【自己紹介】
私UTAKOは静岡出身。
2人姉妹の長女として生まれました。
◆UTAKOの原点
5歳になるまでの私は、
よく笑って、よく泣いて、よく怒って、
全身で“私”を生きている子でした。
でも、ある出来事がキッカケに歯車が狂いました。
5歳くらいの私の目の前で
3歳に満たない妹が転び、
火がついたように泣き叫びました。
「お前がやったんだろ!」
「違う!私じゃない!」
家族誰にも信じてもらえず、
私は「冤罪」のまま、
「妹をいじめて泣かせる姉」のイメージのまま
子供時代を生きていくことになるのです。
私の最大のラスボス「無価値観」は
ここがベースになっています。
そこからは妹は褒めてもらえるのに、
私は何をしても褒めてもらえない。
本当は悲しかった。
本当は泣きたかった。
でもあの時、泣きながら
「私じゃない!」と言っている私を
まるで嘲笑うかのような家族の目線によって、
幼い私の心は闇に葬られ、閉ざされました。
でも本当は、いつも心の奥で必死にこう叫んでいた。
「お母さん!お父さん!見て!本当の私を認めて!」
小学校の合唱祭の伴奏者に立候補したのも、
その小さな願いが私を動かしていました。
ある日、母が私の歌を褒めてくれた瞬間、
「やっと褒めてもらえた!」
胸の奥が一気に熱くなって、
「私はもっと歌いたい!」
そんな強い光が生まれました。
◆ 10代、反抗しながらも愛がほしかった
思春期に入ると、
その光はいつも揺れながら燃えていました。
両親に反抗しながらも、本当はただ、
認めてほしかった。
「どうせ私の気持ちなんてわからないんでしょ!」
そう叫んだ日も、
泣きながら部屋にこもった日も、
本当はずっと苦しかった。
私は怒っていたんじゃなくて、
愛されたい私が寂しがっていたんだと、
今ならわかる。
でも歌うことだけが、
本当の私を全てさらけ出せる
唯一の居場所でした。
◆ 20代、音楽にすべてを捧げた「バンドの時代」
17歳で初ライブを経験した。
スポットライトを浴びながら
当時アムラーと言われる
白いレザーのワンピースと
白いロングブーツを履いて
「TRY ME〜私を信じて〜」を
歌い切った瞬間の心が震えるような、
あの瞬間が忘れられなかった。
そして20代。
私は歌で生きていくため、
人脈とお金と時間が必要だった。
田舎生まれの私は
そう思い込んでいた。
当時付き合っていた彼氏と別れて
東京に上京。
「全てを手に入れるためにはここしかない!」
と思い、
銀座でホステスとして働き始めました。
そこで出会ったのが
私の人生を変えることになる5人の仲間、
ガールズバンドのメンバーでした。
私が恋愛でボロボロになったときも
いつもみんなが側にいてくれた。
失恋したときに出来た曲も
LIVEで歌うことができた。
次第にみんなと練習を共にすることで
「この人たちと音楽で生きていきたい」
と思うようになった。
だけど、全員が同じ温度ではなかった。
私はもっとLIVEがしたい!
みんなと熱量が違うように感じました。
その頃の私は言動があまりに幼く
周りはそんな私に
やや冷めた目線だったのも
今の私なら理解できる。
でも当時の私にとっては
それが生きがいだった。
でも、それでも私たちは
何度も何度も
LIVEをしました。
地下のライブハウスで、
むんとした空気と
歓声と光で満たされる瞬間。
メンバーと息があうと鳥肌が立つ瞬間。
お客さんと目が合って震える瞬間。
5人で分かち合ったあの喜びは、
今でも私の宝物です。
◆ 29歳、2度目の声帯ポリープ手術
そんな必死の日々の中で、
私は喉を壊し、声をなくし、
歌えなくなる瞬間を
2度も経験しました。
29歳、二度目の声帯ポリープ手術の日。
手術台に横たわったとき、
涙が止まりませんでした。
「私から歌を取ったら何が残るんだろう?」
その恐怖は、喉の痛みよりもずっと辛かった。
◆ 30代、整体の世界で見つけた「心と身体のつながり」
歌えなくなるたび、
私はまたスタート地点に戻されたように
感じました。
でもそのスタート地点で出会ったのが、
身体を整えるメンテナンスのお仕事。
自分の身体と真剣に向き合いました。
整体師として身体に触れていると、
気づいたんです。
身体はいつも、“言えなかった私の感情”を代わりに叫んでいた。
・泣きたくても泣けないとき
・頑張りすぎて自分を置き去りにしたとき
・誰かに愛されたくて苦しくなったとき
身体の緊張や痛みは、全部そのサインだった。
◆ コロナ禍、またスタート地点に戻って見えた「声の意味」
コロナ禍に入り
接客業は壊滅的になった。
未来が見えなくなったとき、
銀座ホステス時代に色んな人から
「占い師になったら?」
と言われたことを思い出しました。
趣味でやっていたタロットも
意味があるかもしれない。
「そうだ!受けてみよう!」
電話占いのオーディションを受け、
"合格"の電話が来た瞬間、
人生の新しい扉が、
また開いたのを感じました。
占い師として活動してるうちにわかったんです。
「先生の声聴くと安心するんです。」
たくさんのクライアントさんが
そう言ってくださいました。
「あ、私の人生は“声で人を癒す”ためにあったんだ。」
「私の声は人を救えるんだ。」
そう思えたとき、胸の奥でふたたび光が灯りました。
◆ そして今、私は“魂の音”を整える人になった
恋愛の痛みも、
人間関係の不安も、
自己価値の揺れも、
全部経験してきた私だからこそ
伝えられることがある。
愛されていない訳じゃない。
ただ、自分とちゃんと向き合えていないだけ。
私はその巡りを整える“魂の再調律師”として生きています。
◆ 最後に ― UTAKOからあなたへ
もしあなたが今、
涙が出るほどつらかったとしても、
誰かに置いていかれたように感じても、
愛されたいのに怖くて近づけなくても、
どうか覚えていてください。
あなたは何も間違っていない。
あなたは何も壊れていない。
あなたは、愛の途中にいるだけ。
ここからもう一度、あなたの人生の音を取り戻していきましょう🌈
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます✨
