【UTAKO恋愛実録 #2-6/待っていたのは、私だけじゃなかった】
UTAKO恋愛実録 #2-6
待っていたのは、私だけじゃなかった
和訳
朝が明けるまで
【Verse 1】
溶けていく氷が 夜の残りを数えている
冷めたコーヒーが 灯りの下で揺れている
遠い場所から ずっと見つめていたその顔が
今日は手を伸ばせば届くほど 近くにいる
青い信号が 海へ続く道を照らし
名前のない夜が 目の前にひらいていく
知らなかった香りが 部屋の中を満たして
失ったと思っていた季節を 目覚めさせた
【Pre-Chorus】
強さの奥に 静かな怖れが聞こえた
笑顔の奥に 忍び寄る影が見えた
何も言えなかった この瞬間はあまりに脆くて
それでも淡い光が ゆっくりと差し込んでいた
【Chorus】
朝が来るまでは 未来はあなたの中にあった
ふたりの間のぬくもりが 答えのように思えた
長すぎた年月さえ 少しずつ消えていき
言葉のない時間が告げるものを 信じていた
まだ消えないで 朝を目覚めさせないで
名前のないこの夜の中に 抱きしめていて
夜明けの気配を すべて遠ざけたまま
ずっとここにいられると 信じさせて
【Verse 2】
別の空の下で生きる未来を あなたは語った
ずっと心の奥に隠し 名前さえつけられなかった夢
暗闇の中で 穏やかな声は少しずつ柔らかくなり
瞳の奥で 隠していた悲しみが揺れていた
その痛みは きっとずっとそこにあった
深すぎて手放せず 古すぎて消えたとも言えないまま
聞かせてくれた言葉を 一つ残らず受け止めながら
離れていたふたつの心が ここへ辿り着いたのだと思った
【Pre-Chorus】
誰にも見せなかった震えを 隠していた
まるで同じ夜が ふたりの中にあるようだった
交わした言葉が 運命のように感じられて
過ぎた年月は この時を待つためだったのだと思った
【Bridge】
「もっと早く出会えていたなら」
静かな部屋に あなたの声がそっと落ちた
その腕の中で ふたりを隔てた年月が消えていく
夜明けを消して まだ失う覚悟なんてできていない
【Final Chorus】
朝が来たあと 未来は消えていた
ふたりのぬくもりは 約束ではなかった
何年も待ち続けた言葉は 最後まで聞けないまま
雨の中に溶けていく 白い煙のように消えた
まだ消えないで 朝を目覚めさせないで
名前のないこの夜の中に 抱きしめていて
たとえ明日が ふたりの道を引き離しても
あの夜は本物だった 今もこの胸に生きている
深夜のファミレス。
店内には数人の大学生と、私たちだけだった。
田舎なんてそんなもんだ。
窓の外には、まだ深い夜が広がっている。
駐車場の向こうを、時々、車のライトが横切っていった。
西住くんは、冷めたコーヒーを飲みながら、窓の外を見ていた。
氷はとっくに溶けていて、グラスの表面についた水滴が、ゆっくりとテーブルへ落ちていく。
私はその横顔を、気づかれないように見ていた。

あの頃は、会うことすら叶わなかった人が。
話したくても話せなくて。
会いたくても、会う理由さえ見つけられなくて。
遠くから姿を探すことしかできなかった人が。
いま、当たり前みたいに、目の前にいる。
「お前さっきから見過ぎ」
急に西住くんがこちらを向いた。
「あっバレた?」
「バレてるに決まってんだろ」
私はちょっとにやけながら、ストローでグラスの中の氷を回した。
昔なら、目が合っただけで息ができなくなっていた。
けれど今は、同じテーブルに座っている。
西住くんの飲み物がなくなれば、私がドリンクバーへ行く。
私が寒そうにすれば、西住くんが車から上着を持ってくる。
そんな小さなことが、少しずつ増えていた。
車で夜の街を走った。
行き先も決めず、信号が青になるたびに、ただ先へ進んだ。
コンビニで缶コーヒーを買って。
海の見える場所に車を停めて。
何を話していたのか、思い出せないような話を、朝まで続けた。

