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はなびら散る散る、春のリビング。自業自得の掃除地獄。

枯れたゼラニウムの葉。美しくてさっさと捨てられない。

そもそも植物や動物や虫に悪い感情は薄い。とはいえ害虫だの不益になるモノたちには厳しくなることもあるさ、もちろん。でも概して好きではある。

植物の扱いはあまりうまくない。過保護すぎるらしい。つれあいには
「水をやりすぎだって! もういいからオレがやるから」
と、ベランダ植物の世話権利を取り上げられて久しい。なので、気になってもぐっとこらえて植物たちを褒めたおすくらいしかしていない。
「寒くてもがんばってるねー、葉っぱ出せるといいねえ。お花が咲いたのねーキレイ、あーらアブラムシさん、あーらショウジョウバエさん」
室内の観葉植物は、少しだけ世話をしてよいことになっている。週に2回霧吹き。水位計が下がってから2日あけて水やり。せっせ。

切り花の世話は全面私の役割だ。水替え、水切り、枯葉や花びらの処理。成長というか老化の具合によって花器を変えていくのも楽しい。溜まった水は腐敗しやすいのでこまめに水替えをしつつ、花や枝のケアをする。

春は花開く季節。お花屋さんの店頭のように、街にも花が広がる。梅が終わりに近づくと桃やボケが開き、まっ黄色なのはサンシュユか、もさもさしてるのはミモザ、この芳香は沈丁花。早咲きの桜も満開、コブシが崇高な姿を現す。足元にはフキノトウやホトケノザ、オオイヌノフグリもかわいらしい。誇らしげに風になびくのはユキヤナギ。小さな小さな花びらが、春の強風に飛ばされていく。

そのユキヤナギの花びらが、我が家のリビングにもぱらぱらと落ちている。枝ものの動きがある姿はインテリアとして最高峰、愛してやまないのだが、花はやがて落ち、大量の小さな花びらのそうじが必要になる。街路樹のモミジバフウの見事な紅葉も見るたびに感情が高ぶるのだけど、その落ち葉そうじも大変な労力がいる。ま、似たようなもんだ。レースフラワーも同様、ひろがった姿はかわいらしいのだけど花びらが落ち始めるとこれもすごい。

潔癖症のケがあるつれあいはきっと、テーブルに落ちた花びらを疎ましく思っているに違いない。なにも言わないけれど。気がつくと拭いたり取ったりするとはいえ、なにしろ小さくて軽いから扱いは慎重だ。花瓶も乱暴に扱ってはならない。雪のような花吹雪はその場では美しいが、後処理がひどくしんどい。いっそ全部散らせて掃除機で一掃か、とも妄想するが全部散らせるなんてことはできない。キッチンシンクの上でぱぱぱと軽くたたいたりすると、川に広がる花びらの花筏のようになる。もちろんシンク内にすべて入るはずもなく、キッチン周辺が花びらだらけ粉だらけのありさまだ。

花が散るようになったら捨てる、というヒトもいるかもしれない。しかしどうもそれができないのだ。
「枯れた花色も味わい深いねえ、立派な茎や葉っぱだ。あーこのラインが美しい、この枯れたところと青いところのコントラスト、この枝のしなり」
なにかと理由をつけて愛でてしまう。老いて生かすことの良し悪しはわたしには判断つきかねる。もしかしてしんどさを強いているのかもしれないが。

先日、プラスチックごみの回収が変わるという説明会があった。説明会では担当者さんが出してはいけない例をあれこれ教えてくれた。ごみの収集でやっかいなのは、小物家電などに入っているリチウム電池の火災やビーズクッションに入っているマイクロビーズの処理だ、ということは聞いてはいたが、実例も含めてリアルに知ることができた。

特にマイクロビーズはやっかいで、いくら小さく分けてもダメだとのこと。つまりごみ収集車で圧縮すると破裂することが多く、漏れ出して拡散し、掃除することができなくなるらしい。まとまっていればなんとかなるものを、捨てる段階でマイクロプラスチックがばらまかれるというわけだ。マイクロビーズは燃えるゴミではあるが、捨てるときは必ず担当部署に電話をしてほしい、そうすれば別の車を派遣するから、とのことだった。恐るべしマイクロビーズ。捨てるのが大変で再処理しにくいモノ、太陽光パネル、EVのバッテリー、そしてマイクロビーズってことなんじゃないの。ぶるる。

えーたいへんじゃんうちのビーズクッションも気をつけなきゃ、と家に戻ると、ユキヤナギの花びらがランチョンマットに点々と落ちていた。ああ、これはナチュラルなマイクロビーズのよう。大量に落ちてそうじができない。でもこれは土に還るのでノープロブレム、いやしかしここは土がない。そうだ、ユキヤナギもレースフラワーも、野にあってこそ。ストックのピンクの花びらやデルフィニウムの青い花びらが大量に落ちるのも、花が悪いのではない、ここが室内だから悪いのだ。切って室内にもちこむヒトの業がすべての根源、自業自得の当然の作業であったのだ。

すべてはヒトの利己的な理由で、キレイだの欲しいだの面倒くさいだのって言ってるわけで、それはよくあることだ。鳥の糞も落ち葉も大切なヒトの下の処理も、面倒なことはアウトソーシングするか切り捨てるか目をつぶるか、それとも受け入れるのか。時と場合、効率と利害によるけど、花びらのそうじくらいは粛々と受け入れるキモチになっている。これも含めてアナタを受け入れたのだからね。

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