【ハウルとUTAKO #7/「またね」が、言えなかった】
深夜、1時。
ハウルは、今夜、いない。
隣の県で、明日、朝いちばんの仕事。
「一泊してくる」と、昼に、静かに言って出ていった。
いつもの部屋に、
UTAKOは、ひとりだった。
——昨夜、私は。
はじめて、自分の呼吸の音を、聞いたはずだった。
返事を待つ夜の、あの落ち着かなさから、
ほんの少しだけ、離れられた気がした。
そのはずだったのに。
ハウルのいない部屋は、
こんなにも、静かで。
その静けさは、
数分もしないうちに、
不安の色に、変わっていった。
——
テレビをつけても、
音楽を流しても、
静けさは、消えなかった。
むしろ、
何かで埋めようとするほど、
その奥の"ひとり"が、
くっきりと、浮かび上がってくる。
気づけば、
スマホを、手に取っていた。

さっき送った、
「気をつけてね」の一言に、
まだ、既読はついていない。
運転中かもしれない。
お風呂かもしれない。
疲れて、もう寝たのかもしれない。
そんなこと、
頭では、ちゃんと、分かっている。
分かっているのに、
心は、勝手に、
いちばん悪い可能性を、選んで、拾う。
——もしかして、怒ってる?
——私、何か、変なこと言った?
——このまま、連絡、来なかったら。
ありもしない物語を、
自分で書いて、
自分で、こわがっている。
指は、勝手に、
画面を、点けたり、消したり。
一分おきに、確かめてしまう。
明るくなった画面には、
通知のない、
自分の顔だけが、
うっすら、映っていた。
昨日、呼吸を聞けたはずの私は、
今日、どこにも、いなかった。
一晩、彼がいないだけで。
こんなにも、私は、
すぐに、崩れてしまう。

ポテコが、
ソファの背もたれから、
UTAKOの手元を、じっと見ている。
「また、それやってるにゃ」
「……やってない」
「スマホ、もう十回は点けたにゃ。
ポテコ、数えてたにゃ」
UTAKOは、何も言えなくて、
スマホを、そっと、伏せた。
伏せても。
その下で、光っていないか、
気になって、しかたがない。
——
自分から、かけてみようか。
そう思って、
発信の一歩手前まで、いって。
——でも、
「忙しいのに、めんどくさい女」だと、
思われたく、なかった。
指を、止める。
かけたいのに、かけられない。
待ちたくないのに、待ってしまう。
そのあいだも、
心臓だけが、
ずっと、せかせかと、鳴っている。
電話が、鳴った。
ハウルだった。

その瞬間、
胸の奥が、ふっと、ゆるむ。
さっきまでの不安が、
嘘みたいに、溶けていく。
体じゅうに、
あたたかいお湯が、
一気に、流れ込んだみたいだった。
「ごめん、風呂入ってた」
低くて、静かな、いつもの声。
「気をつけて、ありがとな」
たった、それだけで。
さっきまで、
あんなに、こわかったのに。
私は、また、
いとも簡単に、
だいじょうぶになってしまう。
——この"簡単さ"こそが。
たぶん、危ういのだと、
どこかで、うすうす、
気づいてはいた。
——
とりとめのない話を、少し。
明日の予定。
夕飯、何食べた。
ポテコが、また変な寝方してる話。
やがて、会話が、
ゆっくりと、途切れはじめる。
そろそろ、切る時間。
でも。
UTAKOは、
どうしても、言えなかった。
「じゃあ、またね」の、その一言が。