そのあと彼の部屋で、音楽を聴いた。
西住くんが好きだと言っていた曲。
昔、バイクに乗りながら聴いていた曲。
部屋には、煙草と柔軟剤と、少し古いスピーカーの匂いがした。
棚には、読みかけの雑誌。
床には、脱いだままの黒いシャツ。
灰皿には、途中で消された煙草が何本も残っていた。
私の知らない生活が、そこにあった。
一度会えただけで奇跡だと思っていた相手と、もう何度も一緒に過ごしてる。
約束がなくても、連絡が来る。
用事がなくても、声が聞ける。
会いたいと言えば、会えるかもしれない。
それだけで、昔の時間が全部報われていくような気がしていた。
——
不思議だった。
「昔から好きだった人」のはずなのに、
私が見ていたのは、もう、思い出じゃなかった。
記憶の中の西住くんは、いつも強かった。
誰よりも自由で。
何も怖がらなくて。
迷うことなんて、ないように見えた。
誰かに何を言われても、自分の道を走っていく人。
私はずっと、その背中を追いかけていた。
けれど、何度も会ううちに、少しずつ見えてきた。
将来が、見えないこと。
見えないことを、誰にも知られたくないこと。
本当は迷っているのに、それを口にすれば、自分が弱くなるような気がしていること。
仕事の話をするときだけ、声が少し低くなる。
家族の話になると、すぐに話題を変える。
誰かの夢を笑うくせに、自分の夢については、何も言わない。
強い人だと思っていた背中に、
少しずつ、弱さが滲んで見えてくる。
それは幻滅とは、少し違った。
むしろ、もっと近くなった気がした。
手の届かない人ではなく、
傷つくことも、迷うこともある人。
私はいつのまにか、
“ずっと好きだった西住くん”ではなく、
“今、目の前にいる、一人の男の人”を、
知りはじめていた。
知れば知るほど、分からなくなることも増えた。
何を考えているのか。
どうして急に黙るのか。
なぜ優しくした次の日に、突き放すような言い方をするのか。
それでも私は、その分からなささえ、嬉しかった。
遠くから見ていた頃には、知ることのできなかったものだったから。

「西住くんって、将来どうしたいの?」
ファミレスを出たあと、車の中で聞いた。
エンジンは切られていた。
フロントガラスの向こうには、閉店した店の看板と、誰もいない道路が見えていた。
西住くんはシートを少し倒し、天井を見ていた。

「別に。まだ分かんねえ」
「何にも考えてないの?」
「考えてるけど」
そこで言葉を切った。
「口にしたら、その通りにしなきゃいけなくなるだろ」
「そんなことないよ」
「あるだろ。言ったのにできなかったら、ダサいじゃん」
「誰に対して?」
「知らねえよ」
西住くんは少し笑った。
けれどその笑い方は、いつものように誰かを馬鹿にする笑いではなかった。
「じゃあ、お前は?」
「え?」
「将来。どうしたいんだよ」
私は窓の外を見た。
遠くの信号が、赤から青へ変わった。
通る車は、一台もなかった。
「東京に行きたい」
口にすると、胸の奥が少し震えた。
「歌やるため?」
「うん」
「本気で?」
「本気だよ」
「ふうん」
「ここにいると、ずっと同じ自分のままな気がする」
西住くんは黙っていた。
否定されると思った。
夢みたいなことを言うなと、笑われると思った。
けれど西住くんは、しばらくしてから、少しだけ笑った。
「お前、昔から変わんねえな」
「どういう意味?」
「どっか行こうとしてるところ」
「昔から?」
「ずっと、ここじゃないところ見てたじゃん」
その言葉に、胸を掴まれた。
自分では、誰にも気づかれていないと思っていた。
田舎の街で。
決められた毎日の中で。
何者でもないまま終わってしまうことが、怖かった。
けれど、そんなことは誰にも言えなかった。
西住くんにも、言ったことはなかったはずだった。
それなのに、知っていた。
——その一言が、
どうしようもなく、嬉しかった。
会わなかった時間の中でも。
私は、彼の中に、残っていた。
昔の私を、覚えていてくれた。
ただ名前を知っているだけではなく。
どこか遠くへ行こうとしていたこと。
今いる場所から抜け出そうとしていたこと。
自分でもうまく言葉にできなかった私を、彼は見ていた。
忘れたことはなかったのか。
会いたいと思ったことはあったのか。
あの頃、少しでも同じ気持ちだったのか。
聞きたいことは、いくつもあった。
けれど、答えを聞くのが怖かった。
だから私は、彼の言葉の中から、自分に都合のいいものだけを拾った。
忘れていなかった。
見ていてくれた。
残っていた。
待っていたのは、私だけじゃなかったんだ。
そう、思えた夜だった。
——
何度目かの、夜だった。
いつものように話していたはずなのに、
二人のあいだから、少しずつ、言葉が消えていった。
音楽は流れていた。
けれど、何の曲だったのかは覚えていない。
窓の外を走る車の音。
冷蔵庫の低いモーター音。
西住くんが煙草を灰皿へ押しつける音。
それまで気にならなかった小さな音だけが、妙にはっきり聞こえた。
私はベッドの端に座っていた。
西住くんは、すぐ隣にいた。
肩が触れそうで、触れない距離。
何かを言わなければと思った。
けれど、何を言っても、この空気を壊してしまう気がした。
西住くんが、私の髪に触れた。
耳の横に落ちていた髪を、指先ですくった。
その動きは、思っていたよりも優しかった。
胸が、急に苦しくなった。
ずっと想像していたはずなのに。
何度も夢に見たはずなのに。
本当に触れられると、どうしていいのか分からなかった。

