国名を言いたがらない日本人達。海外ってどこやねん?
- 「海外に住んでます」→どの国やねん?
- 「海外の人って優しいよね」→誰やねん?
- 「海外ではこういうの普通ですよ」→どこの文化やねん?
この“海外”という単語、日本人の思考を腐らせてるのではないか?
多くの在外邦人までもがこの言葉を乱用している。在住国と日本を行ったり来たりしてるだけの“井の中の蛙”が、ドヤ顔で「海外では〜」と語る姿は、もはや様式美。ソーシャルメディアで見かけるたびに、こっちが赤面する。
もちろん、「海外旅行保険」や「海外送金」など、制度・商品名・業務上の“海外”表記は別物。それは明確に実務用語であり、曖昧さを演出するための言葉ではない。問題なのは、個人の語りにおいて“海外”を濫用するケースだ。
「海外」という言葉の病理
日本語における「海外」とは、ただの“非日本”を指す言葉。でもその曖昧さが、思考停止と文化的怠慢を生む。
「海外のカフェ文化に感動しました」→それ、タリン?ジザフ?ジャカルタ?
「海外ではこういうのが当たり前」→それ、どこの国?アメリカ?ニウエ?ポーランド?
この言葉を使うことで、具体性を避け、責任を回避し、思考をぼかす。そしてそのぼかしが、文化理解の浅さとステレオタイプの温床になる。
在外邦人の「海外ドヤ顔」問題
日本在住者だけでなく、在外邦人もこの病にかかっている。たとえば:
- 数年住んだだけで「海外では〜」と語り出す
- 実際は在住国と日本の往復だけなのに、世界を知った風を装う
- 自分の住む国を「海外」として語ることで、国際派を気取り権威化しようとする
これはもう、文化的ミスリードであり、言語的詐欺でもある。
なぜ国名を言わないのか?
- 思考の怠慢:「海外」と言えばそれっぽく聞こえるから
- 責任回避:国名を具体的に言うと突っ込まれるから
- 幻想の維持:「海外」という言葉で、自分の経験を“グローバル”に見せたいから
でも、言葉を曖昧にすると、思考も曖昧になる。そしてその曖昧さが、文化理解の浅さや偏見を助長する。
「海外」って言う前に、考えてみてほしい
あなたが「海外」と言うとき、それはどこ?
どんな文化で、どんな人たちで、どんな背景があるのか?
国名を言うだけで、あなたの言葉はぐっと具体的になる。
そしてその具体性が、思考の深さと知性の証になる。
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「海外ってどこやねん?」
この問いを、これからは自分にも投げかけてみよう。
そして、ソーシャルメディアで「海外では〜」と語る前に、その“海外”がどこなのかを明示する勇気を持とう。
それが、言葉を使う者としての最低限の誠実さだ。
