明治期帝国主義時代からの家制度・家族主義観にもとづく同姓使用強制の問題(その3)
「本稿(その3)」は以下の承前である。
1「本稿(3)」が記述する中身は2015年がひとまず基準基点に据えていたが……
「となっていた」が,一昔前の時点でとりあげた本稿の内容は,すでに「本稿(1)から(2)へ」と相当の分量を充て記述してきた。
だが,問題の性質上,いいかえれば,いまだに,いっこうに顕著なる進展,改善が実現させえてこなかった「夫婦別姓制度の否定や忌避」にまとわりつく,旧態依然の「日本なりに畸型でもある後進国風の事情」,
すなわち,いままで全然改革されえなかった,夫婦同姓に対する『完全に時代錯誤の異様なこだわり具合』を,根本から討議する〈連続モノの論説〉になっていた。
2 明治時代に意図的に創られた家制度の「観念」であったからには,21世紀の現在にあっては基本的な視野を広げ,抜本改正が必要不可欠である
つぎの統計図表は「本稿(2)」で提示した資料であったが,こちらでも再度参照する。この図表は,「婚姻と離婚の件数」が年次ごとに推移してきた趨勢を表現しているし,さらには少子化の絶対的な傾向もついでにいったらなんであるが,ありのままに表現・指示している。
要は,現代日本における家・家族の問題をめぐり,より今日的な観点として理解すべき必要性のひとつは,このような統計図表が示唆する日本社会の家・家族(世帯)の現実そのものを,どのように受けとめて再考するかというところにありそうである。
その前稿で既出だった統計図表をここでもう一度参照する。

2025年は約48万9000組(微増)と約17万9000組(減少)
以上3年間の趨勢については母数集団とこれを囲む経済社会情況との
突き合わせが必要でありここに出ている統計だけでは軽々に判断できない
本文に戻る前につぎの引用枠内に関連する解説を引用しておきたい
藤永 匠「〈経済・政策レポート リサーチ・フォーカス〉
No. 2025-071 婚姻数の増加の要因と今後の展望」
=『日本総研』2026年3月24日,
https://www.jri.co.jp/page.jsp?id=113655 =
コロナ禍で急減した婚姻数が増加に転じている。厚生労働省の人口動態統計速報値によれば,2025年の外国人を含む婚姻数は,前年比+1.1%の50. 6万組となり,これにより増加は2年連続となった。
婚姻数が増加に転じた背景には,コロナ禍における急減からの反動にくわえ,若年人口の下げ止まりがある。これは,1990年から2000年までの出生数が年間120万人で安定していたことによるもので,この世代がいま,結婚が多い20 歳代後半から30 歳代前半となり,婚姻数を下支えしている。
地域別にみると,東京をはじめとする大都市での急回復の影響が大きく,地方部では依然として減少が続いている。地方部で婚姻数の減少局面から脱することができないのは,地方での核家族化の進展や男女比のバランスの悪さが影響していると考えられる。
東京都で婚姻数が急増した理由として,豊かな財政力を背景とした手厚い少子化対策(結婚支援,児童手当の充実,妊娠子育て期の切れ目のない支援,その他さまざまな無償化政策)に取り組んでいることや,保育所の不足が解消されたことによる子育て環境の改善,
さらには共働き夫婦の増加に伴う通勤の負担を減らす居住地選びなどにより,結婚,出産を望む若い世代が,都内,とりわけ都区部に集中する動き,などが指摘できる。東京都では出生数も増加に転じた。
地価・住宅価格の上昇にもかかわらず,都内の婚姻数・出生数が増加に転じたことは,都の支援策を子育て世帯が好感していることの表れといえる。
ただし,天井知らずの東京都区内の住宅価格・家賃と手厚い少子化対策により,今後,低所得の子育て世帯,および支援の外に置かれた子どもをもたない世帯にとっては,都内に暮らしつづけることが難しくなり,ジェントリフィケーションとも呼べる状況を生む可能性がある。
補記)ジェントリフィケーション(Gentrification)とは,低所得者層が
多く暮らす古い地域が再開発や民間投資によって活性化され,若い富裕層
や中間層が流入して高級化する現象を指す。街の治安向上や税収増といっ
たメリットがある反面,家賃の高騰により古くからの住民が立ち退きを迫
られるなど,深刻な社会問題を引き起こしている。
〔記事に戻る→〕 また,大半の自治体が,財政的に東京都に追随することは困難であるため,無償化政策や現金給付については,全国同一の水準に揃えられるよう国による財政的補完を検討することや,国と都が「支援策をどこまで手厚くするか」について調整を図ることが必要となろう。
