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適応障害、それは突然ではなかった〜私が心のバランスを崩した本当の理由〜


「適応障害」。この言葉を聞いた時、あなたはどんな印象を持つだろうか? 私は今、休職中で、まさにこの「適応障害」と診断された。でも、それは突然のことではなかったのだ。振り返れば、幼い頃からの心の傷、社会に出てからの環境、そして私自身の特性が複雑に絡み合い、まるで積み木が崩れるように心のバランスを失っていった。

特に、今回の休職に直結した大きな原因は、職場での度重なるハラスメントだった。

これは私の個人的な体験だが、もし今、生きづらさを感じているあなたの心が、少しでも軽くなるきっかけになれば幸いだ。



第1章:心の土台は、幼少期の「ねじれた愛情」と「孤独」でできていた


私の物語は、幼い頃に遡る。

1. 「いい子」でいるしかなかった私

幼い兄弟がいた私には、「しっかりしなきゃ」という見えないプレッシャーが常にあった。

父親からは厳しく叱られることが多く、怒りの感情をコントロールできない人だった。日々、気分によって言うことが変わり、何をしたら正解なのか、どうすれば平穏を保てるのか常に気がかりだった。私たち子どもが泣くのをひどく嫌った。父がそうなるのは、自分が嫌な仕事をしているからだと、幼いながらに自分の存在を申し訳なく思った。幼い頃、父と撮った写真のほとんどに、怒った父の顔が写っているほどだった。

母親も基本的には優しいが自己主張が強く、逆らうと面倒なので、言われるがままだった。

当然両親の関係は良好ではなく、食卓を囲んでいても、そこに大きな隔たりがあった。まるで息を止めているかのように、びくびくしながら過ごす日々。自分の気持ちを素直に表現することなんて、全く知らなかった。

2. 隠した「本当の私」と深まる孤独

思春期になると、自分の容姿に対するコンプレックスが募った。「醜い、太っている」と思い込み、必死で痩せようとした。私は人より発育が早く、小学生の頃に今の身長になり止まった。それから周りの子がどんどん成長していく中、私だけが取り残されているような感覚だった。自分の本心を話せる友達も、安心できる場所もなかった。だから、周りに合わせて「当たり障りのない会話」をすることしかできず、内側にどんどん感情を溜め込んでいった。この頃には、周囲との関係で自分の心の**「境界線」を引くのが苦手**だと感じ始めていた。自分というものがなく、力のある同級生にただ同調することしかできなかった。集団生活がとにかく苦痛で、周りがなぜ笑っているのか分からず、常にイライラしていた。

3. 「普通じゃない」という自己否定

どこかで常に「自分は周りの子と違う、普通じゃない」と感じていた。(実際に変わっていると言われることが多かった。)誰かの評価軸の中でしか自分を測れず、「完璧でなければ愛されない」「努力しないと見捨てられる」という恐れが、心の奥深くに根付いていったのだ。この生きづらさに理由がつくなら…と、発達障害すら疑い、専門機関でカウンセリングを受けたこともあった。しかし、「健康です」と言われ、余計に自分の存在が分からなくなった。

こうして、私の心の土台は、**「自分は価値がない」「感情は出してはいけない」「常に完璧でなければならない」**という、歪んだ認識で固められていった。



第2章:社会に出て、心の傷が「再現」されていく職場環境


長い間付き合っていた彼と婚約を控えていた。それまでは「結婚までのつなぎ」という意識で契約社員として「のらりくらり」と生きてきたが、彼と別れて一人でも生きていけるようになりたいと思い、やりたいことであるデザインの仕事で正社員になりたいと考えた。事務職からの転職だったが、憧れのデザインの仕事に就いた。しかし、幼少期の傷は、まるで磁石のように特定の環境を引き寄せ、私の心をさらに削っていった。

1. 1社目:監視と支配、自己否定の嵐

初めて入社したデザインのベンチャー企業は、まさに地獄だった。

「細かく行動を管理」され、常に隣にいる上司からは自分だけ強く言われている気がした。まるで監視されているような感覚だった。これは、幼い頃に感じた父親からの厳しさや、常に顔色を伺っていた経験と重なり、私を極度に追い詰めた。周りの同僚と比較される日々の中で、私はかつての「できない自分」を痛感し、自信を失っていった。

