中毒性が強い舞台"画餅"ユートピア
すごいものを観てしまった。中毒性が強い舞台
"画餅"ユートピア
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わたしは普段テレビも見なければ、YouTubeもほとんど見ない。アイドルを追っかけたこともないし、推し活と呼べるほどの推しもいない。
芸能界に疎すぎて、笑点のメンバーくらいしか全員の名前を言えないのではないかと思うほど、浦島太郎状態なので息子に"ママは知らなすぎる"とガッカリされる。
芸能界には疎い私だが、無知であることはある意味フラットに物事を見つめることができるし、偏見もなければ、情報の刷り込みもないことになる。
昨晩は"画餅"の舞台を見に行った。
何も調べず、どんなことが繰り広げられるのかも、分からずに、撮影で参加していた写真家の南阿沙美さんが関わっている。という繋がりと、彼女を通じて知り合った俳優の八木光太郎さんが出演していること。(ちなみに演技を見るのはこれが初めて)
重ねて、若い頃知り合ったアーティストのガキヤイサムさんがなんとビジュアルを担当していることに勝手に感激し、わたしすぐさまチケットを購入した。
下北沢小劇場B1。下北沢は私にとって思い出深い街だ。北口に小さな飲み屋街があったあの時代から駅前は様変わりして、ロータリーはピカピカに綺麗になりすぎて、わたしが愛した埃っぽい下北沢はどこかに消えていた。
スーパーオザキが"ozaki"のサインに変わっていて、劇場はその先を曲がった地下にあった。
開場する前に着いたので、運良く一番前の席に座ることができた。
あたりが真っ暗になり、星のように散りばめられた光の中に切り替わり、どこかの宇宙の片隅に放たれたような感覚になった。
暗転から一気に部屋に光が灯されると、舞台にはなんでもないシンプルな机に椅子が二脚。
やけにサバサバとした独特な語り口調の美少女と、生まれたての卵のように純真な田舎娘が目の前に。
複数の人物が四方八方に移動し、ありそうでなさそうな出来事がつぎつぎと起きていく。わたしは無知なので、そのすべてをフラットに捉えているはずなのに、各所で出てくるさりげない言葉のチョイスに笑いが止まらず、何度も口を手で覆い、腹をよじらせた。
台詞なのか、本人の内側から本当に出てきた想いなのかが度々分からなくなるほど良い意味で混乱した。
何回だろう、数えられていないがおそらく15回程度、コントのように繰り広げられるありとあらゆるシーンとやりとり。そのどれも設定がおかしく、登場人物全員のキャラクターが濃すぎて、主役や脇役がなんなのか、どうでもよくなる。とにかく笑った。声を出して笑わずにはいられなかった。途中からわたしだけでなく
会場全体が覚醒したのか、笑いの渦に巻き込まれ、小劇場が宇宙へと飛び出す宇宙船になったようなエネルギーを生み出していた。
客席から笑いが止まらず、途中から舞台で繰り広げられる奇想天外な出来事の方が現実で、わたしが生きている混沌とした世界の方が異常にも感じられた。それくらい、わたしは最近腹を抱えて、爆笑していなかったのかもしれない。
客席に座っている人の幾人も演者なのかもしれないと思うほど、誰もが声を揃えて笑っていた。世界は戦争が終わらないし、自然災害も拡大していく。舞台にたつ人物は、生死をかけた混乱状態であるのに、小劇場の中は笑いに包まれ平和そのもの、喜びに満ち溢れていた。楽しいって、最高だな。
脚本の中でうんうんと深くうなづくポイントが終盤にあった。
物作りは楽しくて楽しくて仕方がない。若い頃、将来の不安など何もなかったわたしは、絵を描くことを仕事にしたくて、バイトをしながら自分の世界をいち早く作ろうとした。
クリエイティブはひとりで仕事にしようと思うと歩んでいくうちにいきなり急斜面を登っていくような瞬間が何度もある。山登りは山頂がゴールになっていて、頂上に登った者にしか見ることのできない景色がある。けれど、クリエイティブを仕事にすると、山頂に登ってはまた違う山を登り出す。下山してはまた登るの繰り返し。
年齢と共に筋トレでもしないと山は登れず、途中で離脱するものもいる。そんなことは当たり前で登る途中に事故にあって救済も届かず、生命を落とす人もいる。登り方を学んでいたとしても、雨が降ったり、足を踏み外したりもする。だから、ずっと登り続けることができるなんて、全員が全員できることでもない。
創作を仕事と捉えた瞬間から、楽しいだけでは終わらないこともたくさんある。社会は格差が大きくて、生活は困難になるばかりだし、クリエイションはわたしたちを豊かにしてくれる要素があるにも関わらず、日本ではあまり大事にされていないようにも思う。だからこそ大事にしたい。
ユートピアを追い求めて、また画餅の舞台を見にいくだろう。あぁ、あぁ、またあの笑いの渦の中に飛び込みたい。すっかり画餅の魔法にかかってしまったようだ。