「なんで、もっと早く、こうならなかったんだろうな」
問いかけでも、なかった。
答えを、待ってもいなかった。
ただ、こぼれ落ちた言葉みたいに、
その声は、少しだけ掠れていた。
もっと早く。
その言葉が、私の中にある長い時間を、一瞬で肯定した。
あの日も。
あの夜も。
一人で泣いたことも。
忘れようとして、忘れられなかったことも。
全部、無駄ではなかったのだと思った。
西住くんも、同じように時間を悔やんでいる。
そう信じたかった。
私は、逃げなかった。
拒む理由なんて、
とっくに、どこにもなかった。
西住くんの指が、頬に触れた。
顔が近づいてくる。
目を閉じる直前、彼がどんな顔をしていたのかは、覚えていない。
怖かったのかもしれない。
嬉しかったのかもしれない。
ただ、もう戻れないと思った。
戻りたくないとも思った。
その夜、私たちは数年越しで結ばれた。

長いあいだ届かなかった人の体温が、
ようやく、腕の中にあった。
夢の中で何度も触れようとして、そのたびに消えていた人が、消えずにそこにいた。
名前を呼べば、返事がある。
手を伸ばせば、触れられる。
胸に耳を当てれば、心臓の音が聞こえる。
そのすべてが、信じられないほど現実だった。
西住くんは、私の知らない匂いがした。
私の知らない時間を生きてきた体だった。
それでも腕の中にいると、ずっと前から知っていたような気もした。
これで、何かが始まる。
明日から、私たちは変わる。
会いたいと言うことに、理由はいらなくなる。
好きだと伝えることを、怖がらなくてよくなる。
昔の片思いではなく、
今の二人として、歩いていける。
私は、そう信じていた。
信じたい、ではなかった。
もう決まったことのように、信じ込んでいた。
結ばれたことで、
この関係にも、名前がつくのだと思っていた。
恋人になるのだと思った。
それまで曖昧だったすべてが、朝になれば、はっきりするのだと思った。
夜の中で交わした体温が、
二人の未来を決めてくれると思っていた。
けれど翌朝。
カーテンの隙間から、白い光が差し込んでいた。
隣に西住くんがいる。
その事実だけで、目が覚めた瞬間、胸がいっぱいになった。
眠ったふりをしながら、
どんな言葉をかけられるのか待っていた。
好きだと言われるのかもしれない。
これからも一緒にいようと言われるのかもしれない。
昨夜の続きを、朝の言葉で確かめてもらえるのだと思っていた。
西住くんが起き上がる気配がした。

煙草へ手を伸ばし、
火をつける音がした。
しばらくして、
低い声が、静かな部屋に落ちた。
西住くんの口から出たのは、
愛の言葉では、なかった。


