)
⇒「総額 14.7兆円」
大手電力「賠償 2.7兆円(全額小売原価参入可,ただし一部事業者は未参入)」
託送収益「 2.4兆円」
国 「中間貯蔵 1.6兆円」
以上の総額のうち「東電実質負担」は 6.7兆円であり,「国民実質負担」は10.7~14.7兆円である。
以上の註記)
注1 廃炉・汚染水の8兆円について,毎年3000億円を積み立て,その内2000億円を託送以外の収益で回収した想定で計算。また賠償の 2.7兆円については,過去の一般負担金·特別負担金の支払い状況から,年 1000億円を支払い,内 500億円を特別負担金(小売原価算入対象外)として計算した。
注2 東電負担分について,廃炉·汚染水の8兆円については,毎年3000億円を積み立て,その内1000億円を託送収益で回収した想定で計算。また賠償の 2.7兆円については,過去の一般負担金・特別負担金の支払い状況から,年 1000億円を支払い,内 500億円を一般負担金(小売原価算入対象)として計算した。また,除染の4兆円については株式売却益がなかった場合を考慮した。
註記
以上について原子力資料情報室(原子力市民委員会)側の批判は,こう指摘し議論する。
「一般市民が負担しているにもかかわらず,『廃炉』の進め方,その費用や分担の割合などについては,国会でも十分にチェックされず,『ブラックボックス化』しています」。責任の所在を明確にしたうえで,情報公開や廃炉計画の検証が必須です」と。
一般市民の直接的な負担にせよ,国税を充てての原発事故案件に対する資金援助,それも10兆円単位になる支出は,原発の大事故というこの後始末なのである。したがって,なんら生産的な意義も実際的な効果もありえない「事故物件」に向けての,以上のごとき莫大な予算の支出(実質は浪費)を,東電福島第1原発事故はもたらしたことになる。
いまさらいっても詮ない事情になるが,それほどの予算が浪費されている「単なる原発事故の後始末予算のやりくり」なのであれば,この予算枠をそもそも再生可能エネルギー方面に振り向けることができれば,どれほど電力事情の未来に対して有益なお金の使い方になるかは,説明の必要もあるまい。
つぎに参照する『日本経済新聞』2016年2月26日朝刊の全面記事はいまから8年前の報道であったが,ここで,日本経済新聞社に訊きたいのは「原発大好き新聞社」として立場からだと,現状のごときに置かれている東電福島第1原発事故の現状は,いったいどのように「経済計算の見地」から,つまり「経済新聞の立場から評価するのか」という点である。

この記事はおのずとその帰結を語っていたのではないか。そうではなかったと抗弁するのであれば,これは同社の立場にとってみれば,詭弁ほどにもなりえないヘリクツになる。このような「現況ははたしていつになったら終えられるのか」?
3「トイレのないマンション」も同然でありつづけてきた日本の原子力発電事情のどん詰り状態,いいかえると完璧にガチガチであるその便秘状態
いまから22年も前(2004年)になるのだが,経済産業省のある人たち(特定のある役人集団)が,つぎのように『毎日新聞』が解説報道した記事(少し後段〔 ↓ 〕にかかげてある)に表現されるような行動を起こしていた。原発は「稼働したあとに残る使用済み核燃料の後始末が大問題として,どこの国の原発体制であっても問題になる。
以下はAIの解答であるが,情報元が経済産業省・エネルギー資源庁に依拠した説明なので,いささかんらず眉唾ものであるので,そのつもりで聴いてほしい。なお文体はこの記述全体に合わせる範囲内で補正をくわえている。
イ) 使用済み核燃料の主な処理・処分方法は,再利用可能なウランやプルトニウムを取り出す「再処理(核燃料サイクル)」と,再処理で出た高レベル放射性廃棄物を地下に埋める「地層処分」の2つに分類される。これらは再処理工場や貯蔵施設で冷却・加工・固化され,長期間の厳重な管理下で保管・処分される。
