【第54話】“何も起きない”という奇跡
部屋に戻ると、見慣れない顔がいくつかあった。
308号室の中央に、男たちが集まっている。
ざっと見て4人ほど、別室のマフィア達がきているようだった。
ソウソウに呼ばれ、私もその輪の中に加わった。
私が座ると、そのうちのひとりがこちらにじっと視線を向けてきた。
骨ばった頬に、血走った目。
そして、右手には――鞘に収めたままの細身の小刀を握っていた。
「おいおい、ここは刑務所やろ……なんで、こんなもんが許されてるんや」
目の前の現実が衝撃的すぎて、理解が追い付いていなかったが、動揺せずに対応せねばならず、それに精一杯だった。
すると彼は私の方へ半歩にじり寄り、低い声で言った。
「シェン、イアポヌリホ?(お前、日本からきたのか?)」
私は頷いた。すると、彼はまるで玩具を見せるような手つきで、ちらりちらりと小刀を傾ける。
その動きが妙にわざとらしくて、私はつい目で追ってしまった。
それに気づいたのか、彼がニヤリと笑って言った。
「アミト・ダインテレサブルィ・ハル?(お前、これに興味あるのか?)
よく見ると、そのサーベルの鞘には細かい装飾がびっしり刻まれていた。
鞘には小さなドクロの彫刻と、安っぽいが異様に光る石が埋め込まれていた。
どこか幼稚で、だが残酷なまでに美しかった。
私は黙ったまま目をそらさずにいると、彼はついに刀を鞘から抜いた。
スラーっ……と、静かで冷たい音。
その瞬間、刃が鈍く光を反射し、ゾナの薄暗い室内に鋭い稲光のような輝きが走った。
何もやることがない刑務所の中で、あるだけの時間と精神力を注ぎ込んで磨かれたんだろうか、と想像させられてしまう。
それくらい、その刃は異様に鋭く、そして綺麗だった。
何も言わずに、それを私の目の前で一度だけ振った。
空を切る音が、背筋を撫でた。
それは“見せびらかし”ではなかった。完全な“メッセージ”だった。
──「こっちは、いつでもやれる準備があるぞ」
言葉ひとつないのに、こめかみの裏にまで圧がかかるような感覚があった。
私は、その目を見返すしかなかった。
この世界では、“怯えた目”を見せた瞬間、
自分の何かが一つ、確実に削り取られる。
一瞬、時間が止まったような空気。
だが次の瞬間、彼はまたすっと刀を鞘に戻した。
何事もなかったかのように、別の男に話しかけ始めた。
私は、静かに息を吐いた。
まるで、心臓が一度だけ止まっていたかのように。
ああ、これがゾナだ。
“何も起きない”ということが、奇跡のような空間。
私の慣れていない反応を見て、ソウソウは不気味に笑っていた。
「ジズバラン!」
そう言われたら、「ヴェチナ!」と返さなければならない――このゾナの“暗黙の挨拶”だ。
そうしないとどうなるか? 想像したくもなかった。
続く。
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