経過的な現象は今後すぐに確実にその効果を薄めていく
さて,いまではともかく,3組結婚したらそれと併行的には1組の夫婦が離縁しているという現状がある。選択的夫婦別姓についてすら強引に反対する一部の頑迷勢力が盤踞するこの日本の政治社会なかで,しかも彼ら・彼女らの頭の中に構築されている,つまり,日本の醇風美俗として郷愁的に想像できている「夫婦像・家族像」が,絶対的かつ決定的な模範型として狂信されているなかにあってなのだが,はたして,「その理想像を実現させる」ために具体的に要請されるはずの「社会政策の具体像」が明確にに示されたことはない。
彼ら・彼女らのやったことといえば,2023年4月に発足した「子ども家庭庁」の官庁名を,当初構想された「子ども庁」から変更させたことぐらいであった。このような「子ども」に対する観念では,例の『赤ちゃんポスト』(こうのとりのゆりかご)という現実問題は,まともに対応できない。
その『赤ちゃんポスト』は,さまざまな事情で育てられない乳幼児を,親が匿名で医療機関に託せる緊急避難的な制度であり,遺棄されて亡くなる子どもの命を救う「最後のとりで」として機能している。国内では現在,熊本県と東京都の2カ所の病院で民間主導により運営されている。
少子化ウンヌンはだいぶ以前から強く意識され,かつやかましく議論されてきた事情経過があったのもので,こちらのより現実的でありえた問題への取り組みは,「子ども家庭庁」のほうはそしらぬ振りである。
どういうことか?
子ども家庭庁は,その「赤ちゃんポスト」(こうのとりのゆりかごなど)について,「子どもの出自を知る権利」や「母子の福祉」に関わる慎重な議論が必要であるという立場を採っているという。しかし現在まで,国としての対策は公的に制度化しておらず,医療機関や自治体の民間主導による取り組みしかなされていない。
そのような勝手気ままで,自分たちの明治謹製風の時代がかった「家・家族観」ばかりを昂揚させているうちに,時代は少子化の傾向がどんどん深まる潮流に対して,なんら有効な「国家次元における社会政策」を講じる意向はない。
そのくせ,夫婦同姓が問答無用に絶対的に好ましい「現代風の家庭・世帯」をつくるための必要条件だと確信する「観念論」が,どれほど錯覚にとらわれかつ誤認に陥っているかに無知であった。この事実は,いまでは押しとどめることが不可能である少子化傾向が,時間の経過とともにヨリ深まるっていく時代状況を表裏の関係にあった。
とりわけて奇妙なことは,『教育勅語』の世界に浮遊しうる観念論議があれば,この21世紀における少子化問題まで解決でき,明治製の「家・家族」の制度ろを一気に構想できるはずであった。しかし,彼ら・彼女らが抱くその「理想的な家・家族像」のためには,いったいどのような国家の立場からの施策が必要になるのか,この肝心な条件に関した具体的でかつ有効性ある提言がなされたことはない。
つまり,その旧来からの制度の「一環としての同姓維持」,これに対応した「選択的夫婦別姓であっても大反対」という19世紀的な痴偽のイデオロギーが,大きな顔をさらして闊歩する小世界が,この国のなかには実際に闊歩している。選択的夫婦別姓すらもけっして認めないとする頑迷固陋の勢力が,そもそも政権党である自民党内に一大勢力としてのさばっているとなれば,事態はすでに深刻だという以上に救いがたい局面にまで到達していた。
そんなこんなことにこだわっていいつづけているうちにこの国は,森嶋道夫『なぜ日本は没落するか』(岩波書店,1999年)が公刊されてから早,四半世紀余が経ったところで,自国のほかの経済学者からも「衰退途上国」だと判定される始末になっていた。だが,それでもなお『教育勅語』的な世界観を憧憬する「アンポンタン」の保守・右翼・反動の政治屋たちが,けっこうな勢力で自民党内には生息している。
教育勅語をたまわった当人が〈何人もの側室:めかけ〉をかかえていながら,その人物が別途,道徳的・倫理的なあり方を国民(臣民)たちに説いたという関係は,どう考えても納得がいくわけすらありえない「19世紀旧民法の日本社会観」を指示していた。
【参考資料・説明】

2 離婚ということば
1) 離婚に関する時代ごとの「趨勢と観念」
日本において実は,19世紀末の離婚率が比較的高かった。そして,太平洋戦争の敗戦に向けて,漸減していったのは意外に思える。
それは江戸から明治に時代が変わり,さまざまな法令が定められ,そのなかに家制度(1898年制定の民法で規定された家族制度)の概念が浸透していったことが原因である。みかたを変えれば,江戸時代は離婚に関してもある程度緩やかな考えだったことが分かる。
