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♯68サイドFIRE目前の今だからわかる。20年前、フィリピンの無謀な旅で掴んだ「生きるヒント」

こんばんは、40代のメガネです!

現在は地方公務員として安定した生活を送りつつ、米国株や暗号資産の運用で、ようやく「サイドFIRE」の入り口に立っています。

そんな私ですが、20年前は今とは正反対。リスクなんてお構いなしの、無鉄砲な旅ばかりしていました。

今回振り返るのは、私の初めての海外一人旅「フィリピン1ヶ月滞在記」です。

そこでは、圧倒的なホスピタリティと、人々の優しさ。 そこで直面した、開発支援の現実。を学ばせてもらいました。

発展を続けるこの国の熱い空気の中で、私が掴んだ「人生で本当に大切なこと」とは? 投資でも仕事でもない、生きるヒントを詰め込んだ20年前の記憶を、少しだけお時間いただき、覗いてみてください。


初日に突きつけられた「生死の境界」

20代前半の私は、非常にめんどくさい奴でした。人前では根拠のない自信家で、でも裏では本当は自信がない。そんなモヤモヤを抱えた人間でした。

初めての一人旅で調子に乗っていた私。平和な国に生まれた私。マニラに到着した夜、ガイドさんの「夜は危ないから飲み屋に行くな」という忠告を無視し、勝手な自信で夜の繁華街へ繰り出したのです。

翌朝、ガイドさんは険しい表情で言いました。 「昨夜、お前がいた店の隣で銃撃があり、人が死んだんだぞ」

事件は店を出たわずか1時間後。 生死の境界は運次第。同時に、それは自らの傲慢さが招き寄せるものだと痛感しました。

心配してくれたガイドさん、送り出してくれた両親への申し訳なさで一杯になり、謙虚に人の話を聞く大切さを学びました。当時の私は、自分や周りを大切にすることを十分に理解できていませんでした。大いに反省すべき出来事です。


国際協力の現場で見えた「光と影」

この旅の目的の一つは、国際協力の仕事への適性を探ることでした。

まず訪れたのは、南部の小さな漁師の島。さまざまな支援を行うNGOの活動に同行し、井戸掘りやフェアトレード支援に携わりました。

そこで見たのは、貧しさを再生産する構造でした。 ホームステイ先の漁師は、精一杯の敬意として、貴重なタンパク源である豚を1頭締めてもてなしてくれました。

普段の食事は、朝獲った魚を油で揚げて塩をまぶしたもの。そして一番印象的だったのが、漁村の数キロ先に巨大モールがそびえ立ち、若者が出稼ぎのために大都市へ吸い込まれていく構造でした。これは日本の都市と地方が抱える問題と同じだと感じました。

次にJICAの現場を訪れました。 NGOの人たちからは、「大規模なプロジェクトが進められているが、きめ細かさに欠ける」といった批判も耳にしていました。

「燃料代が払えなかったり、経営ノウハウがなかったりして、作動せずに錆びついたまま放置されているポンプがある」

そんな話を聞いていたので、少し緊張しながら現場を訪れましたが、そこで目にしたのは公的事業ならではの凄みでした。

現地の水牛にブルガリアの種を掛け合わせ、「種の保存」と「農家の基盤強化」を同時に図る。個別のNGOでは不可能な社会的意義を実感しました。

結局、この体験で私は国際貢献の道を一旦断念しました。出会った方々のモチベーションの高さ、現場の厳しさを前に、自分の非力さを痛感したからです。


バナウェイの街で飲み明かす――ローカルの普遍性

旅のもう一つの目的は、世界遺産の棚田で採れたお米を味わうことでした。

バスを乗り継いで9時間。「天国への階段」とも呼ばれる世界遺産、バナウェイの棚田を訪れました。

重機がない時代に、一体どうやって作ったのか。圧倒されるような景観でした。石垣の落差は2メートル超、それが何段も数えきれないほど続いている。日本の棚田とは異なり、山頂付近でも水量が非常に豊富なのが印象的でした。

そこで食べた伝統品種のお米の味は、日本の棚田米と驚くほど似ていました

現地で知り合ったガイドは、自宅に招いて家族に会わせてくれました。幸せな家庭生活を営む彼を、同世代として心から尊敬しました。

その夜の宴会では、ビートルズの「LET IT BE」や「SHE LOVES YOU」などを生バンドで歌わせてもらいました。その上で、

「日本軍の黄金について、何か知ってるんじゃないか?」

3次会の路上、地元の青年たちから半分本気で詰め寄られました。これはフィリピンで今も語り継がれる「山下財宝」の伝説のこと。終戦間際、日本軍が密かに隠したとされる膨大な黄金が、このバナウェイのどこかに眠っていると信じられているのです。

20年前のあの夜、私は彼らにとって「黄金のありかを知るかもしれない怪しい一人旅をする日本人」であり、同時に「一緒に酒を酌み交わす友人」でもありました。

ジンを一気飲みし、得体の知れない植物由来の粉をもらって酔いつぶれる夜。今思えば無謀すぎるリスクでしたが、彼らを「信頼」しきれたからこそできた、かけがえのない体験でした。

伝統を守り素朴に暮らすバナウェイの文化に、率直に感動しました。どこか懐かしさを感じるのは、かつて南方から海を渡ってきた人々のDNAが、私たち日本人にも受け継がれているからかもしれません。田舎にあるホスピタリティや人間味に癒やされる。これは人類共通なのだと学ぶことができました。


リスクの底を知ったからこそ、今の「最適化」がある

フィリピンの地は温かく私をもてなし、時に手痛い教訓を与えてくれました。

マニラの銃声、漁村の素揚げ魚、錆びたポンプ、バナウェイの棚田。 どれも日本におとなしくいたままでは体験できないことばかりでした。

この旅が教えてくれたのは、「冒険だけでは破滅する。でも、冒険しなければ得られないことがある」ということでした。

この教訓は、今の私の宝物です。 私が目指す「人生は安定と冒険の最適化」という考え方の、揺るぎない土台となっています。

本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。


私の大好きなルソン島北部のバナウェイです
(20年前に撮った写真を AI で加工しました)


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