ロ) 使用済み核燃料の主な処理・処分プロセス
「冷却・一時貯蔵」…… 原子力発電所内で発生後,燃料プールや乾式貯蔵施設で数年から数十年冷却される。
「再処理(リサイクル)」…… 青森県六ヶ所村の再処理工場などで,使用済み燃料から利用可能なウランやプルトニウムを分離・回収する。この資源を「MOX燃料」に加工し,再び軽水炉で利用する「プルサーマル」も実施されている。
「 ガラス固化(高レベル廃棄物)」…… 再処理で残った高レベル放射性廃液を,ガラス原料と混ぜて固めた「ガラス固化体」にしする。これは熱を出し,放射能レベルが高いため,約30〜50年間の冷却・保管がなされます。
「地層処分(最終処分)」…… ガラス固化体をステンレス容器(オーバーパック)に入れ,粘土(緩衝材)で覆い,地下300mより深い岩盤に埋設し,数万年以上かけて放射能が下がるまで,人の環境から長期間隔離します。
その他,再処理をせずにそのまま最終処分する「直接処分」を採用する国もありますが,日本では再処理によるリサイクルを基本方針としています。
国土(地域・場所)の確保は無理と判断されている
以上のように説明されてきたが,現状の日本でおいては,使用済み核燃料の「再処理によるリサイクル」は実現するみこみがないまま,何十年も時間が経過してきた。しかも,これからもそのみこみは期待薄である。そもそも期待すら思うようにいっていなかった「使用済み核燃料の再処理によるリサイクル」とは,いまのところ「日本は幻想」でなければ,すでに「看板倒れしていた話」になっている。以前から,もともと無理筋であった「原発関連の一端事情」であった。
そこでネット上に関連する記述を探したところ,本ブログ筆者の購読紙である『毎日新聞』がつぎのような解説を与えてくれていた。筆者は『日本経済新聞』も購読しているが,このような記事は日経があつかうとまた別様の口調になるのだが,この指摘はさておき,ともかく以下に,『毎日新聞』の当該記事「全文」を引用する。経済産業省・資源エネルギー庁のいいぶんのマヤカシ性をよく理解させてくれる内容であった。
★〈迷走プルトニウム〉葬られた「19兆円の請求書」
反旗翻した経産官僚の懸念が現実に ★
深掘り 大島秀利『毎日新聞』2025年1月24日 05:30,更新 3月4日 17:04,https://mainichi.jp/articles/20250123/k00/00m/040/163000c=
(なおこの記事の冒頭には,2004年に作られた非公式文書『19兆円の請求書-止まらない核燃料サイクル』の画像が紹介されているが,ここでは紹介しない)
--原発の使用済み核燃料を再利用する「核燃料サイクル」は,再処理工場が完成しないままコストが膨張しつづけている。だが約20年前,この事態を予想し,警鐘を鳴らした経済産業省の官僚たちがいたことはあまりしられていない。なぜ警鐘は葬られ,政策は見直されなかったのか。
補記)そして,この『19兆円の請求書-止まらない核燃料サイクル』が執筆されてから早,22年もの歳月が経過してきた。この文書が指摘したのは,原発体制の「日本的な事情:トイレのないマンション状態」である。
原子力エネルギーを電力生産のために利用する国家としての日本の立場が,いまもなお内包させている「その無理さ加減」を,真っ向から実質的に批判したのである。
同時公開の記事があります(つづくここの段落は,以下の2つの記事のリンクが貼られていた)
・核燃料サイクル事業費,工場未完でも22兆円超 さらに膨らむ見込み
・費用かさみ続ける核燃料の「全量再処理」 利害絡んで進まぬ見直し
▲-1「見て見ぬふりはできない」
『19兆円の請求書-止まらない核燃料サイクル』。20数ページから成るこんなタイトルのスライド発表形式〔プレゼン風のという意味〕の非公式文書が国会議員やマスコミの一部関係者に配られたのは,2004年4月ごろのことだった。関係者によると作成したのは,経済産業省で原子力などを担当していた中堅クラスの6人だ。