補注)以下に挙げる図表は20世紀に入ってからの「婚姻関係」の統計図表である。「離婚」の問題と相対し,そのする前提となる資料として,ここに挿入しておくことにした。太平洋戦争時あたりで統計が欠落しているが,戦争の影響がこのような場面に反映されていた。日本全体の人口減少は21世紀の初めの10年代から実質始まっていた点も,これらの統計図表から読みとれる。


太平洋戦争が終わると,婚姻率の上昇と合わせるかたちで離婚率も上昇したあと,1960年代までは漸減。その後,ゆっくりと上昇に転じる。1980年代後半には婚姻数・率の減少に影響されるかたちでやや凹みをみせるも,再び上昇を再開する。2000年代初頭にピークを迎えたあとは,婚姻率の低下に連動するかたちで,再び漸減傾向をみせている。
なお,ごく当たりまえの事実をいうことになるが,婚姻しなければ離婚はできない(しない)。また,離婚率は「人口比」の関係では,婚姻している人たちが少なくなれば当然,離婚の可能性がある対象者たちも少なくなる。ちなみに,2014年における離婚件数は22万2107件,離婚率は 1.77( /1000人)であった。
その数字を婚姻率に関連させて計算をすると,要は「婚姻3件」あるとほぼ「離婚1件」という現状が,当然に明らかになる。「家・家族制度」が日本的な伝統としてあるのだと主張する人びとは,それなのにどうして,この国はそんなに離婚の比率が「結婚3件に対して1件」になるのかを,きちんと説明しなければいけないのだが,このあたりの問題になると,具体的には誰もいわない。沈黙は金……。
2) 「離婚件数 / 結婚件数」の掲載をとりやめた理由
離婚件数と結婚件数の推移を精査したよい機会でもあり,ややトリビア〔末梢〕的な話となる。
定期的に更新している『日本の婚姻率・離婚率・初婚年齢の推移をグラフ化してみる』などにおいて,以前の更新記事では「離婚件数 / 結婚件数(結婚件数に対し離婚件数がどれだけ多いか)」を掲載していたが,現在ではとりやめている。
というのも,それは平均寿命の伸び,初婚年齢の上昇,結婚や離婚に対する意識の変化などを受け,「婚姻件数」と「離婚件数」,いいかえれば「婚姻率」と「離婚率」の連動性が低下しているからにほかならない。
補記)ここでは「直近では婚姻率 0.41%・離婚率 0.147%… 婚姻率・離婚率推移(1899年以降版,最新)」『ガベージニュース』2023年10月27日 02:42,https://garbagenews.net/archives/1892492.html
『ガベージニュース』としての,この2023年時点でのいいぶんは,事後も同文として反復される段落となっていた。
もっとも,その連動性が低下してきたからといっても,その比率関連が完全に無意味となってしまうとまでは,なにも確言できない。いってみれば人口統計上,関連する結婚問題がそれほどにまで,「少子化」の問題に対して形式や内容の両面から影響を与え変質させてきた点だけは,よく理解しておく必要がある。
以上の『ガベージニュース』に公表された不破雷蔵の分析・解説を聞き,議論をいくらかしたところで,前段に触れておいた旧習・頑迷派の抱く「家制度や家族制度観的な観念・イデオロギー」のうちでも,とくに「結婚」をめぐり吐かれていた意見は,現実社会の動向や趨勢を踏まえていた中身にはなっていなかった。
ただ「オレ・わたしはこう思う」程度でしかなかった,きわめて一方的で勝手なないいぶんが強調されていただけであった。いわば,明治民法「以来」だったはずの〈伝統文化的(?)に洗脳状態のまま堅固に維持させてきたつもりの自身の考え〉だけが,ひたすら条件反射的にいわせた観念的イデオロギーの発露だけがめだっていたのである。
離婚率は敗戦後に増えだした。かといって,まさか民主主義が悪いのだ,このせいなのだ,というわけにはいくまい。敗戦後の「自由と民主主義」「高度経済への発展実現」という「政治と経済の諸要因」が,離婚増加をもたらしたひとつの基本原因と考えられる。そういう前に,婚姻の件数そのものが減少してきた基本趨勢にも即して分析・判断・評論する余地が,大いに生じていた。
けれども,「旧態依然の頭脳構造の持主である彼・彼女らの意見」は,21世紀のいまごろになってもまだ,別世界・別次元において固着した発想としか受けとれないほど,現実遊離的な理解にこだわりつづけている。
そもそも,男女平等の政治理念などなかった敗戦前の結婚観(女性には参政権がなかったではないか)を,ただちに現在にまで引き出して比較するのは「能がない」というか,あえてなのか「比較しにくい比較」を承知(?)のうえで,その種の比較を試みるという〈見当違いの立場〉が,恥じらうこともなく昂揚されていた。そこではボタンのかけ違いどころか,衣服を裏返しに着こんでいる自分の姿を,鏡に写してみることさえなかった「唐変木の真価」が暴露されていた。
