鬼滅の刃で考える "全集中"
元々 一般教養(≒ 話のタネ)として
鬼滅の刃を読んだだけのはずが、
まさか 改めて読み返して
こんなにも心が燃えてしまうとは。
よもやよもやです。
それもこれも note を続けていく中で
「マンガで哲学する」という楽しさを
見出したからなんですが。
上の書き出しでも引用しましたが、
鬼滅の刃も
これだけ人気になりましたから
ネットミームに留まらず
ある程度の層には
コミュニケーションの中で
セリフや用語が共有できそうですよね。
印象的な言葉は いくつかありますが、
その中でも とりわけ
存在感を放っているのは
やはり「全集中」ではないでしょうか。
「集中する」なら
ごく普通の日本語ですが、
「全集中する」となれば
一段と深い集中状態のような
印象を受けるのは
きっと私だけではないでしょう。
でも 個人的には この "全集中" 、
単なる言葉遊びではないと
思うんですよね。
つまり、私たちの集中には
「(普通の)集中」と
「全集中」という
異なる状態があると思うんです。
厳密には さらに「全集中・常中」
というのもあるんですが、
これは別の機会に
1本の記事にしたいと思っていますので
今回は割愛しますけどね。
というわけで、今回のテーマは
「全集中」
仕事にしても 趣味にしても、
本気で取り組むなら
集中は欠かせません。
では その中で、「全集中」とは
いったい どんな状態なのか。
それは普通の集中とは
どのように違うのか。
藤襲山の最終選別のエピソードから、
私なりに考えていきたいと思います。
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