文書内で請求書と表現されたのは,電気事業連合会がその〔2004〕年の1月に公表した資料「原子燃料サイクルバックエンドの総事業費」のこと。2006年から40年間で総額18兆8000億円がかかると試算していた。文書は「建設費用はうなぎ登りに膨らんでいる」「核燃料サイクルについては一旦立ち止まり,国民的議論が必要ではないか」と痛烈に指摘した。
当時,欧米各国は核燃料サイクルの中心となる原子炉の開発に失敗し,経済性にも疑問が生じていたため,構想からつぎつぎと撤退していた。ところが〔日本〕国内では楽観的な見通しで計画が立てられ,巨費の支出がみこまれていた。そうした状況下で経産官僚たちに課せられた任務は,巨費をいかに広く,薄くみえないように電気料金を通じて回収していくか,ということだったという。
補記)ここで注意したのは,なぜ核燃料サイクル事業を日本は止めないで,ズルズルとそのまま継続させているのかという点である。ただ,この問題は核武装に直接かかわるとだけ付言しておく。
〔記事に戻る→〕 「肥大化の恐れがある実態を知ってしまった以上は,国家公務員として,みてみぬふりをして国民を裏切るわけにはいかない」。今回,毎日新聞の取材に応じた官僚の1人は,「反乱」に踏み切った当時の心境をこう語る。2004年2月から約2カ月間,勤務時間外に議論を重ねて文書を作成した。
ここの段落のあいだには,メディアに公開された日本原燃の使用済み核燃料再処理工場。写真は中央制御室=青森県六ケ所村で2018年12月10日,佐々木順一撮影,という関連の段落があったが,この関連の資料・画像は割愛している。
問題提起の時期には意味があった。建設中の六ケ所再処理工場(青森県)で,放射性物質を実際に使用した試験がおこなわれる直前だったのだ。試験のあとは,長大な設備系統が高レベルの放射性物質で汚染されるため,工場を廃止した場合は除染や廃棄物処理に1兆5500億円かかると見積もられていた。
一方,汚染前に解体すれば,3100億円で済む。官僚たちには「試験が始まってしまえば,後戻りができなくなる」との危機感があったのだ。
▲-2 いまも正しかったと確信
しかし,2004年12月にウランを使った試験が強行された。作成メンバーだった別の官僚は,新幹線に乗っている時に「六ケ所再処理工場で試験開始」のニュースが流れるのを電光掲示板でみて,心底がっかりしたことをいまも鮮明に覚えている。2006年3月には,実際の使用済み核燃料を使った試験もおこなわれ,再処理工場は高濃度の放射性物質で汚染された。
試験強行は,再処理工場の建設中止によって,使用済み核燃料の行き先がなくなり,原発を止める事態になるのを避けるためだったとの見方が強い。結局6人のうち数人は,原子力の担当を外された。
問題提起から20年余りが経過したが〔この記事2025年1月24日,更新 3月4日〕は,再処理工場はいまだに完成していない。
当初の完成予定は1997年だったが,トラブルが多発し,安全対策の強化が求められるなどして延期が繰り返されてきた。2024年8月には27回目の延期が決まり,いまは2026年度完成予定だとされている。当初計画から約30年も延びたことになる。「請求書」の額はいまや22兆円を超えた。
「やっぱり費用は増えていたのだ」。官僚たちは問題提起が正しかったことをいまも確信している。「再処理工場は動かず,お金がかかり膨らんでいるのに,無関心な人が多すぎる。電気料金を通じて長年にわたり広く薄く負担しているのは国民なのです」【大島秀利】(記事引用・終わり)
再言するが,東電福島第1原発事故の後始末も,直接と間接を問わず実際には結局,われわれの支払った血税頼みになっている。原子力村の利害・イデオロギーの観点から,原発ばかりに力を入れてきたこの国のエネルギー政策は,根本から間違えていた。しかし,それでもなお止めるそぶりすらみせないでいる現状は,どのような本心があるからなのか?
