脱出したかった、誰も知らない場所へ──年末年始の海外旅行(前編)|ことり日記|十九話
年末年始になると、多くの家では家族の集まりがあります。
親戚が集まったり、家族でお出かけをしたり。テレビでも、そんな温かい家族の様子が映し出されます。
でも私たちは、母と子、二人だけでした。
そういうイベントごとが、なんか寂しく感じました。あまり家にいたくありませんでした。
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ある年の年末が近づいた時、脱出したいという気持ちが湧いてきました。 どこか、誰も私たちを知らない場所へ行きたい。
そう思って、自分で調べ始めました。
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調べてみると、驚きました。
国内旅行より、アジア旅行の方が安かったのです。アジアのツアーが、2万円代程で見つかりました。
あれは20年前、円高の時代でした。今は円安で、同じようにはいきません。でも、あの時だからこそ、行くことができました。
でも、不安材料を考えれば考えるほど、色々と出てきました。
「子どもが熱を出したらどうしよう」「言葉が通じなかったら」「道に迷ったら」
私の中に、前に進もうとする私と、それを止める私がいました。「何もしない、今のままであれば痛手はない」という言い訳も頭をよぎりました。
でも、脱出する気持ちの方が強かったのです。
「熱が出たら、出た時に考えよう。出てもいないのに考える必要はない」
そう思って、決断しました。
現地の通貨を準備し、小銭も用意しました。バスや電車の料金、ちょっとした買い物のためです。
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子どもはまだ小さかったのですが、一緒に行くことにしました。
年末年始、私たちはアジアのある国へ向かいました。 初めての海外旅行でした。
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着いてみて、感じました。
誰も、私たちの環境を知りません。
もちろん、すべてが順調だったわけではありません。食事やレストラン選び、移動など、すべて自分で判断しなければなりませんでした。言葉の壁もありました。
でも、現地の人たちは、私が一生懸命に質問すると、相手も一生懸命に理解しようとしてくれました。

レストラン選びも、移動手段も、安全な公共手段を選んで、地図を見ながら二人で考えました。
電車やバスに乗っても、降りる場所を一緒に確認しました。子どものための、こぢんまりした博物館や動物園では、館内の地図を見ながら一緒に回りました。
小さな子どもが、一生懸命に地図を見て、「こっちかな?」と教えてくれることもありました。
その時、この子と二人で頑張ろうと思いました。
言葉の壁も、慣れない土地も、苦労はありました。でも、それでも気づいたのです。
日本では、私は「ご主人が亡くなった人」として見られることがありました。「母子家庭で大変ね」と言われることもありました。
でも海外では、苦労はあっても、ただの観光客でした。普通の母と子でした。
私も、自然体でいられました。
子どもにとっては、海外も国内も関係ありませんでした。いつものお母さんと一緒。それだけで、いつもと変わらない様子でした。それが子どもなのだと思いました。差別も、嫉妬もない。純粋無垢です。
苦労はありました。でも「誰も私たちの環境を知らない場所」で感じた自由は、それを上回るものでした。
そんな旅の中で、忘れられない出来事がありました。 それは、中編に続きます。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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