極度のストレスで、ついには朝、会社で挨拶すらできなくなった。上司から厳しく問い詰められ、何も言い返せない自分に絶望した。仕事内容自体は好きだったのに、そこで力を発揮できない自分を責め、「私はやっぱりダメなんだ」という自己否定の渦に飲み込まれていった。この環境は、幼少期に感じた**「抑圧」と「自己否定」の再現**だったのだ。

2. 2社目:境界線の崩壊と見えない加害

休職中の2社目は、ある程度の歴史を持つ会社だった。古い体質ながらも「人とのつながりが強い」と感じ、最初は居心地の良さを感じた。しかし、これが新たな落とし穴だった。

私は、幼い頃から他者との心の**「境界線」を引くのが苦手だった。自分の領域が侵されても気づかない、あるいは抵抗できない。安心だと思った環境で、その境界線の曖昧さゆえに、私はハラスメントを繰り返し受け、精神的に病んでいった**。具体的な内容は伏せるが、言葉や態度、行動によって私の尊厳は深く傷つけられた。

「人を受け入れる力」や「共感性」は私の強みだったが、適切な距離感が取れない場所では、かえって自分をすり減らしてしまうことを痛感した。心を許したはずの場所で深く傷つき、私は再び精神的に病んでいった。



第3章:積み重なったストレスと、感情の爆発、そして休職へ


度重なる職場のストレスに加え、プライベートでもプレッシャーを感じていた。

「実家暮らしなの?」という周囲の言葉は、私にとって「一人暮らしができない=自立できていない=ダメな自分」というコンプレックスを刺激した。学生時代の一人暮らしは「自由で楽しかった」思い出があるだけに、一人暮らしをしたいのに踏み切れないジレンマが、心に大きな「もやもや」として蓄積されていったのだ。

そんな心がいっぱいいっぱいになった時、決定的な出来事が起こった。

仕事のストレスがピークに達している時、家族の一員であるニートの兄弟から「最近、あたりきついよ」「嫌いなところがある」と言われたのだ。相手に悪意はなかったのかもしれない。しかし、当時の私には、それはあまりにも重い一言だった。長年抱えてきた家族への責任感や、自分の努力が報われない焦りが爆発した。

嫌われることに敏感な私は、これまで溜め込んできた全ての感情、怒り、悲しみ、絶望、焦りが、一気に噴き出してしまった。

「じゃあ、お前が会社行けばいいだろ!」

朝から大声で暴れ、感情を制御できなかった。それが2日も続いたのだ。

この感情の爆発は、私の心が「もう無理だ、これ以上は耐えられない」と必死に叫んだSOSだった。その後、会社で受けたハラスメントが起因となり、その結果、私は休職することになった


適応障害は「弱さ」ではなく「心の叫び」


適応障害は、決して私が「弱いから」なったわけではない。

それは、私の心の土台に積み重なった傷、そして、その傷を刺激し続けた環境、さらに感情を溜め込む癖が、限界を超えた時に現れる**「心のSOS」**だったのだ。

昨日、アダルトチルドレンに関するYouTube動画を見たことが、この過去の経験と現在の状態について深く考えるきっかけになった。もしかしたら、私と同じような生きづらさを感じている人が、この動画から何かヒントを得られるかもしれない。

※これはあくまで参考動画であり、全ての方に当てはまるわけではありません。専門家の診断やアドバイスを求めることをお勧めします。

今、この休職期間を使って、私は自分の過去と向き合い、自分を深く理解しようとしている。そして、「もう人の評価は気にしない」「自分にとって本当に安心できる場所を探す」という、新しい価値観を見つけ始めている。

もし今、あなたが何らかの生きづらさや不調を感じているなら、それはあなたの心があなたに何かを伝えようとしているサインかもしれない。どうか、そのサインに耳を傾け、ご自身を責めずに、少しずつ心を癒す道を歩んでほしいと心から願っている。

あなたの苦しみに、必ず理由がある。そして、あなたは一人ではない。

これからは、もっと気楽に生きれる、明るい未来を信じて進みたい。


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