父の不器用な愛

私は美奈子。
父が嫌いだ。
優しくされた記憶がない。
肩車もされた記憶がない。
仕事、仕事。
運動会もきてくれなかった。

『勉強しろ』
『こんな時間までどこにいってた』
『女の子が夜に出歩くな』

この人口うるさい事が子育てだと思ってる、そんな風に思っていた。
就職をきっかけに家を出て自由気ままなひとり暮らし。
私は『自由』を手にしたと思っていた。

母との関係は良好で、よく買い物など一緒に出かけてる。

母『お父さん入院したの』
美奈子『え?そうなんだ…』
母『顔、見せてあげなさいよ』

母は頑なに何の病気か教えてくれなかった。

私は母に何度も言われてしぶしぶ御見舞に行くことに。

美奈子『…』

そっとカーテンを開けると父はぼんやりと窓から外を見つめている。
ちょっと痩せたかな?

美奈子『お父さん。きたよ』

私の声に父の瞳がふっ…と溶けた。

父『きたか。久しぶりだな』

にっこり笑う父の笑顔に私は拍子抜けしてしまう。

記憶の中の父の表情は固く、動きがなかった。
いつもぶすっと怒ってるような表情をしていたのに…。

美奈子『どう?大丈夫?』

私は差し入れのお菓子をテーブルに乗せると自分のバッグからコーヒーを取り出した。

父『お前、コーヒー飲めるんだな』
美奈子『私、もう26歳だけど…。飲めるに決まってるでしょ』
父『…そうか…』
美奈子『昔は大嫌いだったけどね』
父『…』

私の言葉に、父の表情が固くなる。

父『そう…だったのか』
美奈子『私の事なんて興味なかったじゃない』

すっと伏せられる父の瞳。
私はぼんやりと、父の目は大きかったんだ…なんて考えていた。

美奈子『じゃ、帰るね』

滞在時間15分。
私はそそくさと立ち上がると帰ろうとする。

父『おう。…また来てくれよ』
美奈子『…』

私は返事する事ができず、病室を後にした。

美奈子『何だか拍子抜けしちゃった!お父さんってあんなんだっけ?』

その夜、私は母と電話していた。
話題は専ら、父の事。

母『まあ、昔に比べたら丸くなったわよ』
美奈子『丸く…。何だか記憶の中のあの人と別人みたい』

私の言葉に母は小さく息を飲んだ気がするが、私は気に留める事はなかった。

母『これを機に時々顔を見せてあげなさいよ』


2週間ほどして、母に催促された私はまた父の病室にいた。
以前よりハッキリわかるほど痩せた頬に動揺しながらも、私は父に『元気?』と聞く。

父『元気元気。早く退院したいんだけどさぁ、先生がOK出さないんだよ』

痩せはしたが顔色は悪くない。
私はこの時、ぼんやりと父は大丈夫だろう…そう思っていた。

父『ほら。売店でこれ買っといた。好きだろ?』

父が渡してきたのはキャラメル。

美奈子『…覚えてたんだ』

昔から変わらないキャラメル。
今も昔も私の大好きなお菓子。 

父『…ま…まぁな』

ふっと微笑む父の頬が微かに震えている。

美奈子『ねえ。他には何を覚えてるの?お父さん…あんまり家族と過ごしてなかったじゃん。運動会とか…来なかったし…』
父『…そうだっけか?いやぁ…何も覚えてないな』
美奈子『そんな…。家族の事を覚えてないって…。お父さんにとって家族って何?』

父の瞳が震えた。

父『…』

父は言葉を探すように空(くう)を見つめるが、諦めたようにため息をつく。

美奈子『帰る』
父『……また…な』

私は返事せずに病室を飛び出した。

少し、期待したのだ。
寂しかった過去を、もしかしたら変えられるのでは…と。
そう、私は父に愛された記憶が欲しかったのだ…。

コツコツと廊下に響くヒールの音に混じってパタパタと足音が聞こえてきて、私は足を止める。

看護師『すみません。さっきお父様におっしゃってたの聞こえてしまって…』
美奈子『え?』

振り返ると少し困った顔をした看護師が、柔らかく微笑んで私を見つめていた。
そして口を開くと私にそっと情報(ことば)を渡す。

美奈子『…そんな…』
看護師『お父様はギリギリのところで保っていらっしゃいます』

1週間後、私は自ら病室に顔を出した。

美奈子『お父さん』
父『来てくれたのか…。先週は…その、悪かった…』

父が見ていたノートをサッと隠す。

美奈子『…それがお父さんの記憶?』

私の言葉に父はハッとしたような顔を向け、叱られた子どものように小さくなった。

美奈子『看護師さんが教えてくれた。……少しずつ記憶が消える病気なんだって…?』
父『……』

上下に小さく首を動かし、父は肯定する。

父『物忘れするぐらいだと軽く思ってたらさ、けっこうショックなんだよ。
どんどん自分が自分ではなくなる感覚っていうかな…』

しかし、父の声はあくまでも明るい。
まるで他人事のように話す姿に私は違和感を感じる。

美奈子『でも…お父さん。昔の事…
覚えてるよね?』

私の言葉に反応するように、父の頬に朱が散った。

父『それは…』

父の言葉が止まると同時に訪れた沈黙。
だけどその沈黙ですら私は愛おしいと感じていたのだ。

父『忘れた事にして、やり直そうと思ったんだ…。家族を大切にする、優しい父親として、やり直したかった…。
家族を省みず働いていた事、今になって後悔してる。
もっと美奈子に…家族に、時間を割けば良かった。
運動会なんて嫌というほど見に行けば良かった。
二人に苦労させたくない、その一心で働いてた事を…今、人生の終盤で後悔してるんだよ…』

父の細くなった肩が震える。

美奈子『お父さん。やり直そう。
退院したら、三人で旅行行こう』
父『いいのか?』
美奈子『お父さんの奢りだけど?』

父はこんなにも家族を愛していたのだ。
不器用過ぎる愛で、深く深く私達を抱きしめてくれていた。

私はそっと父の手を握りしめる。

美奈子『私こそ、お父さんの愛に気づかなくてごめんね…』
父『何言ってんだ。…親の失敗を子どもが謝ることじゃないさ』

父は私と目を合わさなかった。
いや、合わせられなかったんたんだろう。

父の頬を雫が伝って落ちていたから…。


それから1ヶ月ほどして父は旅立った。

穏やかに眠る父の頬は冷たいが、優しくて。
私は何度も何度も触れる。

美奈子『お父さん。私が覚えておくから。
お父さんの全部を覚えておくからね』

【終】

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