見出し画像

[書評] リバタニアニズム - アメリカを揺るがす自由至上主義 -

みなさん、こんにちは。Naseka です。
私は 哲学者・書評家・エッセイスト として、
自らを定義しています。

小学生の頃は
「汚職事件」と「お食事券」の違いも
分からないような
ハナタレ小僧だった私も、
社会人となり サラリーマンともなると
人並みに政治経済のニュースも
見るようになったわけで。

世界的な話題で言えば
相変わらず落ち着く気配のない
ウクライナやパレスチナ方面の紛争、
そしてアメリカの
第二次トランプ政権が大きいだろうか。

トランプ氏というのは
良くも悪くも キャラが立った人である。

だいたい大業を成すのは
こういう人間であることが多いから、
自分の生活が追い込まれない限りは
私は比較的 楽しんで注目している。

その点 日本の総理大臣は
たいてい誰がなっても
同じような話題で
叩かれるだけだから、
あまり面白みはない。

私は今の与党は支持していないが、
日本国民の総意としては
このかんじが良いということなのだろう。

それはともかく、
トランプ氏の再登板が始まり
昔 読んだ本の存在を思い出した。

政治批判というのは簡単で
ついつい日頃の不満と恨み節を
ぶつけがちだが、
まずは自分の政治的意見というものを
持ってからにすべきというのが
個人的な考えである。

よく知られているのは
保守とか リベラルとか
そんなところだが、
リバタニアン(リバタニアニズム)とは
日本の日常では まず耳にしない。

保守も リベラルも
今ひとつピンと来なかった当時の私が、
自分の政治観を広げるために
読んだ本を紹介しよう。


「自由の国」アメリカ

アメリカのキャッチフレーズといえば
やはり「自由の国」だろう。

ところで哲学的思考が染みつくと、
つい考えてしまうのが「定義」である。
すなわち
「自由とはなんぞや」という問題だ。

私たち(日本人)には
発言や表現の自由が認められているし、
職業選択や私有財産所有の自由もある。

だが よくよく考えてみれば
発言や表現には
「他者の権利を侵害しない上で」
の但し書きがつきものだし、
職業だって 実際には
付きたくてもつけない現実がある。

私有財産だって、
私が働いて得た収入から
税金や社会保険料という名目で
私に断りもなしに
毎月 強奪されている。

はたして これが自由と呼べるのか。

それならば いっそ、
野生的な社会はどうだろう。

私が あなたから財産を奪うのも、
あなたが 私に暴力をふるうのも
全て自由だ。

もちろん 互いにそれを許さず、
反撃をするのも自由である。

これ以上の自由はないだろう。

もちろん それが我々の目指すべき
社会であるかどうかは、
まったく別の問題であることは
言うまでもないが。

自由主義は自由なのか

政治思想について
私個人でいうならば、
「リベラル」という概念が
どうも未だに理解できない。

歴史と由来を遡って考えれば、
王政や権威主義との対立軸としての
立ち位置に関してなら
じゅうぶんに分かる。

だが 少なくとも
ここ三十余年の人生で
培われてきた政治観としては、
「自由」の言葉とは裏腹に
国は 法や規制という名の鎖で
国民を縛り付け、
徴税という名の
「財産の強奪」をしている。

…と毎日こんな捻くれた
ものの見方をしているわけではないが、
間違いなく
「そう見ることもできる」わけで
これを「自由主義」と
表現されることには違和感を禁じ得ない。

政治思想的には、
いわゆる「小さな政府」を
志向しているといえよう。

そこをいくと、この本でも述べられる
「リバタニアニズム」というのは
理屈の上では
比較的 私に近いものが
あるのかもしれない。

経済的にも自由と競争を重んじ、
保守層と比べれば
個人の自由に関しても大事にする。

もちろん 純粋な
○○主義などというのは
そうあるものではなく、
大小様々な要素が入り混じるものだが
私には この
「リバタニアニズム」の思想に
通ずる部分が大きいと気付いた。

自由の価値は

でも一方で、こうも思う。

私は定職を持ち 家庭を持ち、
少なくとも日々の衣食住には
困らない程度の暮らしがある。

年収一千万円とか 総資産数億円とか
そんな大層なものではないが、
見る人から見れば
「恵まれた立場」なのだろう。

もし私が
仕事も収入も思うように得られず
日々困窮しているような
立場だったのなら、
今と同じ政治観を主張できるだろうか。

(特に富裕層から)
税金をたくさん集めて、
再分配をするのが是である
(いわゆる「大きな政府」)とは
考えるようにならないだろうか。

普段は強気な政治主張を、
状況が変わっても
維持できる自信がない。

私にとって 私の政治観は、
どうしても
「強者の論理」
のように思えてしまうのだ。

だが、この本を読むと
あながち そうでもないと
いうところが
非常にハッとさせられる。

リバタニアニズムは、
裕福な者たちの論理でも
優位な立場たち
(今のアメリカでいうなら白人男性)
の論理というわけでもない。

その集合から外れた者たちにも、
リバタニアニズムを掲げる人は
少なくないらしいのだ。

弱者(敢えて こう表現するが)
にとっては
一見 都合が悪いとも思えそうな
リバタニアニズムに志向する。

それは換言すれば
「富よりも自由を」
ということであろう。

私は普段 自由であることが
素晴らしいと思いつつ、
自由と富を比べたときに
どちらに重きを置いているのだろうか。

私の求める自由は、本当に自由なのか。
その自由とは、
富があることを
前提にした自由ではないか。
富を手放してまで、
自由を求める意思はあるのか。

「自由」ということを
ここまで深く考えることは、
普段 なかなかあるものではない。

「自分にとって『自由の価値』は」

その問いを投げかけられた気がした。

こんな人にオススメ!

・政治スタンスについて
 知見を広げたい人
・「自由とは何か」を考えたい人

こんな人には合わないかも…

・自分の政治的信念を
 曲げるつもりがない人
・「自由は少ない方がいい」
 と考えている人

お読みいただき、
ありがとうございました。

メンバーシップで
いっしょに楽しく活動しませんか?
有料記事もお得に読むことができて
オススメです! ↓

共同運営マガジンも展開してます ↓

はじめましての人は ぜひどうぞ ↓

X でも毎日 発信しています
楽しく交流していきましょう ↓


今日のオススメ(勝手に紹介)

※ 勝手に紹介しているので、
 迷惑だったら ご連絡ください。

いいなと思ったら応援しよう!

Naseka@令和の哲学者 いつも応援いただき ありがとうございます。いただいたチップは、新たな学びの糧として 書籍代や有料記事購入に活用させていただきます。