確かに,人によっては,姓が変わると自己喪失感をもつこともあるかもしれない。一方,愛のかたちは,戸籍上の夫婦の間柄にしか存在しえないものではない。また,戸籍まで一緒になると選択した以上,ひとつの名前になるのが当然だと思うのも自由であって,他人がとやかく口出しする感性ではないかもしれない。
姓がひとつになりたくなければ,結婚しなければいい。夫婦別姓にしたい人も,社会のなかで生きている。最高裁が下した判決にも冤罪がある。違憲判決が出たとしても,ただちに法改正をするのではなく,国会での議論が必要である。
以上に記述した別姓に関した議論は,政治家の亀井静香の意見を参照しつつ混ぜこみながら,試みたものであった。だが,この亀井の発言そのものがかなり乱雑であって,議論をする側の立場からはその主旨を整理するのに困難もあって,かなり困らせるような粗忽さも含まれていた。
そこであらためて問題にならざるをえないのが,日本の「戸籍」制度の由来・過去である。この「戸籍」の問題については,植民地時代に日本の戸籍制度が導入されていた韓国が,2008年から画期的な変更を実施していた。くわしい説明はここではできないが,本日の議論全体に関連する知見がえられると思い,ごく簡単につぎのようにだけ引用しておく。
3) 韓国戸籍制度の変更
以下に紹介する分だけを読んでも,日本の戸籍制度がいかに時代遅れであるか理解できるはずである。もっとも,日本政府はこの戸籍制度が世界におけるほかの国には絶対にありえない,とてもすばらしい国民家族管理制度だと確信しているので,けっしてこの戸籍制度の根幹そのものを変更する意向はないと思われる。
=韓国戸籍制度の変更=
★-1 戸籍法に代替する法律の制定
戸主制廃止にともない,戸籍法に代替する法律として「家族関係登録等に関する法律」が制定(2007年4月27日),法律第8435号として公布(2007年5月17日)され,西暦2008年1月1日付施行されています。
★-2 新しい法律の通過および施行の歴史的・社会的意義
憲法裁判所の憲法不合致決定および民法改正により,戸主制が廃止されることが確定した西暦2005年から2年余りが経過した西暦2007年,従来の「家」中心の戸主制に代替する新しい制度が確立され,個人の尊厳と両性平等の憲法理念が具体化されることとなりました。
また,この法は西暦2008年1月1日より画期的に変更された家族制度の手続法であり,
1 父性主義原則の修正
2 姓変更
3 親養子入養制度
※「入養」とは「養子縁組」のことを指します。
※「親養子入養」は日本における「特別養子」に相当する。
(つまり実親との親子関係を断絶させる)養子縁組の制度です。
など,新しい制度が実施されています。
★-3 戸籍制度の廃止と個人別家族関係登録簿編製の新設
個人別家族関係登録簿の編製。戸主を中心に家単位で戸籍を編製していた方式をあらため,国民個人別に「登録基準地」に従って家族関登録簿が編製されています。
……家族関係登録簿は,従来の韓国戸籍(※現在は「除籍」)の記載事項を基礎とし,コンピュータを利用して個人別に自動作成されています。
したがって,従来の韓国戸籍(※現在は「除籍」)にすでに掲載されていた人については,家族関係登録簿作成のために別途に申告する必要はありません。ただし,西暦2008年1月1日以後に出生した人は既存の戸籍がないため,出生申告により家族関係登録簿が新たに作成されます。
★-4 従来の戸籍制度にもとづき「家」単位で発給(交付)されていた「韓国戸籍謄本」と,新しい韓国家族関係登録制度にもとづき「個人」単位で発給(交付)されるようになった各種「登録事項別証明書」の相違点を比較した,「様式見本」(pdf)がございますのでご参照ください。
註記) 「〈韓国戸籍(家族関係登録)制度・韓国領事館情報〉韓国の新しい家族関係登録制度(※西暦2008年1月1日施行)の概要について」『在日コリアン支援ネット K-SUP. NET』,http://www.k-sup.net/kosekiemb/familyregist
韓国はもともと夫婦が別姓の国である。そのなかで,2008年から以上のように戸籍制度の廃止し,個人別家族関係登録簿作成を用意・整備していた。
さて,ここにおいていきなりとなるが,前段で紹介していた政治家亀井静香の意見であった「日本では昔から姓を使っていたわけではないが,すでに,家族が同じ姓になるという文化が定着している。姓は,家族共通の標識。一体感をつくっていることは間違いない」という主張と突きあわせてみるのも,興味ある比較になる。
