[書評] カツカレーの日
みなさん、こんにちは。Naseka です。
私は 哲学者・書評家・エッセイスト として、
自らを定義しています。
SNSをやるようになって
早1年近く経とうというところ。
手探りでスタートし、
最初は全然目立たない中で
発信を続けた。
いや、今も決して
目立っているわけではないと思うが、
開始当初に比べたら
だいぶマシにはなった気がする。
「発信」を通して「交流」が生まれ、
友人と呼べるくらい
毎日親しく接してくれる仲間もできた。
おかげで日常生活にも
張り合いが生まれたと思っている。
だが よくよく考えてみると
不思議なもので、
それだけ親しい「友人」
あるいは「仲間」という人たちについて
私は顔も名前も全く知らない。
それはそうだ。
画面越し・インターネット越しにしか
接したことがないのだ。
日本人は奥ゆかしい人が多いから
アイコンに顔写真がついている人は
そう多くないし、
よしんば顔写真があったところで
それが本人自身のもので
あるかどうかなど知る由もない。
なんならその「人」と言っているが、
それが人である(bot でない)
保証すらない。
これだけ毎日
コミュニケーションを取って
互いに顔も名前も分からない。
でも、そこに確かなつながりがある。
今回の作品も、
そんな場面から物語が動き出す。
※ Amazonアソシエイトに参加しています。
「言葉を発する」ということ
SNSが…いや、
インターネットが普及する以前でも、
顔も名前も知らない相手と
つながる手段はあった。
文通だって そのひとつだろうし、
公共の場に備え付けてある
「ご自由にお書きください」的な
ノートも然りである。
Web を介した
現代の SNS こそスピード感があるが、
そうしたアナログな
コミュニケーションには
応答を受けるまでに時差がある。
それは現代人にとっては
もどかしい時間かもしれないが、
待つ時間があるからこそ
そこに思考や想像が生まれる。
書いたものが
誰かに宛てたものとは限らない。
それは自問自答の記録かもしれない。
心の中のつぶやきを、
そのまま書き出しただけかもしれない。
それでも文字として残した瞬間、
それは自分の内から飛び出して
誰かの目に留まる可能性を
持つようになる。
誰かの目に留まった文字や言葉が、
その人に何かを想起させる。
想起されたものは 新たな言葉となり
そのまま元の相手に
向かうかもしれないし、
それとは別の方向に
飛び出していくのかもしれない。
いずれにせよ、
どこかへ向かった言葉は
また別の誰かの元へと届く。
世界が巡り巡るものである喩え話に
「あなたの吸った空気の中には、
クレオパトラの溜息が混じっている」
なんてものがあるが、
まさしく あなたが目に留まった言葉は、
もしかすると過去に
あなたが外へ出した言葉の影響を
含んでいるのかもしれない。
言葉の力は今も昔も
日本における言霊信仰
というほどでもないが、
言葉には人を動かす力がある。
その力は何も
特別な能力を持った人しか
使えないわけではない。
見知らぬ誰かの
ひとり言にも似た些細な発信に、
目に留めた あなたが反応を返す。
落ち込んでいる発信に
励ましの返信をすれば、
相手は勇気づけられるかもしれない。
悩んでいる発信に助言を返せば、
相手はそれを基に自分がどうすべきか
答えを見出せるかもしれない。
それは
「今日の占いの結果が悪くてさぁ」
程度の軽い話かもしれなければ、
「私は結婚について
どう考えるべきだろうか」
といった重い話かもしれない。
実際、主人公の最初の発信は後者だった。
喫茶店のノートに 彼女が
何気なく書いた言葉をキッカケに、
結婚に悩む物語が進んでいく。
これを SNS やマッチングアプリが
隆盛な現代ならではの話と思うか。
はたまた 手書きのノートというところに
昭和レトロの香りを感じるだろうか。
この日本だって千数百年も遡れば、
文だけの
やり取りしかしたことのない
顔も知らない者と
結婚することもあったくらいだ。
現代文明の象徴スマートフォンの
アプリ越しに読んだその本は、
私の想いを陰陽師が活躍してた頃の
遠い昔に馳せさせた。
惜しむらくはその時代には、
日本にはカツカレーはおろか
トンカツもカレーライスも
存在しなかったのだが。
馳せる想いと浮かんだ疑問
声を聞きたければ電話があるし、
顔を見たければ写真がある。
会って話がしたければ、
待ち合わせて直接 会えばいい。
先人にとっては驚くどころか
理解も出来ないような技術に
囲まれた現代でも、人間同士の
コミュニケーションの本質というのは
そう変わっていないらしい。
声も顔も知らなくても、
「言葉」があれば
つながることができる。
悠久の歴史を振り返り、
日本人が大事にしてきた
言葉の持つ力を改めて実感しつつ、
私の頭には新たな疑問が離れなくなった。
陰陽師が活躍した時代のご馳走って、
いったい どんなものだったのだろう。
「平安時代なら『〇〇の日』だな…」
というように、さりげなく
呟いてみたかっただけなのだけれども。
こんな人にオススメ!
・西炯子ファン
・結婚できないことに悩む人
・「言葉の持つ力」を感じたい人
お読みいただき、
ありがとうございました。
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