SNSで尖鋭化していく人たち 『デジタル・ポピュリズム』
冒頭、著者が海外の友人たちと集まった際、それぞれが以前に比べてすごく尖った意見を持ち、しかもそれを表明するようになっていて著者が驚いたという話がある。
SNSやネットニュースの影響、ネット検索のアルゴリズムなどに、多くの人が影響を受ける。これの怖いところは、私も含めたほぼすべての人が、
「他の人は大きく影響を受けるかもしれないが、自分は影響されないか、されるにしても小さく限定的だ」
と信じていることだろう。
本書によると、偽ニュースを信じる人たちについて研究した結果、
必ずしも学歴とか知識が足りないということではなく、情報やニュースを熟考して疑う能力がないためでもない
たしかに、高学歴だったり社会的地位が高かったりしても、また情報の吟味力が高そうな人でも、周りの煽りに乗っかったまま降りないことがある。そこには「攻撃集団の一部と化すことによる帰属の心地よさ」が多少はあるかもしれない。だが、それ以上に「その集団を率いているような感覚」が気持ちいいのではなかろうか。「正義は我にあり、皆のもの続け〜!」みたいな。とたえそれがなんの価値もない錯覚だとしても。
Twitterの炎上について「リアリティショーを眺めている感覚」と書いている人がいた。
なるほど。
当人は現実とSNSを切り離し、「現実は充実している」と思い込んでいるようだが、私には、「デジタル世界の向こう側には生身の人間がいる」ことが分からなくなるくらいSNSに冒されきっているように見える。
そして、SNSの怖さはここにある。脳内汚染されていても、自身ではなかなか気づけないのだ。
皆さんは、どう考えるだろうか。
偽ニュースをすぐ信じる人々は、偽であることを「疑う動機がない」のである。つまり、一定の情報や偽ニュースが本当であるかどうか確認しないのは、したくないからで、自分たちの視点に合っていればそれでいいと判断してしまう。彼らは、自分の偏見を偽ニュースで確認し、「やっぱりそうだったのか」と思いたい。偽ニュースは、 自らの偏見を裏付けるためのよりどころでもある。
つまり、正しいかどうかには興味がなく、自分の意見を補強するかどうかが大事だということで、いわゆる「確証バイアス」か。
偽ニュースを信じる信じないにかかわらず、「怒れる市民たち」の特徴は、
1.大げさで簡単な言葉しか使わない。
2.うそでも繰り返し同じことを言う。
3.反難民、反イスラム化、反エスタブリッシュメント、反グローバル化などを主張し、不安をあおる。
中でも特徴的なのは次の点だ。
・私たちは善良な市民で、悪いのは「お上」(権威、政府、エスタブリッシュメントなど)だ、 との思い込み。
・自分たちの声を何があっても聞かせようとする。
・注目されるために奇想天外の演出もする。
・人々の不安をあおり、利用する。
・時には偽ニュース、陰謀説とわかっていても拡散する。
日本の話題が少なめだったが、分量のわりによくまとまっている良い本だった。