亀井が「間違いない」といい,これからも守っていくべきだと主張する「日本国における明治以来の家制度・家族主義」にまつわる「既定観念」らしきものが,いまの時代にあってもはたして,昔の時代となんら変わりなく通用するのだ,これは「間違いない」ことなのだと確言できるかといえば,これは間違いなく「間違い」だと断言できる。
韓国は従来「夫婦別姓」であった。この点はいまも同じであるが,亀井風の表現を借りて,つぎのように文章を作ってみるが,このように表現したところで,けっして不適切な指摘になるということはあるまい。
「韓国では昔から……すでに,家族が別の姓になるという文化が定着している」が,それでも,同じ家族内に存在しているこの異なる「姓は,家族共通の標識」たりえなくとも,この一家が「一体感をつくっていることは間違いない」
しかも2008年から韓国は,前段で触れたように,以前の「戸籍法に代替する法律」である「家族関係登録等に関する法律」を制定していた。
3 『朝日新聞』『日本経済新聞』2015年11月4日朝刊1面コラムの皮肉な論調
1)「〈天声人語〉別姓,最高裁を動かすか」(『朝日新聞』2015年11月4日朝刊)
その文章にはしごくもっともなことが書いてある。いわく,日本では近年,結婚や家族のかたちがとても多様化し,そのあり方に対する国民の意識も多様になった。家族のなかでの個人の尊重が,より明確に意識されてきたことも明らかだ,と。
▼ 最高裁の大法廷は1昨〔2013〕年9月,婚外子を遺産相続で差別するのは憲法違反とする初の判断を示した。その理由の一端が引用した一節である。遅すぎたと評されたが,画期的だったことも間違いない。
▼ 大法廷は1995年には合憲としていた。すなわち,司法の判断は変わりうる。では,どんなときに変わるのか。先〔10〕月末にあったシンポジウムで,憲法学者の青井未帆(みほ)さんが大法廷の変化に触れ,「最高裁は社会をよくみている」と述べた。
▼ 婚外子差別を解消する法改正を国会は怠ってきた。一方,差別は許されないという感覚が社会にしだいに広がった。最高裁はいわば社会に支えられて違憲と断じ,国会に対応を迫ることができた。逆に社会が動かないと最高裁は動かないと青井さん。
▼ 同じメカニズムが夫婦別姓の訴訟でも働くだろうか。きょう,大法廷で当事者が意見を述べあう。結婚や家族の多様化,個の尊重という冒頭に引いた変化は,別姓の議論にもそのまま当てはまるのだが。
▼ 国会はここでも動かない一方,社会は旧姓使用を広げる方向に動く。「家族の絆が壊れる」との根強い反対論については,安倍内閣が最近見解を示している。「壊れるかどうかを客観的に判断することは困難」と。
現在(2015年当時)の安倍晋三政権は「未来志向」を唱えていた。けれども,その本心は「『戦後レジーム』の否定」にあった。だが,そのかぎりでは,明治帝政時代への〈ふたしかな郷愁心〉としてしか,家制度・家族主義「観」に関連する諸概念を示しうるはずがなかった。
時計の針を逆回ししたかのような「家・家族の観念の逆走」を妄想することじたいは勝手であっても,しょせん,安倍晋三君1人だけの寝言であってまさに「寝言は寝ていえ」のたぐいでしかなかった。
こんな晋三君が第2次政権では7年と8カ月も総理大臣についていたのだから,この国の全般がマスマス傾いていったのは理の必然というか,日本国特有の自民党政権的な悪法則だとさえ思わせた。
そしてなによりも,保守・反動・国粋・極右にとって重要であるはずのその基本精神が,まともに公表できるようなかたちを採った政治理念として示しえていないのは,結局,「旧来の家観念・家族主義」もどきの時代観念しか頭中には用意されていなかったせいである。
安倍晋三政権は,家制度問題に対する一般社会の動向だとか,これを最高裁がどうみているかなど,お構いなしに,自分たちが観念する「旧来・伝統型(?)の家族一体〈感〉主義」がありえたかのように錯覚したまま,必死になって〈そのなにか:「青い鳥」?〉を探していたつもりにみえた。
そのあたり問題性を簡単にかつ端的に表現すれば,明治帝政時代の封建主義を範型にしたかのごとき,いまどき求めるには,とてもではないが至難になっていた,どこかにあるかもしれない〈理想的な家族一体感〉を強く希求していたことになる。
ここでつぎのNHKのニュースを挿入しておくが,このような深刻な社会問題が現象せざるをえない状況のなかで,明治謹製の民法的な「家・家族観」をいまどき高らかに吹聴するのは,まったくに時代錯誤である。