自分から、切りたくない。
自分から「またね」と言ってしまったら、
この時間が、
自分の手で、終わってしまう気がする。
——もし、これが、
最後の電話だったら。
そんな、ばかげた考えが、
いつも、頭を、よぎる。
だから、私は。
会話が途切れても、
「うん」「そうだね」を、
意味もなく、繋げて。
一秒でも、長く、
この線が、切れないように。
沈黙さえ、
差し出して、しがみつく。
だから、いつも、待つ。
ハウルが、
「じゃあ、もう寝ろよ」と、
先に、言ってくれるのを。
切られる側で、いたい。
そうすれば、
「終わらせたのは、私じゃない」と、
思っていられるから。
終わらせるのは、いつも、向こう。
「……UTAKO?」
「あ、うん。おやすみ」
結局、今日も。
先に「またな」と言ったのは、
ハウルのほうだった。
——
通話が切れて、
部屋が、また、静かになる。
その静けさを、
ポテコが、破った。
「UTAKO。気づいてるにゃ?」
「……何が」
「UTAKO、いっつも、
自分から"またね"を言わないにゃ。
電話も、デートの別れ際も。
ぜんぶ、相手に終わらせてもらってるにゃ」
言われて、はじめて、
気づいた。
そういえば、私は。
自分から、
さよならを、言ったことが。
——一度も、なかった。
——
「"また"が、こわいんだにゃ」
ポテコは、
めずらしく、そっと言った。
「自分で終わらせたら、
"次"が、なくなる気がするにゃ。
だから、終われない。
"また"に、ぶら下がってるにゃ」
ぶら下がってる。
その言葉が、
静かに、刺さった。
私は、
"また会える"の"また"に、
指を、食い込ませて、
ずっと、ぶら下がっていた。
落ちるのが、こわくて。
「でもにゃ」
ポテコは、続けた。
「自分から"またね"って言える人は、
ちゃんと、"また"を信じてる人にゃ。
終わらせても、なくならないって、
知ってる人にゃ」
「……私は、信じてない、ってこと?」
「UTAKOが信じてないのは、
ハウルじゃ、ないにゃ」
ポテコは、
まっすぐ、こっちを見た。
「自分にゃ。
"また会える自分"を、
UTAKOが、いちばん、信じてないんだにゃ」
言い返せなかった。
図星、というより。
言われて、はじめて、
自分の形が、見えた気がした。
——
私は、分かってたはずだった。
これは、恋愛依存だ、と。
名前を、つけられたはずだった。
名前がつけば、
少しは、楽になれると。
そう、思っていた。
でも。
「わかったこと」と、
「できること」は。
こんなにも、
遠く、離れている。
わかっても、
指はスマホに伸びるし、
優しくされても、
心は、すぐに、また、渇く。
理解は、
私を、
自由には、してくれなかった。
むしろ。
分かっているのに、やめられない自分が、
前より、
くっきりと、見えてしまう。
——こんなにダメなんだ、私。
そう思うと、
その情けなさを埋めたくて、
また、
誰かの優しさが、ほしくなる。
依存は。
抜け出そうとする、その手さえ、
のみこんで、
燃料に、変えてしまう。
底なしの、沼みたいだった。
——
その夜、UTAKOは、
なかなか、眠れなかった。
ハウルのいない、広いベッドで、
毛布を、少し、きつく握った。
この毛布みたいに。
私は、あたたかいものに、
くるまっていないと、
立っていられない。
でも、くるまったままでは、
どこにも、歩いていけない。
——ポテコが、いつか言っていた。
「毛布かぶったままじゃ、
歩けないにゃ」
その意味が、
今夜は、少しだけ、
体に、しみた。
——
眠れないまま、
天井を見つめながら、
ひとつだけ、
昨日と違うことが、あった。
昨日までは、
ただ、苦しいだけだった。
苦しさに、
名前も、形も、なかった。
今夜は。
自分が、
"また"に、ぶら下がっている姿を、
はじめて、
まっすぐ、見ていた。
こわくて、
握って、
離せないでいる、その手を。
見ないふりを、しなかった。
——
治ってなんか、いない。
一歩も、進んでいない。
それでも。
見えなかったものが、
見えたことは。
たぶん、
落ちることじゃなくて、
いつか、
自分の足で、立つための、
はじまりの、夜だった。
窓の外は、
まだ、暗い。
朝は、
ずっと、先に思えた。
でも。

——次にハウルと電話するとき。
一度だけ、
自分から「おやすみ」を、
言ってみよう。
そう思えたことを、
私は、
小さな灯りみたいに、
そっと、胸に、しまった。
明日、できるかは、
分からない。
それでも、今夜。
"また"に、ぶら下がる指を、
はじめて、
自分の意思で、見つめた。
それだけは、
確かに、
昨日までの私には、
なかったものだった。

和訳
おやすみの、そのあとに
【Verse 1】
午前一時 壁に揺れる青い光
足音もなく 廊下は静かなまま
暗闇の中 また画面を灯して
始まってもいない物語を描いてる
【Pre-Chorus】
今夜の沈黙に 意味なんてないのかも
この距離だって たった一晩だけなのかも
それでも影は 名前を呼び続けて
過ぎていく時間が 不安を燃やしていく
【Chorus】
おやすみが言えない この線を切れない
終わったら 明日はもう来ない気がして
沈黙を抱いて その言葉を待っている
この心ができない終わりを 誰かに委ねてる
さよならは 灯りを消さないのかもしれない
どんな夜にも 朝は残っているのかもしれない
震えるひと言を 小さな一歩に変えて
おやすみの、そのあとを 信じようとしてる
【Verse 2】
受話器の向こう 炎のようにあたたかい声
名前を呼ばれただけで 不安はほどけていく
たったひと言で 部屋じゅうが息を取り戻す
そんな救いを 手放すのは難しい
【Pre-Chorus】
仕組みに気づいても 鎖はほどけない
渇きに名前をつけても 雨は止まない
それでも今夜 ようやく見えてきた
終わりに触れたまま 離せずにいるこの手が
【Chorus】
おやすみが言えない この線を切れない
終わったら 明日はもう来ない気がして
沈黙を抱いて その言葉を待っている
この心ができない終わりを 誰かに委ねてる
さよならは 灯りを消さないのかもしれない
どんな夜にも 朝は残っているのかもしれない
震えるひと言を 小さな一歩に変えて
おやすみの、そのあとを 信じようとしてる
【Bridge】
世界が止まるほど ぬくもりにくるまって
ひとときは安心しても そこから動けない
遠い夜明けは まだ見えないほど淡いけれど
怖れのあった場所に 小さな火が灯ってる
【Final Chorus】
今夜は先に おやすみを言って
明日もまた ここへ戻ってこられると信じる
ひとつの時間を終えても 空は空のまま
静けさが来ても 愛まで消えたりしない
さよならは 優しくていいのかもしれない
「またね」は 夜を越えて生きていくのかもしれない
震えるひと言を 光への一歩に変えて
おやすみの、そのあとを 信じようとしてる
【Outro】
おやすみの、そのあとに
おやすみの、そのあとに
朝はちゃんと来る
おやすみの、そのあとに
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