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[書評] コンピュータVSプロ棋士 -名人に勝つ日はいつか-

みなさん、こんにちは。Naseka です。
私は 哲学者・書評家・エッセイスト として、
自らを定義しています。

人間とは なんと弱い
生き物なのだろうか。

純粋な力比べでは
ゴリラや象には 到底 及ばないし、
敏捷さでは 馬や犬 にも及ばない。

鳥のように 空を飛ぶことが
叶わない上に、
魚のように 水中を自由自在に
泳ぎ回れるわけでもない。

それでいながら
こうして我ら人類が
地球上で広く住みつき、
時代を謳歌できているのは
ひとえに人間が持つ
「知性」によるものである。

だからこそ 他の動物は
もちろんのこと、
道具や機械を相手に
パワーやスピードが敵わなくとも、
それを受け入れて
生きていけるわけだ。

では 人類のアイデンティティである
「知性」が何者かに
敵わなくなったとき、
はたして 私たちは それを
受け入れることができるのだろうか。


知性の象徴

そもそも「知性」とは何ぞや。

定義が難しいし、
定義ができなければ
存在や優劣の証明もできない。

「あの人は頭がいい」と
評される人を 私も これまで
数え切れぬほど見てきたが、
「たしかにそうだ」と
唸ることもあれば
「学校のお勉強が
 できるだけじゃないか」と
一笑に付すことも しばしば。

もちろん 勉学に秀でていることは
それはそれで立派であるのだが、
それが即ち「知性」かと言われると
私の感覚的には疑問である。

結局 これを言い出すと
議論の収拾がつかなくなるのだが、
ひとつ 洋の東西を問わず
知性の象徴とされてきたものがある。

それが チェスや将棋、囲碁といった
ボードゲームである。

世界的に競技人口の多いチェスで、
トッププレイヤーが
ソフトに敗れたのが
1996年のこと。
(番勝負での敗北は 翌1997年)

だが、チェスと異なり取った駒が
再利用されるという性質から、
将棋でソフトがプロを破るのは
まだまだ先とされていた。
(考えうる局面の数が はるかに多い)

実際、公開された場で
プロが冷や汗をかいたのは
2007年になってからのこと。

この本は、この対局の
終盤戦の解説から始まる。

プロが負けた日

このときは辛くもプロ棋士側が
勝利を収めたので、
まだ人類のメンツは保たれた。

そうはいっても対局者は、
現役タイトルホルダーの
渡辺明 竜王だったから、
「いよいよ将棋ソフトの進化は
 プロの力に迫ってきている」
と認知された。

そして、いよいよ
将棋を生業とする
プロフェッショナルが
ソフトに敗れる日が訪れる。

2010年10月11日、
将棋ソフト「あから2010」を
迎え撃ったのは
女流棋界のトップ
清水市代 女流王将 だった。

女流棋士とはいえ
タイトル保持者である彼女なら、
しっかりと人間の強さを
見せつけてくれるはず。

対局中のソフト側は
解説を担当したプロ棋士たちも
疑問に思う手を何度も指し、
楽観的で和やかな空気が流れていた。

しかし 局面が進むにつれて、
雲行きが怪しくなってくる。

「ソフトに負けることはないだろう」が
「思った以上に いい勝負」となり、
「まだ逆転の可能性はある」は
「いよいよ "そのとき" が
 来てしまったのか…」
と評価が変わっていく。

その一局の流れや
変わりゆく会場の空気が、
とてもリアルに描写されている。

「ソフトに敗れる日は近い」と
頭では分かりつつも、
「まだ人間の方が強いはず」と
希望を抱いていた頃の話。

この日は、将棋界にとって
忘れられない1日となった。

AI全盛の時代だからこそ

ちなみに将棋界では
「棋士」と「女流棋士」とは
絶対的な壁がある。

「棋士」には実力さえあれば
男女関係なく なることができるが、
これを書いている時点においては
未だかつて女性の棋士は
誕生したことがない。

女流棋士は あくまで「棋士」とは
別の制度であるから、
この 清水 女流王将が敗れた時点では
「まだ "棋士" は負けていない」と
余裕を持たれていた。

…今思えば、それは単なる
強がりだったかもしれないが。

そしてまもなく、
2012年には引退した "元 名人"が、
2013年には現役の ”棋士” が、
2017年には現役の "名人" が、
それぞれ 将棋ソフトの前に
敗れることとなる。

現役の名人すら完敗したのでは、
もはや現実を受け入れるしかない。

残念ながら、2025年現在では
プロ棋士が将棋ソフトに負けても
誰も驚くことはなくなった。

公式の対局は なくなって久しいが、
史上に残る天才棋士
藤井聡太 七冠ですら
AI で研究をしている時代である。

しかしながら
(藤井七冠の人気もあるとはいえ)
将棋は まだまだ人気があるし、
プロ棋士という職業は
なくなっていない。

もちろん ゲームが
知性の全てではないが、
今のところ AI といえども
人類の知性の どこか一部に
特化しているに過ぎない。

名人を超える将棋AI に
動画像が生成できるわけでもなければ、
ChatGPT のような AI が
人間の全ての仕事を
代替できるわけでもない。

幸いなことに、まだ今のところは
人類最大のアイデンティティは、
辛うじて保たれている。

「まだ人間の知性は
 捨てたもんじゃない」

現在において、
それは概ね真理であろう。

だが、あの日を迎えるまでの
プロ棋士たちも同じように
思っていたに違いない。

そして、終局後に どう思ったか。
対局前と全く同じように
自分たちの強さを誇れたか。

これは15年も前の出来事を
書いた本ではあるが、
AI の進歩が著しい現代だからこそ
改めて読んで考えたいテーマである。

こんな人にオススメ!

・将棋や AI に興味がある人
・ノンフィクションが好きな人

こんな人には合わないかも…

・将棋にも AI にも興味がない人
・知性というものに関心がない人

お読みいただき、
ありがとうございました。

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