住みたい街を探していたのに、住みたくない街ばかり増えていった
広く見ていたけど、決まってはいなかった
家探しを始めたころ、僕たちはかなり広い範囲を見ていました。神奈川、埼玉、千葉、東京。いわゆる一都三県を、駅距離やリビングの広さなどの検索フォームの条件だけを頼りにして、かなりバラバラに見ていました。
中古マンションがいちばん現実的だとは思っていました。FPさんに相談して、無理のない予算もなんとなく見えていた。だから、あとは条件に合う物件を探せばいいのだと思っていました。
でも、検索サイトでいろいろな物件を見ているうちに、少しずつ違和感が出てきました。なんとなく良さそうな物件はある。価格も、広さも、駅距離も、条件だけ見れば悪くない。でも、本当にここに住めるのかな、と思ってしまう。
地図の上では選択肢が増えているのに、暮らしのイメージは全然濃くならない。神奈川も見る。埼玉も見る。千葉も見る。東京も見る。広く見ているようで、実際にはどこにも足がついていない感じがありました。
世田谷公園に遊びに行った日
その感覚が少し変わったのが、世田谷公園に遊びに行った日でした。その日は、家探しのために街を見に行ったわけではありません。普通に遊びに行っただけです。
公園で遊んで、お昼ご飯を食べに下馬の方へ歩きました。そのとき、なんとなく心が躍りました。道が広くて、歩いていて気持ちがいい。おしゃれなカフェもある。けれど、ただ洒落ているだけではなく、ちゃんと生活の空気もある。
「このあたりなんかいいねー!」
夫婦でそんな話をしました。ここに住んだら、っていう暮らしの絵が、勝手に浮かんできました。
それまでの家探しでは、条件から入っていました。でも下馬を歩いたときは、条件よりも先に「ここで暮らしたいかも」という気持ちになり、二人で高揚感に包まれました。ここで家を見つければいいんだ!
テンションが上がったあとに、落ち込んだ
ただ、その後がよくなかったんです。
「ここいいじゃん!」「住みたいね!」とかなりテンションが上がって、その流れで物件情報を見ました。すると、現実が一気に戻ってきました。めちゃくちゃ高い。僕たちが気軽に検討できるような価格ではありませんでした。
(補足すると僕たち夫婦は地方出身で、当時は特に、エリアごとの相場観がまだほとんどありませんでした)
さっきまで勝手に浮かんでいた暮らしの絵が、物件価格を見た瞬間にすっと遠くなる。テンションが上がった分だけ、落ち込みも大きかったです。
住みたいと思った街は普通にむちゃくちゃ高い。
そんな当たり前のことを、そのときかなり強く思い知らされました。検索サイトで条件に合う物件を探しているだけなら、ここまで気持ちは動かなかったと思います。でも実際に歩いて、いいなと思ってしまったからこそ、届かなさに落ち込みました。
ただ、その日をきっかけに、家探しの見方は少し変わりました。物件だけ見ていてもダメなのかもしれない。まず、自分たちが「住みたい」と思える街を探した方がいいのかもしれない。そう思うようになりました。
それから、いろいろな街を歩いた
そこから、休日にいろいろな街を歩くようになりました。電車で行ってみたり、自転車で行ける範囲を回ってみたり、子どもを連れて公園に寄りながら歩いてみたり。内見というより、街見学でした。
駅前を歩く。公園に行く。住宅街を歩く。この道を毎日歩くとしたらどうだろう、と考える。子どもと暮らすならどうだろう。夜に帰ってくるとき、どんな気分になりそうだろう。そんなことを、物件そのものではなく、街を歩きながら考えるようになりました。
正直に言うと、かなり地道でした。そして、期待していたほど楽しい作業でもありませんでした。行ってみても、ピンとこない。悪い街ではない。住んでいる人もいる。生活も成り立っている。価格的にも、現実的かもしれない。でも、なんか違う。
駅前が少し寂しすぎる。帰り道の気分が上がらなそう。水辺が近いのが、子どもが遊ぶことを考えると怖い。街全体の雰囲気が、少し合わない。ひとつひとつは、条件表に書くほどのことではありません。でも歩くと、なんとなく感じます。
「なんか嫌だね」
「ここではない気がするね」
そんな会話ばかりが増えていきました。
「なんか違う」ばかり増えていく
最初は、それがかなりもどかしかったです。せっかく休日に時間を使っているのに、何も決まらない。物件も決まらない。エリアも決まらない。ただ「違うね」だけが増えていく。
周りの人は、もっとスムーズに決めているように見えました。このエリアがいい。この物件がいい。予算はこのくらい。じゃあ決めよう。そんなふうに、順番に進んでいるように見える。でも、少なくとも僕たちはそうではありませんでした。
広く見すぎて迷い、いいと思った街には手が届かず、現実的な街を歩いてみると心が動かない。そしてまた検索サイトに戻る。その繰り返しでした。
ただ、今振り返ると、あの時間は完全に無駄ではなかったと思います。僕たちは住みたい街を探しているつもりでした。でも実際には、住みたくない街の条件をひとつずつ拾っていたのだと思います。
駅前が寂しすぎるのは嫌。道を歩いていて気分が沈む場所は嫌。水辺が近すぎる場所は、なんとなく不安。便利でも、生活のイメージが湧かない街は難しい。そういう感覚は、検索サイトには出てきません。物件概要にも載っていません。でも、毎日暮らすなら、たぶんかなり大事なことでした。
遠回りだったけど、無駄ではなかった
もうひとつ大きかったのは、その「なんか嫌だね」が、夫婦の間で少しずつ共有されていったことです。
最初は、お互い何を重視しているのか、うまく言葉にできていませんでした。僕は資産性や売りやすさを気にしていた。妻は、そこで本当に暮らしたいと思えるかを見ていた。でも街を一緒に歩くうちに、少しずつわかってきました。
あ、こういう駅前は違うんだ。こういう道は好きなんだ。こういう雰囲気だと気分が上がるんだ。こういう場所は、理由はうまく言えないけど苦手なんだ。
物件を見る前に、夫婦で街を見る。それは遠回りに見えて、必要な時間だったのかもしれません。
もちろん、当時はそんなふうに前向きには思えていませんでした。当時はただ、住みたい街が見つからないと思っていました。テンションが上がる街には手が届かない。一方で、現実的な価格の街を歩いてみても、なかなか心が動かない。理屈では進める。でも、気持ちがついてこない。
家探しは、理想の物件を見つける作業だと思っていました。でも実際には、自分たちは何に違和感を覚えるのか、どんな街なら気持ちよく歩けるのか、どんな場所だと毎日の生活を想像できないのかを知っていく作業でもありました。
住みたい街は、なかなか見つかりませんでした。でも、住みたくない街の輪郭だけは、少しずつはっきりしていきました。
それは成果と呼ぶには地味すぎるけれど、あとから考えると、家探しの大事な土台だったのかもしれません。
