"丁寧に教える" が最善なのか - アオアシ #17 -
「"教えた" のにできないのは、教えた側の責任」
「相手が理解して実践できて、
初めて "教えた" と言える」
以前 会社の研修で、
"仕事の教え方" というテーマで
上記のようなことを教わりました。
講師が言わんとすることは分かります。
先輩が いいかげんな指導で
後輩を放り投げると、
後輩は真面目に覚えようと思っても
理解できない可能性がありますからね。
たとえば先輩が
「あの仕事は、アレをこうして
テキトーにちゃちゃっと
やればいいんだよ」
なんて何が何だか
分からないようなことを言って
「私は彼に指導したので、
できない彼が悪いです」
と言われたら、
理不尽に感じると思います。
ただ、それでも私は思うんです。
手取り足取り相手が
理解と実践ができるまで
根気強く教えることが
本当に "正しい" のでしょうか。
実際に仕事やクラブ活動などで、
後輩を指導する機会を与えらえる人も
多いと思います。
そこで今回のテーマは
「 "丁寧に教える" ことの功罪」
サッカーのユース世代を中心に
人材育成と成長について描かれる
人気マンガ「アオアシ」から、
東京シティ・エスペリオンユースの
2年生CB・阿久津 渚 から
部下や後輩の指導法について
考えていきたいと思います。
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子どもじゃないんだからさぁ
最初に断っておきますが、
今回の教え方は 少なくとも
対象年齢ひと桁の子どもに対しては
考えないことにします。
極端な話、未就学児に対して
何かを教えようとする場合なら
それこそ懇切丁寧に粘り強く
接していく必要があるでしょう。
(私自身には子がいないので想像ですが)
その上で、仕事で働いていたり
自律的にクラブ活動に励むような
大人や中高生以上を教える場合を
前提に考えることにします。
その前置きを踏まえた上で
私見なんですが、
丁寧に教え過ぎるのも良し悪しだと
思うんですよ。
それこそ私も社会人として就職して
10年以上経ちますが、1から10まで
教わらないとダメというのは 思わず
「子どもじゃないだからさぁ…」
と言いたくなります。
まぁ学校を卒業して
社会人なりたてというなら、
多少は寛大に考えますよ。
或いは 本当に見るのも やるのも
初めての仕事だったら
仕方ないと思わなくもない。
でも、数カ月や1年以上
社会人として生きてきたなら
自分で考えて
自主的に学ぶということを
覚えるべきだと思うんですよ。
言ってみれば
社会人(会社員)なんて
新人だろうが若手だろうが
給料をいただいているわけ
じゃないですか。
学生なら まだ分かるんですよ。
教えてもらうために お金を "払って"
学校に通うわけですから。
でも 社会人は お金を "もらって"
働いているわけですよね。
それでどうして学生と同じように
手取り足取り教えてもらえると
思えるのでしょうか。
お金をもらっているのは
会社(組織 / チーム)に貢献するため。
そう考えれば、
「できないのは仕方ない」ではなくて
「早くできるようにならねば」と
考えるべきですよね。
そう考えると、教わる側としては
「自分で考えて 学ぶ・覚える」
という姿勢が求められるはずなんです。
…と、ここまでが "教わる側" に
必要とされる意識ですね。
分かった "つもり" になる理由とは
さて、ここからは
それらを踏まえた上で
"教える側" のスタンスについて
考えましょう。
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