【現代異考】議員定数削減をめぐって ― 本当に勝ったのは誰なのか?

要旨:
議員定数削減法案は、野党の強い反発と審議拒否を経て、今国会での成立が見送られることになった。一見すれば、与党が譲歩し、野党が法案阻止に成功したように見える。しかし、本当に政治的利益を得たのは野党だったのだろうか。そして、そもそも私たちは、議員定数を何人にするべきかという問題を十分に議論してきたのだろうか。本稿では、法案見送りをめぐる政治的な勝敗を考えた上で、その背後に置き去りにされた議員定数という問題そのものを考えてみたい。
1.法案見送りという「野党の勝利」
議員定数削減法案の今国会での成立が見送られることになった。
衆議院では、議員定数削減法案と副首都法案をめぐって野党が強く反発し、審議に応じない状態が続いていた。その後、与党側は国会の停滞を打開するため、議員定数削減法案については次の国会へ先送りする一方、副首都法案については今国会での成立を目指し、さらに皇室典範改正案の審議を進める方針へと転じた。
法案の成否だけを見れば、野党は議員定数削減を阻止し、与党は成立を断念したことになる。その意味では、これは野党の勝利である。
しかし、政治における勝敗は、個々の法案が成立したか否かだけで決まるものではない。ある法案を止めるために何を失い、その結果として相手に何を与えたのかまで含めて考えなければ、最終的な損益は分からない。
今回の経緯をそのような観点から眺めると、少し違った風景が見えてくる。
2.本当に得をしたのは誰だったのか
まず確認しておきたいのは、与党が初めから現在の展開を予想し、議員定数削減法案を何らかの囮として利用したと考えているわけではない、ということである。政策的な立場の異なる野党各党が一斉に審議拒否へ進み、国会全体が停滞するところまで、与党があらかじめ計算していたとは考えにくい。今回の展開は、おそらく偶然の政治的過程のなかで生じたものだろう。
しかし、意図していなかったことと、結果として利益を得なかったことは同じではない。
そもそも、与党にとって議員定数削減の目的は何だったのだろうか。国会運営にかかる費用の削減や、政治家自身が「身を切る改革」を示すことも説明には使われるだろう。しかし、より政治的に見れば、議会を一定程度集約し、政治的意思決定を容易にすること、すなわち「決められない政治」から脱却することが一つの目的として考えられる。
そうであるなら、議員を45人減らすこと自体が最終目的なのではない。政治的な意思決定能力を高め、与党が政策を実現しやすい環境を作ることが上位の目的であり、定数削減はそのための手段の一つにすぎない。
しかも、議員定数削減は与党にとっても無条件に利益となる政策ではない。議席が減れば、当然ながら与党側の議員も議席を失う可能性がある。政党全体としては有利になる制度変更であっても、個々の議員にとっては自分の選挙区や比例議席が失われる可能性を伴う。その意味で、議員定数削減とは、与党にとっても一定のコストを払って政治的な集約を目指す政策だったはずである。
ところが今回、結果だけを見れば、与党はそのコストを払わずに別の政治的利益を得た可能性がある。
野党は議員定数削減に強く反対し、最終的には政策的な立場の違いを超えて審議拒否にまで進んだ。野党側としては、比例代表の削減によって多様な民意が失われる、選挙制度の根幹を与党主導で変更してはならない、という論理だったのだろう。
しかし、有権者は本当にそのように受け止めただろうか。
むしろ多くの有権者には、こう見えたのではないか。普段は政策や理念の違いを強調して互いにまとまらない野党が、自分たちの議席が減らされそうになった瞬間だけ一斉に団結した。国民生活に関わる法案では簡単に足並みをそろえられないのに、自分たちの身分や議席が問題になると、突然一致して国会を止めた。結局、野党にとって最も大切なのは政策でも理念でもなく、自分たちの既得権益を守ることなのではないか。
この印象は、野党にとって致命的になりうる。
