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40年来の親友にも言えなかった初めてのアルバイト

初めてのバイトは大学生のころ。

地元から電車で30分の距離にあるモスバーガーだった。

「いままでどんなバイトした?」とか「しんどいバイトってなんだった?」とか、バイトの話になるたびに「初めてのバイトはモスバーガー」と言い続けてきたので、自分でもそう思い込んでいた。というか、意図的にそう思い込もうとしていたのかもしれない。

初めてのバイト先はモスバーガー。

これは嘘である。

大学生のころ、たしかにモスバーガーでバイトはしたけれど、それはわたしにとって2つ目のバイト先だった。

初めてのバイトの話は、40年来の親友にもしていない。若いころは恥ずかしくて言えなかった。いまなら躊躇なく話せるけれど、いまとなっては「初めてのバイト」が話題にのぼることはない。

彼女は遠く離れた土地に住んでいて気軽には会えないので、久しぶりに会うと、近況報告だけでタイムオーバーとなる。「いま」や「これから」の話ばかりで、昔話にまで割く時間の余裕がないのだ。

彼女にも言えなかった「初めてのバイト」。

それは、朝の新聞配達だった。わたしが高校生のころの話だ。

新聞配達は「苦労人」を想像させる類のもので、女子高生のバイトにしてはキラキラ度がまったく足りていない。だから、人には言いづらかった。

おまけに、わたしが通っていた高校はアルバイト厳禁&見つかったら退学処分だったので、他のだれかに話すわけにもいかなかった。

そういった要因が重なり「新聞配達のバイトをしてるんだ」とは親友にも言えなかった。

なぜ新聞配達だったかというと、家にお金がなく、お小遣いをもらえるような状況ではなかったからだ。

わたしが中学生のころ。日雇い職人だった父親は家族全員の通帳を持って蒸発してしまった。わたしが高校に進学できたのは、あしなが育英会の奨学金のおかげなのである。

食費さえもままならない当時の状況で「友達と遊びに行くからお小遣いが欲しい」「洋服買って」なんて、母には頼めなかった。食べるものにさえ困っているのに、そんなことを言えるわけがない。

そうなると自分で稼ぐしかないのだけれど、高校にバレたら困るので、できるだけ人目につかないようなバイトがいい。

そんなふうに母に相談すると、近所にある新聞屋さんはどう?と言われた。さっそくバイトの面接を受けに行き、即採用。高校1年、4月のことである。

わたしの住んでいた人口の少ない田舎では、朝日新聞販売所、読売新聞販売所、毎日新聞販売所などという新聞のブランド毎の販売店は存在せず、そのエリアにある1つの新聞販売店がすべての新聞を取り扱っていた。

つまり、配達員は、配達エリアにあるそれぞれの家がどの新聞を購読しているのかを覚えなくてはいけない。そして、配達ルートに沿って、各家に正しい新聞を届ける必要があるのだ。

たとえば、配達ルートに沿ってAからZまでの26軒のお宅に新聞を届けるのであれば、

読売(Aさん)、朝日(Bさん)、朝日+日経(Cさん)、毎日(Dさん) …  読売(Wさん)、読売+報知スポーツ(Xさん)、毎日(Yさん)、日経(Zさん)

それぞれの家で購読している新聞をこんなふうに覚えて、ポストに入れなくてはいけない。

当時わたしが担当していたのは300軒くらい。配達すべき新聞の順番をどうやって覚えたのか定かではないが、若さゆえの記憶力だったんだろう。いまでは30軒でも覚えられる自信はまったくないが。

約300軒分の新聞を、毎朝1時間半~2時間くらいかけてボロボロのママチャリで配達していた。

雨の日も、風の日も、雪の日も、晴れの日も。

台風でどんなに大雨になろうとも、足元が雪で滑りそうでも、配達は休めない。少しくらい体調が悪くても、定期テストの真っ最中でも、創立記念日で学校は休みでも、配達は休めない。

新聞配達員が休めるのは、新聞の休刊日だけ。

毎朝4時半に起きて、5時前から7時ころまで朝刊を配達していた。

特に気を遣ったのは雨の日。いまみたいに雨除けのビニールが1つ1つの新聞にかかっているわけではないので、できるだけ新聞がぬれないようにと、そればかり考えていた。自分が着ている雨がっぱのしずくが新聞につかないように、細心の注意を払った。

テスト前は夜遅くまで勉強をしていたので、次の日の朝4時半に起きるのは正直辛かった。教科書や参考書を自転車のハンドルのところに置き、ブツブツ呟いて覚えながら配達していた。

女子高生が新聞配達をしているのは珍しい光景だったんだろう。たくさんの人たちが声をかけてくれた。

参考書を見ながら配達していると、おばちゃんが「テストなの?がんばってね!」と応援してくれたし、雨の日には必ずポストの近くで待ってくれていて「雨の中、ありがとう。ごくろうさま」と声をかけてくれるおじいちゃんもいた。「朝ごはんに食べて」と果物をおすそ分けしてくれるおばあちゃんもいたなぁ。

わたしが配達していた300軒のうち何軒かのお子さんは、わたしと同じ高校に通っていた。ポストに新聞を入れているときに、その同級生や親御さんに偶然出くわしたことがある。

わたしは「しまった … 見られた … 学校にバレちゃうかも」と思いつつ、小声で「おはようございます …」と声をかけた。そのとき、同級生や親御さんも「おはよう」と声をかけてくれ、それ以上はなにも言わなかった。

そのあとなにも問題が起こらなかったということは、見て見ぬふりをしてくれたんだろう。わたしの家の状況を知っていて、そっとしておいてくれたのかもしれない。

いま、このnoteを書きながら、配達中にいろんな人との触れ合いがあったなぁと、懐かしく思い出している。

毎朝、1日のはじまりに数えきれないくらい口にした「おはようございます!」をいまでもちゃんと覚えている。

数えきれないくらいの「おはよう!」「ありがとう」「ごくろうさま」の言葉をもらったこと。それだってちゃんと覚えている。

なんて清々しい1日のスタートを切っていたんだろう。毎日まいにち。

風邪気味のときの配達は本当にしんどかったし、前の晩に寝るのが遅かったときは早起きが辛かった。凍えそうな寒い早朝、お布団から離れたくなかったことだって何度もある。

それでも、受験勉強に打ち込む直前の高3の1学期まで、合計2年と少しのあいだは休まずに配達した。我ながら、よく頑張ったなぁと思う。

若さゆえのパワーってすごいもんだ。

ちょっとやそっとじゃへこたれないぞ!というわたしの精神を培ってくれたもの。その1つが、高校時代の新聞配達の経験なんだと思う。

わたしはなにを気負っていたんだろう。新聞配達をしていたことを隠す必要なんて、これっぽっちもないじゃないか。

このnoteを書きながら、心からそう思う。

新聞配達は他の人が思うようなキラキラしたバイトではないけれど、キラリとする瞬間はたくさんあったんだもの。

1日が動き出すまえの町のようす、空気の匂い、少しずつ変わる空の色、優しく射す陽の光。配達途中での、人とのちょっとしたやりとり。

そんなシンプルなもので、ひとの心は満たされるんだな。

そんな大切なことを知った、高校生のころの早朝の2時間のお話。

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企画に参加したおかげで、わたし自身の大切な過去としっかり向き合うことができました。この企画がなければ、心の奥底にずっとしまわれたままだったかもしれないわたしの一部分が、ようやく日の目を浴びました。

記憶を呼び覚ましてくれて、どうもありがとう!






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