電力生産体制のなかから原発を廃絶しておけば,その必要性などなくなる核燃料サイクル関連の設備の存続に,異様なまで執着しつづけるのは,実は経済産業省・資源エネルギー庁だけではなく,外務省だとか防衛省だとかの,つまり日本の政治権力中枢じたいの意向が控えていたからである。
青森県六ヶ所村に関連する国家予算の費消をみると,主に日本原燃株式会社が建設・運営する「核燃料サイクル施設(再処理工場,MOX燃料工場など)」の建設費および維持費,これら施設誘致に伴う電源三法交付金に大別される。
再処理工場の事業費は,前述のように「計画遅延と安全性向上工事の追加」ばかりが反復されてきた事情により,大幅に膨れ上がってきた。2025年6月時点での総事業費は,約15兆6200億円に達するという巨額をみこまれていた。
ところがそれでも,原子力核工学を専攻してきた東京大学の教員岡本孝司は,つぎのような原発発電コスト「構成論」を掲示していた。だが,これは未知あるいは不知なるコスト増大を想定外に追いやった作図であって,ご都合主義の立論に悪酔いした議論の一例であった。

この種の原発推進論
10年も以前の寄稿記事であったが,原子力村側の原発推進体制にはなんら変化はなかった。事実に即していえば,エネルギー問題を原子力でしか思考しようとしない(できない)固定観念によるアルゴニズムが,この種の原子力核工学者たちの定番的な立論を支えていた。
前段の岡本孝司「寄稿」のなかに添えられていたつぎの図解は,いってみれば問題だらけであった。この図解の味噌は,なんといっても「社会的費用を天井(フタ)なしで描くほかなかった」点にみいだせる。

岡本孝司「『もんじゅ』廃炉へ 上 核燃料サイクルは堅持を 国産資源の確保に不可欠」『日本経済新聞』2016年11月7日朝刊「経済教室」が,なんら恥じらうことすらなしにかかげたこの図解こそがまさに,「この問題だらけであった原発という施設(装置・機械)をめぐる会計問題」の「肝心なる味噌」が,それこそミソを着けるかたちで表出されていた。
その図解にはこういう数値が上から並んでいたが,問題なのが「事故リスク対応費用 0.3円~」であった。
「社会的費用」は「事故リスク対応費用 0.3円~」+「政策経費 1.3円」
「発電原価」は「核燃料サイクル費用 1.5円+追加的安全対策費 0.6円
+運転転維持費 3.3円+資本費 3.1円」
具体的に予測しておくべき金額となる
なんといっても,社会的費用を天井(フタ)なしで描くほかなかった点は,今後における原発会計(や廃炉会計)に必然してくるはずの大問題を,あたかも予防的に作図したつもりがあったかどうかはさておき,もとより「核燃料サイクルが国産視点」なのだ,といったふうに日本なりに関連づける理屈じたいが,なんともいいようがないくらいに,どだい不可解であった。
「そのサイクルが実現するみこみなどない」というのが通り相場であって,何十年もそのように留め置かれていた事実に対面していながら,いまさらのように,あえて過剰に期待までかけた見解を披露するのは,「核燃料サイクルが国産視点」だといったふうにまで,この日本国における原発事情風に関連づける理屈とともに,なにやら無理心中的にひどく不可解ないいぶんであった。
要するに,核燃料サイクルが実現するみこみなどまったくない。それでもなお,なにかこだわっているらしく,以上のような「原子力村の公式見解」めいた立論が,『日本経済新聞』にはときおり登場していた。
2026年2月8日実施の衆議院解散総選挙で画期的な大勝をえた高市早苗政権は,原発問題のこれからのもっていき方をめぐり,思わぬ蹉跌を犯さぬか懸念される。核武装? 国民生活はすでに安倍晋三政権のおかげでぼろぼろにまで追いつめられているのに,いまさら核武装してどこかの国にでも侵攻したいのか?
21世紀のいま,核戦争を始めためたらどの国であっても「始めた側の立場」をもって,地球環境の破壊者として事後,その重い責任を負わされる。戦術核? 冗談はよしなさい。小さめのそれであっても,広島・長崎より性能の高い武器でもある事実(数ktから数十kt ⇒広島型原爆は約15kt)をしっての発言か?
補記1)戦術核や核兵器の爆発力を表わす単位:「KT(kt,キロトン)」は,TNT火薬 1000トン(1キロトン)が爆発したさいに放出されるエネルギーに相当する破壊力を示す単位。
補記2)日本という国はよく観てみるまでもなく,「核兵器の代替」「目標」になりうる原発が全国にわたり点在している。日本で最近首相になった女性が,なにかのきっかけで「〇〇有事は日本の存立危機事態」なのだから,「某国への先制攻撃をするのだ」などと半狂気になってしまい,つまり「イキり切って戦争」をおっぱじめたときにはすでに,その某国からのミサイルがこの日本の原発の何基かに向けて発射されているかもしれず,そうなったらこの国は本当に「一貫のお終い」である。
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【参考文献】