もちろん、実際に野党が自己保身だけで行動したと断定する必要はない。しかし政治において重要なのは、当事者の内心だけではない。その行動がどのような物語として社会に理解されるかである。今回、野党は「民主主義を守るために立場の違いを超えて協力した」と説明できる一方で、「政策や理念よりも、自分たちの議席を守ることを優先する保守的な抵抗勢力だ」と見られる余地を大きく作ってしまった。
与党は、議員定数を削減しないまま、この政治的利益を得た可能性がある。定数削減の上位目的が政治的な影響力を高めることにあるのならば、制度変更には失敗したものの、その上位目的については別の形で一定の成果を得たとも考えられる。
3.高くついた勝利
さらに興味深いのは、法案見送り後の国会運営である。
野党は議員定数削減法案と副首都法案に反発し、審議に応じない状態を続けていた。その停滞は他の案件にも及び、皇室典範改正案をめぐる審議も進まない状況にあった。そこで与党側は、議員定数削減法案について今国会での成立を見送る一方、副首都法案は引き続き成立を目指し、皇室典範改正案の審議を優先する方向へ動いた。
これを通常の政治的妥協と見ることもできる。野党が最も強く反対していた法案を与党が引っ込め、その代わりに国会審議を正常化するという交換である。しかし、政治的な損益を考えるならば、野党にとってそれほど有利な交換だったのかは疑問が残る。
野党は議員定数削減を阻止するために、審議拒否という非常に強いカードを切った。その過程で、自己保身によって国会を止めているという批判を受ける余地を作り、普段は政策的に対立する野党が議席を守るためには団結するという否定的な物語を許した。その末に得た成果が、現在の議員定数を維持することだった。
一方、与党は法案成立を見送った。しかし、現在の議席数を維持すること自体は、与党にとって必ずしも大きな損失ではない。さらに、自らが法案を見送ることによって、国会正常化のために譲歩した側として振る舞う余地を得て、その先にある別の政治課題へ議論を進める環境も手にした。
法案単位で見れば、与党は敗北し、野党は勝利した。しかし政治全体の損益から見れば、その評価は簡単ではない。与党が優れた戦略によって野党を罠にはめたのではない。野党が自らにとって不利な戦場を選び、最も強いカードを早い段階で切った結果、与党にとって都合のよい盤面が偶然できあがったのではないか。
もし今回の結果を野党の勝利と呼ぶのであれば、それはかなり高価な勝利だったように思える。

4.そもそも何を議論するべきだったのか
では、野党はどうするべきだったのだろうか。
この問いを考えるためには、今回の政局から少し離れて、議員定数削減という問題そのものに戻る必要がある。野党側から繰り返し聞かれたのは、比例代表の議席を削減すれば多様な民意が国会に反映されにくくなる、したがって議員定数削減は民主主義を損なう、という主張だった。
しかし、この論理には一つの大きな飛躍がある。
多様な意見が政治に反映されることには、もちろん価値がある。社会には異なる利害や価値観を持つ人々が存在し、その声が政治から完全に排除されれば、民主政治は多数者による一方的な支配へ近づいていく。比例代表制が、小選挙区では議席を獲得しにくい政治勢力に代表の機会を与えていることも否定できない。
しかし、多様な意見が存在することの価値を認めることと、多様な政治勢力が多ければ多いほどよいと考えることは同じではない。
政治には意思決定が必要である。異なる利害や価値観を持つ主体が増えるほど、合意形成に必要な調整は複雑になり、意思決定には時間がかかる。その停滞による損失は多数者だけが負担するわけではない。経済政策、社会保障、災害対応、外交、安全保障などの意思決定が滞れば、政治的な資源を持たない少数者ほど大きな影響を受ける可能性もある。
したがって、議員定数をめぐる問題は、本来ならば「多様性か民主主義の破壊か」という二者択一ではない。問われるべきなのは、代表性と意思決定能力をどこで均衡させるのか、という問題である。
その均衡点を考えるためにこそ、議員定数は何人が適切なのか、という問いが現れる。
