【第36話】さらば、グルダニ刑務所
2021年3月27日、逮捕から9ヶ月と4日目。
――ついに、その日が来た。
朝早く、看守がB-150号室の扉を開いて、こう言った。
「荷をまとめろ。今日、お前はゾナへ移動だ」
その言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になった。
9ヶ月以上もここで過ごし、ようやく出られるのかと思うと、期待や不安が押し寄せてきて、気持ちは一気に忙しくなった。
私はすぐに荷物の整理にとりかかった。衣類、洗面道具、ノートや辞書、そして……テレビ。
そう、テレビだ。
ジェリーとカールがケサニに移った後、私のテレビは、部屋の“娯楽の命綱”だった。私、ファシャ、マジの3人で、まるで砂漠に落ちた水を囲むようにしてそれを見ていた。
だが、私がゾナに行くとなれば、そのテレビも一緒に連れて行かねばならない。
そうなると、部屋にはファシャとマジだけが残され、音も色もない空間になってしまう。
案の定、ファシャが言ってきた。
「お願いだよ。テレビ、置いていってくれないか?」
彼の声は静かだったが、どこか切実だった。
私は、テレビをあげたい気持ちに一瞬だけ傾いた。
――でも、無理だった。
さすがにゾナの生活がどうなるかも分からない中で、貴重な情報源かつ唯一の娯楽を置いて行くほどの余裕はなかった。
そのとき、ふと思い出した。
――ジェリーの壊れたテレビ。
そうだ、あれがまだ部屋の隅に残っていた。
ジェリーが去るとき、新しいテレビだけを持ち、古い方は「もう使えない」と言って残していった。
私はそのテレビを引っ張り出し、電源を入れてみた。画面は真っ暗なまま、だがスピーカーから音が漏れた。
チャンネルを変えていくと、あるロシア語の音楽番組に辿り着いた。
言葉はわからない。でも、旋律は現代的で、部屋が明るくなったように感じた。
私はファシャに言った。
「画面は映らんけど、これで音楽は聴ける。何とかこれで耐えてくれ」
ファシャは、静かに頷き、ほっとしたように微笑んだ。
いよいよ、出発のとき。
ファシャとマジが、無言で扉の前まで来て、見送ってくれた。
私はパンパンに詰まった袋を両手に持ち、テレビを小脇にかかえ、ゆっくりとB-150号室を後にした。
「元気でな」――
言葉はなくても、目と目でしっかりと交わされた。
私は看守に連れられて、グルダニ刑務所の“例の地下室”へ向かった。
そう。あの、裁判所に向かう前に押し込められた、あの空間。
今日、同じようにゾナへ移動する受刑者たちが、すでにそこに集められていた。
ざっと50〜60人。皆が荷物を抱え、床に座り込んでいる。
そして、その中に外国人は一人もいなかった。
私はただ一人、完全に浮いた存在だった。
でも、扉の横に立っていても意味はない。
私は静かに中へ入り、そっと加わった。
どんな場所に行くのか――。
どんな日々が待っているのか――。
考えてもわからなかった。でも私は、その自分の置かれている非日常的な状況に、小さな興奮を感じていた。
そして、周りを観察していて気がついた。
その時、“もうすでに狩りは始まっていた”のだ。
続く。
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