そもそも家族として世帯,同じ屋根の下に同居するその人数はいまや,つぎの図表に表わされた水準まで低くなっている。この傾向はさらにじわじわと進む。この図表から単純にいうと,日本における世帯の平均人数は「ほぼ2人」になるし,先にはもっと減っていく。


3人世帯・4人世帯は逆方向に減っている
そうした事象を踏まえてさらに単細胞的にとらえていえば,「夫婦2人だけの世帯」にくわえて「単独の生活者」が多くなるほかない日本社会が,実際には四半世紀前から到来していた,という表現ができなくはない(もちろん,より正確にはもとほかの表現もあれこれとできなくはないが)。

初めて登場したのは1946年4月22日であった
福岡の地方紙『夕刊フクニチ』」にて連載が開始されたその当初は
東京ではなく福岡が舞台となりサザエさんはまだ独身であった
その後掲載紙が『朝日新聞』」に移され1974年まで連載されたが
このように3世代になる家族構成になっていた
この『朝日新聞』掲載の漫画『サザエさん』は
新聞朝刊に掲載される4コマ漫画の代表格といえ
それなりの「日本の家族」を念頭・背景に置いたそれなりの「家の物語」を描きつづけた
本日〔ここでは2015年11月5日〕の報道はとうとう「非正規労働者層」が4割にも達したという事実をとりあげていた。2024年になっても,非正規雇用の契約で働いている労働者階層(階級)の人びとは,そのなかに高齢者層を含むにしても,
★ 非正社員,初の4割 人件費抑制,背景に ★
=『朝日新聞』2015年11月5日朝刊1面=
厚生労働省が〔2015年11月〕4日発表した2014年の「就業形態の多様化に関する総合実態 調査」で,パートや派遣などの非正社員が労働者にしめる割合が初めて4割に達した。高齢世代が定年を迎えて正社員が減るなか,人件費を抑えたい企業が非正社員で労働力を補っている実態が浮き彫りになった。
調査は昨〔2014〕年10月1日時点。官公営を含む事業所約1万7千カ所と,そこで働く労働者約5万3千人にたずねた。非正社員の割合は40.0%。民間のみの調査だった前回は38.7%。
5歳刻みの集計では30~54歳で非正社員の比率が前回を上回った。1990年代後半からの不況で多くの若者が就職難になった「ロストジェネレーション」の世代などが,いまも非正社員のままでいる実態を示している。
非正社員を雇う理由として一番多かったのが「賃金節約」で38.8%だった。労働者が非正社員を選んだ理由は,育児などとの両立をあげた合計が33.4%と前回から8.9ポイント上がった。
以上のような言及がなされた時期に限らないが,女性が非正規労働者になった理由としては,「育児などとの両立をあげた合計が 33.4%と前回から 8.9ポイント上がった」という事情があった。非正規労働者になっても,賃金など労働条件面での待遇に関して,正規労働者と大きな差がなければいいのだが,いつまでもそうはたやすく改善(改革)しえない実情が,いまもなお根強くつづいている。
最近の,労働力調査(基本集計)2024年4月分(総務省統計局)は,日本国内の就業者数は6750万人で,前年同月比で9万人増加していたが,雇用者数が6087万人となり,前年同月比で30万人増加した点を報告していた。
しかし,その就業者の内訳をみると,正規の職員・従業員数は3666万人で,前年同月比で2万人増加,6か月連続で増加していたが,一方で,非正規の職員・従業員数は2084万人となり,前〔2023〕年同月比で20万人増加しており,8か月連続で増加となった。
非正規の職員・従業員の割合は,役員を除く雇用者に占める割合で36.2%となり,前年同月比で0.2ポイント上昇した。
註記)「2024年4月の就業率,前年同月比0.2ポイント上昇で61.4%に,女性の就業率も73.6%に上昇」『労務・人事ニュース』2024年6月8日,https://www.pacola.co.jp/ 2024年4月の就業率,前年同月比0-2ポイント上昇で61-4に/ 参照。
前段で氏名を出して触れた亀井静香のように,「愛のかたちは夫婦だけではない。戸籍まで一緒になると選択した以上,ひとつの名前になるのが当然だ。ひとつになりたくなければ,結婚しなければいい」などと,脳天気に発言していられるような「いまの日本社会における家・家族」関係をかこむもろもろの状況ではなくなった実際が,これからもつづく見通しである。
ところが,そうなってきたすえの現況にある事情が,これから大幅に好転する予想などできない。過去から現在まで何十年もの経過事情も併せて判断するに多分,これからも日本の労働社会の現実として,その方途のまま事情が継続していく可能性が大である。