5.465という数字は何を守っているのか
現在の衆議院議員の定数は465人である。
では、なぜ465人なのだろうか。465人ならば多様な民意が守られ、420人になれば失われるのだろうか。450人ではどうなのか。500人に増やせば、さらに多様な民意が反映されるのだから、民主主義はより良くなるのだろうか。
もちろん、議員定数には歴史的な経緯がある。しかし、現在の数字が存在しているという事実と、その数字が最適であるということは同じではない。とりわけ疑問に思うのは、国会内の各政党の議席数は選挙のたびに大きく変動しているにもかかわらず、議員総数の変動だけが民主主義に対する重大な危険として語られることである。
ある野党が100議席を持つときもあれば、50議席しか持たないときもある。その二つの国会において、その政党の影響力が同じであるはずはない。委員会に配置できる議員数も、法案提出や国会運営に対する影響力も大きく異なる。それでも私たちは、選挙結果による変動として受け入れ、その条件のなかで国会を運営してきた。
与党が議席の8割を占める国会と、6割しか占めない国会でも、野党の声が政治に反映される程度は著しく異なる。しかも、その割合は選挙のたびに変化する。
そうであるなら、総定数の465という母数だけを確保することで、いったい何が守られるのだろうか。
もちろん、選挙による議席変動と制度による定数変更は同じではない。前者は有権者の選択によって生じるのに対して、後者は有権者が選択できる代表者の席そのものを減らす。
しかし、その違いを指摘するだけでは、465という数字を守る根拠にはならない。
本当に守るべきものが多様な民意であるならば、議員の総数だけではなく、どの程度の支持を得た政治的意見に議席獲得の可能性を保障するのか、得票率と議席率の関係をどう設計するのか、少数政党の参入可能性をどこまで確保するのかを議論する必要がある。
総定数の多さと、議会内の政治的多様性は同じものではない。
総定数が多くても、一つの政党が圧倒的多数を占めれば、議会内の政治的な競争は弱くなる。反対に、総定数が多少少なくても、複数の政治勢力が競争的に存在すれば、議会内の多様性は高くなり得る。
465という数字を守ることと、民主主義を守ることの間には、本来ならば長い論証が必要なのである。
6.議員の数と、政治が扱える情報量は同じなのか
議員定数を減らせば、議員一人当たりの仕事量が増え、地域や社会の声を拾い上げる能力が低下するという批判もある。しかし、この問題についても、議員の人数と政治が扱える情報量を直接結びつけてよいのかは疑問である。
仮に議員一人当たりの政策立案や調査の負担が大きくなるのであれば、政策スタッフや秘書を増やす方法がある。専門的な政策分野について国会議員だけでは十分な検討ができないのであれば、専門委員を設置し、調査機関を強化することもできる。公聴会や参考人招致の仕組みを充実させ、社会から政治への情報入力を増やす方法もある。
議員数と、政治が処理できる情報量は同じではない。
ここでは、民主主義における二つの機能を分けて考える必要がある。一つは、多様な社会的要求や情報を政治過程へ入力する機能である。もう一つは、入力された情報をもとに最終的な意思決定を行う機能である。
多様な声を聞く人を増やすことと、多様な声に直接的な決定権を与えることは同じではない。社会からの入力回路はできる限り広く確保しながら、最終的な意思決定は一定程度集約するという制度設計もあり得る。
もちろん、比例代表の議席を削減すれば、小規模な政党が議席を獲得しにくくなる可能性はある。それはスタッフを増やせば解決できる問題ではない。しかし、そこから直ちに民主主義の破壊という結論が導かれるわけでもない。
問われるべきなのは、どの程度の支持を得た政治的意見に、議席という形での代表権を保障するのかである。
すべての政治的意見に国会議席を与えることはできない。現実の代表制民主主義は、選挙制度の違いこそあれ、どこかで政治的意見を集約している。問題は、集約するかしないかではなく、どの程度まで集約するのかである。
