【第29話】騒がしい希望と、静かなクリスマス
先日、2020年12月16日に、アムネスティ(恩赦)のニュースが流れてから、刑務所内の空気は一変した。
それまでは、誰がケンカしたとか、誰が何を隠し持ってたとか、そんな日々の話題で回っていた空気が、一気に「アムネスティ一色」になった。
「いつ実施されるのか?」
「自分の罪はどこまで減刑されるのか?」
「〇〇の方が先に出るらしい」
「いや、発表は建前だけで、今年はないかもしれないぞ」――
朝も昼も夜も、みんなアムネスティの話ばかりだった。
もはやそれ以外の話をすることすら、無意味に感じるような空気だった。
しかも今回のアムネスティは、ジョージアにとって13年ぶりという、特別な意味を持っていた。
これはただの“制度”ではなく、ジョージア人にとっては数年に一度の祭りに近い感覚だったのだろう。
そんな、減刑への期待が高まる中で、私が迎えたのが、12月24日と25日――クリスマスイヴとクリスマスだった。
日本で生きていた頃なら、この時期は街が光に包まれ、恋人たちが手を繋ぎ、家族が集まってケーキと七面鳥を囲む、そんな“特別な日”だった。
だが、ここは刑務所。
そんな浮かれたものは一切ない。
ただ、ひとつだけ印象に残ったのは、
ジョージア人たちはこの12月のクリスマスにまったく浮かれていなかったということだ。
なぜなら、ジョージア正教のクリスマスは、1月7日(あるいは10日前後)に行われるからだ。
つまり、世間的にはクリスマスだという事を知っていない訳ではないが、彼らにとって「12月25日」は、クリスマスではなく、何でもない平日と同じ扱いだった。
それでも、数人の外国人受刑者たち(南アフリカ人、ナイジェリア人などクリスマス文化が強く根付いてる国の人々)は、「メリークリスマス」と声を掛け合ったり、小さなチョコやクッキーを分け合ったりしていた。
もちろん、私も「おめでとう」と声をかけてもらった。
でもその時、「何もめでたくないなんかない」と強く実感したのを覚えている。
「おめでとう」という言葉は、本来、美しいものや素晴らしい出来事をたたえ、祝うためのものだ。
だが、刑務所の中には、何もおめでたいことなんてない。
美しいものや素晴らしいことなどない。
醜いもの、汚いもの、臭いもの、不味いもの、不快なもの――それしか存在しない世界だった。
だから、何回「おめでとう」と言われても、私は違和感しか感じなかった。
だが、その“異文化的な温かさ”も、
アムネスティの話題の前ではすぐにかき消されていった。
みんなが本当に知りたいのは、「自分が早く出られるのかどうか」だった。
塀の中のクリスマスには、
華やかなイルミネーシションもなければ、温かい食事もない。
でも、希望という名の光が、すでにみんなの胸の中に灯っていた。
その期待感だけで、人生初めての刑務所の冬は、ほんの少しだけ、明るく感じた。
続く。
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