亀井静香は警察官僚から自民党国会議員になった,それなりの上級国民的なエリート階層に属していた人間だから,以上のごとき,実に幸せな人生観を日本「上級国民」の1人として立場から,そのように講じることができていたのかもしれない。
だが,21世紀のいまどきごく一部の恵まれた社会階層にしか当てはまらない発言を自信をこめてしたところで,その説得が通じる対象はなかなかみつからなくなっている。これが現状におけるこの国のありようである。
日本の産業社会が形成すべきであった「勤労者のために必要な経済生活の基盤」そのものに関していうとしたら,日本国憲法第25条に謳われている最低水準,すなわち
(1) すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
(2) 国は,すべて の生活部面について社会福祉,社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
と規定していた条件,換言すると,これは「国民には生存権があり,国家には生活保障の義務があるという意である」が,この最低のギリギリ水準よりも未満で実際に生活している(なんとか生存している)階層に分類されるべき人びとが,生活保護すら受けないで日々の生活をしている現実があった。
ましてや「シングルマザー世帯」で,子どもたちが3食に事欠く実態がいつまで経っても,ボランティアの支援活動によって,その窮状がわずかに救援されているような現実は,故・安倍晋三や岸田文雄たち(「世襲3代目の政治屋」ら)には,とうてい理解できなかった,そもそも感覚的にも認知すらできない問題になっていた。
この国は「日本国憲法に保障する文化的・・ ・」にも達しえない賃金水準の「非正規労働者集団」を,大勢,存在させつづけている。日本の現状では,働くよりも生活保護を受けたほうがマシだという「冗談にもならない声」が出るのは,それ相応の事情があった。しかし,日本の現状としてはその権利を行使しない人びとが多い事実もまた,別の問題を特殊に提示するものとなっていた。
ここでは,2025年における平均年収に関して,つぎのように一通りの説明してから,次項 2) の10年前の話題に再び戻して記述を続行する。
国税庁の統計に基づく日本の平均年収は,全体で約429万円~478万円であり,その内訳は,正社員で約545万円,パートやアルバイトなどの非正規雇用を含めると約429万〜478万円である。それでも,同年中の企業の積極的な賃上げを背景に3から4年連続で上昇傾向にあったというのだから,ずいぶん低次元(低賃銀)の話題。
日本の民間給与実態統計調査および大手転職サービス(doda など)の最新動向を基にした統計によれば,男女別の平均年収は「男性が約487万円,女性が約370万円」だという(ただしこれは正社員比率や役職登用の違いが混ざりこんでいる金額であった)。
この年収487万円の男性と370万円の女性が夫婦になって,合計の年収約857万円でもってたとえば,東京都心山の手地域に住居(賃貸)を構えたとして,はたして余裕にある生活ができるか?
たとえば,東京都文京区の家賃相場は,ワンルーム・1Kで約10万〜13万円,1LDKで約21万円,2LDKで約27万円とのこと。都内有数の文教地区として治安が良く利便性が高いため,相場は全体的にやや高めとなっているとかで,2LDKの家賃だけで年収のほぼ3分の1をもっていかれては,またたとえば妻がお産のために離職などしたりしたら,この夫婦の生活経済はほぼパンク間違いなし。
そうなる前に,東京都内で家賃相場の安い葛飾区・江戸川区・足立区・練馬区・板橋区ならば,ワンルームの家賃相場が6〜7万円台前半と非常に格安の穴場となっているので,こちらに引っ越しでもしないかぎり,東京都内で暮らすにはきびしい。(以上の話は2025年から2026年に妥当する中身)
前段で触れた話題,子どもが出来た(儲けた)とき産休関係の制度がきちんと確保・実現されていない会社では,実に心もとない現実が待ちかまえている。
2)「コラム〈春秋〉」『日本経済新聞』2015年11月4日朝刊
「俺的には許せないね」。この手のいいまわしが広まったのは,そう昔の話ではなかろう。俺は,ではなく,俺的には。意味はほぼ同じだが,物事をあいまいにしたい逃げ腰な姿勢が「的」から透けてみえる。女性が嫌う男性の言葉遣いのトップ3に入るとの調査もある。
▼ 結婚した夫婦が同姓と別姓のどちらでも自由に選べる。民法を変え,そうした「選択的夫婦別姓」を日本にも導入しようとの活動が続いている。これに反対する人のなかに「私は家族同姓が好きだから」との声がある。選択「的」という言葉の分かりにくさから,すべての夫婦が別姓を強いられると誤解したのかもしれない。
