答えを見つけるより、問題を見つける方が難しい
小学校の先生で、2児の父、雄剛です。
最近、『マンガでわかる イーロン・マスクの起業と経営(桑原晃弥)』を読んでいます。その中で、イーロン・マスクが幼少の頃にSF小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』から感銘を受けた一説が載っていました。それが、
「答えを見つけるより、問題を見つける方が難しい」
です。
そして、問題を見つけるためには、
「意識の範囲と規模を拡大させることが大事!」
これ、すごく共感しました。
研究授業で…
研究授業で授業検討をしていると、これを実感することがあります。「自分は用意周到に準備してきた!もうやり残しはない!みんなに褒められるような授業になるはず!」と意気込んで臨んだはずが…。その後の検討会では、めっためったに切られる…。
その中で、一番深い傷になるのは、ベテランの先生方からくる指摘。
「そういう視点を全くもっていなかった…。あぁ、これでやり残しはないなんて、勘違いも甚だしい…。」
自分は、自分の授業の問題に気付く視点すらもっていなっかったのだという敗北感…。あれほど自分の無力さを突きつけられることはないですよね。
でも、そうやって経験を重ねていくことで意識の範囲と規模が拡大していって、問題を見極める視点が身に付いていく。
子どもたちも一緒…
よく「先生の考えを押し付けるのではなく、子どもたちの意見を大切にして、子どもたちの想いを実現することが大切!」という意見を耳にします。
私は、これは半分合っていて、半分間違っていると思っています。
まず、子どもの意見を尊重するというのは大切だと思います。子どもの進みたい方向があって、それを無視して全く違う方向に進ませようとすれば、子どもたちの意欲を削ぐことになるし、反発も出ます。
でも、だからといって、子どもたちの進みたい方向に任せればいいのかというと、それは違うと思います。それは、子どもたちにはまだ、問題を見つける力、経験が足りないことがあるからです。
「〇〇君って、頭いいんだよ!」
昨日の記事で先生がイライラしているから学校に行きたくないと言っていた娘が言っていた言葉です。
「〇〇君って、すごく頭がいいんだよ。理科で実験道具を作っていたの。〇〇君は、いつも通り先生の話を聞かないで、何にもやらなかったんだ。そしたら先生と言い合いになって、口答えして先生を黙らせたんだよ。すごく頭がいい!」
思わず私が発した言葉は…
「本気で言ってるの?そうやって、先生の言うことを聞かなかったり、小馬鹿にしたりするのを面白がって見て、すごいとか言ってる人がいるから、そういう人がつけあがるし、先生だってイライラするんじゃないの?授業妨害するのを面白がって見てる人がいるからクラスが壊れるんだよ!」
娘は、そんなことを私に言われると思っていなかったようで、キョトンとしながら聞いていました。子どもからすると、自分たちがやっていることがクラスを崩す大きな問題であることに気付いていないんです。
だからこそ、そういう子どもたちが気付けない問題を顕在化して、一緒に考えていくのが先生の役割だと思っています。それによって子どもたちが問題に気付く力を付け、成長していくのだと思っています。そこに「顕在化した問題を、子どもたちと一緒に考え、乗り越えていく」という過程があれば、先生は積極的に声を上げるべきだし、指導すべきと個人的には思っているのですが…。
皆さんは、どう思いますか?
