ポンコツの南北アメリカ紀行──鋼鉄の胃袋と「情」で駆け抜けた四十年前
四十年前の私を振り返ると、今の私は思わず「ようやるわ、このポンコツ!」と突っ込みたくなる。
だが、あの頃の私は若かった。そして胃袋は、まさに鋼鉄の要塞だった。何を食べてもびくともせず、時差にも負けず、南北アメリカ大陸を飛び回るビジネス出張を支えてくれた最大の武器である。
これは、効率や数字だけでは測れない、人と人との「情」で結ばれた商談と、その土地の食に支えられた、私のアメリカ大陸縦断記である。
シカゴ──値段ではなく「情」を売る
出張の幕開けはシカゴだった。
当時、日本企業は中国製品との激しい価格競争にさらされていた。価格だけでは勝負にならない。数字を並べても相手の心は動かない。
そこで私は作戦を変えた。
数字ではなく、自分自身を売ることにしたのである。
これまで歩んできた道のり、日本のものづくりへの思い、職人たちの誇り。そして、その製品に込められた魂。
身振り手振りを交えながら、一人の人間として語り続けた。
商談の終わり、相手は静かに言った。
「君の情熱は分かった。」
あの一言は、どんな契約書よりも嬉しかった。
ビジネスは理屈だけでは動かない。
最後は人と人なのである。
ロサンゼルス──寿司は心のオアシス
シカゴを後にして向かったのはロサンゼルス。
連日の商談で疲れ切った身体を救ってくれたのが、「ホンダ・プレイス」で食べた寿司だった。
異国の地で口にする酢飯の香り。
「ああ、日本人でよかった。」
そう思わせてくれる一皿だった。
ヒューストン──ワニまで食べるポンコツ
続いてヒューストン。
ここでは「パパス」で豪快なテキサス料理を堪能した。
分厚いステーキも圧巻だったが、それ以上に驚いたのはアリゲーター、つまりワニの肉である。
「せっかくここまで来たのだから、食べられるものは何でも食べてみよう。」
そんな好奇心だけで注文した。
食べてみると意外にも淡白で、鶏肉と白身魚の中間のような味わい。クセも少なく、美味しかったことを覚えている。
今なら少し考えるかもしれない。
しかし四十年前の私の胃袋は、恐れるものなど何一つなかった。
まさに鋼鉄製である。
南米──シュハスコとの真剣勝負
その後はリマ、カラカス、そしてサンパウロへ。
長距離移動と時差、慣れない環境が続く中、私を支えてくれたのは各地の料理だった。
サンパウロでは本場のシュハスコ。
次々に運ばれてくる串刺しの肉。
「まだ食べるのか?」
「もちろん。」
そんな勢いで肉を平らげていた。
今なら胃薬が先に必要だろう。
若さとは、本当に恐ろしい。
トロント──北京ダックの謎
激務のあとに訪れたトロントは、まさに天国だった。
旧友のプール付きコンドミニアムで一週間を過ごし、ようやく心も身体も休まった。
そのご褒美が二度訪れた中華料理店。
もちろん注文は北京ダックである。
香ばしく焼かれた皮は絶品だった。
だが、私は昔から一つの疑問を抱いている。
皮を食べ終えたあと、あの立派なダックの身はいったいどこへ行くのだろう。
別の料理になるのか。
賄いになるのか。
それとも別のお客の皿へ姿を変えるのか。
今でも北京ダックを見るたび、その謎が頭をよぎるのである。
頼む、ダック本体の行方を、誰か教えて下さい!
ナイアガラの轟音
クスコの遺跡やイグアスの滝を見る機会には恵まれなかった。
しかし、その代わりにナイアガラの滝の轟音と立ち上る水煙は、この目にしっかり焼き付いている。
自然の力とは、これほどまでに圧倒的なのか。
そう思わずにはいられなかった。
思い出は胃袋に刻まれる
神戸で当時の日記を読み返すたびに思う。
あの頃の私は、本当によく働き、よく飛び回り、そして何より、よく食べた。
商談では「情」を武器にし、世界各地ではその土地の文化を料理で味わった。
ヒューストンのワニ、サンパウロのシュハスコ、トロントの北京ダック。
どれも四十年経った今でも鮮やかによみがえる。
思い出は頭だけではなく、胃袋にも刻まれるものなのだろう。
四十年前の私は、無鉄砲で、少々ポンコツで、しかし誰よりも好奇心旺盛だった。
そんなポンコツだったからこそ、多くの人と出会い、多くの景色を見て、多くの味を知ることができた。
人生は、失敗も成功も、すべてが旅の一頁である。
そして、私の「ポンコツシリーズ」は、まだまだ終わらない。
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