▼ 「別(わかれる)」という字面も婚姻用語には不吉だ。いっそ「姓の自由選択」とでも名づけておけば,とっくに実現していたかもしれない。議論が俎上にのってからおよそ30年。実現すれば不便から解放される女性がかなりいる。誰かに迷惑もかけない。コストもしれている。歩みの遅さを合理的に説明するのはむずかしい。
▼ 反発する人の声から「自分と違う価値観をもつ人間が,とにかく許せない」との響きを感じることがある。しかし幸せを計る基準は人それぞれだ。さまざまな物差しをもつ人びとがのびやかに活躍できてこそ,この国の未来が開ける。きょう最高裁判所で,この問題に関する訴訟の最終弁論がある。じっくりと耳を傾けたい。
この日本経済新聞「コラム〈春秋〉」の意見は,ほぼ完全に別姓容認・推進の立場である。だが,夫婦が同じ姓でなければ,日本社会の「良き伝統文化」が崩壊するかのように,おおまじめ:本気で主張する政治家たちなどが,実際にはまだたくさんいる。
だが,いまの日本社会においては,いったいなにがより大事な問題になっているのか,あるいは,どこにいちばん切実な論点が隠れているのかといったことがらには目を向けないで,いわばピントはずれの議論をする人たちにかぎって,その種の意見に固執していた。
それよりも,若者が結婚したくてもできず,結婚ができて子どもがほしくても,非正規社員だから(とくに夫婦ともに)がまんを強いられている。「共稼ぎでようやく・なんとか」「世帯の経済生活」が成立している状況にあるから,そこまで考えられないというのである。
その程度・状況での生活水準しか確保できていない「非正規労働者層:4割(近く)」が存在しているほかない,現代日本の「経済社会・産業経営」の実情であるとしたら,少子化がどうだとか,いかにしたらこの課題が解決に向かうかなどといった議論じたいが,最初から基本的な要因を視野に入れない空論になりがちであった。
つぎの2画像でいえば,「利潤の増大」のためには「賃金の減少」がいちばん手っとり早い方法である。労働生産性といわれるものが,その核心に控えている。また「設備面の合理化の対象」が労働手段と労働対象である。こちらの合理化努力によっても,むろん利潤を増大できる。通常,企業会計においては「利潤」のことを「利益」と呼ぶ。

「利潤 ⇒ 不払い労働 ⇒ 剰余価値」
「利潤率=利潤 ÷(利潤+賃金+労働手段費+労働対象費)」
註記)http://www.slideshare.net/hidesys/ss-22916964 より。
前段に出ていた「非正社員を雇う理由として一番多かったのが『賃金節約』」であった。これはまさしく「古典的かつ現代的でもある」「資本主義経済体制(資本制生産・販売様式)」において「本来的な法則である利潤追求」が,企業経営の営利活動に対する「強制律として作用せざるをえない経済現実」を意味している。
21世紀になってよりいっそう緊密に国際経済化(いわゆる多国籍化し,グローバル化)したのが,資本制企業経営活動である。資本の行動原理には,基本,国境はない。
いまさらのように,19世紀後半にカール・マルクスがその根源から批判した『資本主義の根本的問題性=ぬきがたい基本矛盾』が,あらためて今日的に剥き出しになっている。
補記)カール・マルクスの経済学入門書として,橋爪大三郎,イラストレーション・ふなびき かずこ『労働者の味方 マルクス-歴史に最も影響を与えた男マルクス-』(現代書館,2010年)を挙げておく。
アベノミクス? 冗談もほどほどに……。あれからすでに10年以上タップリ時間が経過したが,まさに晋三「かく日本を壊したり!」であった。げにオソロシヤ,「世襲3代目の政治屋」のアンポンタンぶりだけは,超一級品であった。しかも,彼のやったことといったら,万事が3~4流品であったこことが,バレている。
それゆえ,この国を「会社の評判(コーポレート・レピュテーション)」になぞらえ,「国家の評判(ステート・レピュテーション)」としての格づけを試みるとしたら,「衰退途上国」としてしかも「後進国的な素性」すらも思いおこさせる〈昨今の様相〉ゆえ,「相当によくない(悪い)」という結末になりそうなので,ひとまずその判定はしないでおく。
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【断わり】「本稿(3)」の続編(4)は出来しだい
ここに指示する。
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【参考文献】
