「狂気」はトレーニングで養えず、私がリングを降りた理由。
2011年某日。判定で負けて、その帰りの電車で視界が欠けていることに気づいた。
「ああ、またやってしまった……」という絶望と同時に、明日の仕事はどうしようかなど、つまらないことを思う。
翌日、病院に行って検査をすると、網膜が大きく剥がれている上に裂孔していた。即入院して手術を行う。
すでに右眼を2回、左眼も今回の手術で2回目だったので、合計で4度目だ。
主治医の先生からも「これ以上は失明の危険性がある」と言われたし、年齢も30歳、すでにピークアウトしている。
引退するには良い頃合いだったのかもしれない。そこで私のプロアスリートとしての人生は幕を下ろした。
私は子供の頃から足が速く、徒競走では一番になれなかったことの方が少ない。コツを掴むのが早く、何でも小器用にこなせるタイプだった。身体能力もそこそこだったし、総じてすぐに活躍することができた。
中学から始めたバスケはもちろんスタメンだったし、高校ではハンドボールでインターハイ予選準優勝。
そして大学で始めた格闘技でも、全日本ベスト8までいけた。
その「小器用さ」が自信になり、私はそのままプロアスリートとしての道を歩みだした。
しかし、プロの世界は甘くなかった。
そこは、本気の人間が「狂気」とも言える努力を継続し、その上で才能すら持っている世界だ。
また、格闘技ともなれば人を殴り倒す、言葉の通りの「狂気」も必要である。
小器用な私程度では到底、生き残ることができない場所だった。
引退してからの生活は正直、あまり覚えていない。
山も谷もなく、ただ毎日が淡々と過ぎていくだけだった。
そうして、私の静かな「今」へと続く。