その意味でも、「多様な民意」という言葉だけでは足りない。何が失われるのかを示さなければならない。議員定数を維持することで確実に守られるのは、代表者の席の数である。それによって多様な民意がどの程度守られるのかは、別に論証されなければならない。

7.野党は何を問うべきだったのか
ここまで考えると、野党が取るべきだった戦い方は、審議拒否とはかなり違ったものだったように思える。
まず、議員定数削減そのものを絶対悪と位置づける必要はなかった。「適切な議員定数を議論しよう」と応じればよかったのだろう。その上で、与党に問えばよい。
なぜ45人なのか。
なぜ30人では足りず、60人では多すぎるのか。45人削減することで、国会の意思決定能力はどの程度改善すると予測しているのか。どのような指標によって、その効果を確認するのか。なぜ比例代表から削減する必要があるのか。他の制度設計との比較を行ったのか。
これらの問いに対する説明責任は、本来、制度を変更しようとする側にある。
おそらく、45という数字が唯一の合理的な解であることを証明するのは難しいだろう。議員定数の最適値は、数学的に計算できるものではない。だからこそ、与党案を議論の出発点として、その目的と根拠を問い続ければよかった。
議論を進めた結果として、それでも客観的な正解が出ないのであれば、次の対立へ進めばよい。一方には、現在の定数が最適であるという根拠もないのだから、まず削減してその効果を見るべきだという立場がある。他方には、代表性を損なう可能性があり、影響を十分に予測できない以上、現在の制度を維持するべきだという立場がある。
そこで削減反対派が示すべきなのは、抽象的な危険ではない。どのようなリスクがあるのか。そのリスクを回避するためには、どのような条件が必要なのか。どの程度の少数意見まで議席獲得可能性を保障するべきなのか。削減によって具体的に何が失われると考えるのか。その条件を提示すれば、議論は前へ進む。
ところが今回、野党は「民主主義の破壊」という強い言葉を使い、審議拒否へ進んだ。その結果、本来ならば与党に「なぜ45人減らす必要があるのか」を説明させることができたはずの争点で、野党自身が「なぜ45人減らしてはいけないのか」を説明しなければならない立場へ移動してしまった。
野党は、本来ならば与党に負わせることのできた立証責任を、自ら引き受けてしまったのである。
ここに、今回の野党の最大の失策があったのではないだろうか。
8.おわりに――守るべきものは数字なのか
議員定数削減法案は、今国会での成立が見送られることになった。
野党は法案を止めた。その意味では勝利したと言える。しかし、そのために審議拒否という強い手段を使い、自分たちの議席を守るために国会を止めたという否定的な物語を許した。
一方、与党は法案成立を見送った。その意味では敗北したと言える。しかし、議席数を維持したまま、野党に政治的なコストを負わせ、国会正常化のために譲歩した側として振る舞い、別の政治課題へ議論を進める環境を得た。
少なくとも現時点において、本当に誰が勝ったのかは、法案の成否だけから判断できるものではない。しかし、それ以上に残念なのは、この政治的な攻防のなかで、本来問われるべきだった問題がほとんど議論されなかったことである。
議員定数は何人が適切なのか。
代表性と意思決定能力を、どこで均衡させるべきなのか。
議員の数と、政治が処理できる情報量はどこまで関係しているのか。
465人という現在値は具体的に何を守っており、420人になると何が失われるのか。
それらを議論しないまま、一方は「身を切る改革」を掲げ、他方は「民主主義の破壊」を訴えた。
守るべきなのは465という数字ではない。
削減するべきなのも45という数字ではない。
問うべきなのは、私たちがどのような議会を必要としているのか、そのために何人の議員を必要としているのかということである。今回の論争では、与党も野党も、その最も単純な問いに十分答えてはいなかったのではないだろうか。
