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ねこま先生の辻説法シリーズ         「帝釈天とひな鳥の命」      「ツルベをこわした野ギツネ」





(ナレーション)



心の荒廃の進むnote村。
村の寄合所広場において
霊験あらたかな榛名山で修行した修験者、
ねこま先生の辻説法が行われました ――






修験者 ねこま先生





(以下、ねこま先生の語り。)






さあ、さあ、
御用とお急ぎでない方は、
よってらっしゃい、みてらっしゃい。



上州は榛名山で、修行を積んだ拙僧(せっそう)が、
争いや憎しみの絶えぬ、note村のみなさんに、
御仏のありがたい説話を聞かせてしんぜよう。



拙僧の説話を聞いて、
仏の教えを学び、
明るくて笑顔の絶えない、
note村になって欲しい。



―― そんな願いから、
この辻説法を始めた次第だ。
なになに、拙僧もまだまだ修行中の身。
語りながら、村の衆たちとともに、
一緒に学んでいこうと思うので、

ひとつ、よろしくお願い申す。



あとは聞き終わったら、
適当に帰ってちょーだーよ。
シリーズ本格始動なので、
挨拶はこれくらいにな。ムフフ。



では、だいぶ前置きが長くなりましたが、
ありがたい、御仏の説話を始めたいと思うので、
各自、リラックスして聞くのじゃぞ。




なお、若者やお子様もおられるので、
説話語り中は、今と違う語りになるが、
つまらぬツッコミなど、入れぬようお願いいたす。




―― では、第4回目
『ねこま先生の辻説法』を
始めるぞよ。カッカッカッ。






「ねこま先生の辻説法」スタートじゃ!









『帝釈天とひな鳥の命』


               (雑阿含経四十六)




”ダッダッダッダッ・・・”





馬蹄の跡を刻みながら、大地を揺らしている一群がある。
林の中を、馬も、それを馬上で操る者も息を切らせている。



―― ただし、馬上で操る者は人でない。
「帝釈天(たいしゃくてん)」というである。




元は、インドラという雷神であったが、
仏教に帰依(きえ)してからは、帝釈天となり、
仏教の守護者、天界の武を司(つかさど)る神となった。



帝釈天が率いるのは、天部(てんぶ)と呼ばれる天界の兵士たち。
馬上で従う者、徒歩で従う者と様々だ。




帝釈天率いる天界の軍は、
荒ぶる阿修羅率いる阿修羅軍と、
無数の戦いを繰り広げている。



今日も戦いがあり、帝釈天軍は総崩れで大敗を喫(きっ)した。




須弥山(しゅみせん)の下の林の中、

天宮目指して、満身創痍(まんしんそうい)の中、
馬と天部の兵士たちの足音を響かせて、
逃げている真っ最中だ ――




帝釈天

「負けた~~~!!


 阿修羅のやつ、なかなかやりおるわ。
 今回はわしの完敗だ!

 
 皆の者、しっかりとついてまいれよ!
 この林を抜ければ、天宮までは近いぞ!」



すぐ近くで、白髪交じりの
傷だらけの鎧に身をまとった家臣が、
馬上から威勢よく言葉をかけた。



家臣

「帝釈天様!
 な~に、勝負は時の運!

 
 とにかく、この林さえ抜ければ
 帰れますから、そう悔しがりますな。」

 



老家臣の励ましの言葉に、
前を向いたまま帝釈天が微笑んだ




―― まさにその時!




帝釈天


「全軍止まれ~~~!!」




”ヒヒヒヒ~~~ン!”





急に、帝釈天が停止の号令をかけた。
と同時に、帝釈天の馬をはじめ、
馬たちのいななきが響き渡る。




家臣

「帝釈天様!
 一体、どうなされたのですか!
 早く、林を抜けねば阿修羅軍が・・・」




帝釈天は、優しい顔で、
片方だけ上げたままの馬の脚先を指さした。



老家臣の視線は、
自然と、そこにそそがれた。



家臣

「おおっ!金翅鳥(こんじちょう)のひな!」




ぴよぴよ、ぴよぴよと、
宙に浮かしたままの馬蹄の下で、
たくさんの小さな命が、楽しそうに輝いている。




―― 金翅鳥と聞いて、すぐに姿が浮かぶ日本人は少ないであろう。
だが、インド神話・ヒンドゥー教ではガルーダ、またはガルダ。
仏教では、迦楼羅(かるら)あるいは、金翅鳥
と呼ばれている。
これなら、聞き覚えのある読者も多いかと思う。




巨大な神の鳥で、インド神話・ヒンドゥー教においては、
ヴィシュヌ神の乗り物で、龍(ナーガ)を喰う天敵といわれている。
仏教においては、仏法を守護し、
1日に、1頭の龍王と500頭の小龍を喰うといわれている。
不動明王の背後の炎は、迦楼羅焰(かるらえん)と呼ばれ、
迦楼羅の象徴とされている。




どちらにも共通しているのは ――



・翼を広げると空を覆うほど巨大

・金色の羽を持つ

・龍(ナーガ)を捕まえて食べる


・火炎をまとったような姿



―― だが、これらは成鳥としての特徴である。
宙に浮いた馬蹄を降ろせば、
この世から、一瞬にして消えてなくなる・・・
目の前にいるのは、そんな、か弱いひなたちの命だ。




その金翅鳥のひなたちを前にして、
馬上、風になびく鎌倉武士の如き、
見事な武勇髭(ぶゆうひげ)をなでながら、
帝釈天は、思案していた。



帝釈天


(このまま突き進めば、
 かわいいひなたちを踏み潰さねばならぬ。


 かといって、引き返せば、
 追撃してくる阿修羅軍の中に、
 突っ込むことになる。


 
 阿修羅軍は、今のわが軍の、
 およそ3倍の兵の数はあろう。
 間違いなく、わが軍は持つまい。


 
 さてと ―― )
 

 


黙ったままの帝釈天に、
しびれを切らした老家臣が、
早口になって進言する。



家臣

「帝釈天様!
 迷っている時間はありませぬぞ。

 
 かわいそうですが、仕方ありません。
 ここは、ひなたちを押し潰して・・・」




―― そう言いかけた老家臣の言葉をさえぎるように、
武勇髭をなでていた手を上げて、口を開いた。



帝釈天


「―― それができるのが、阿修羅。
 それができないのが、わしじゃよ。

 
 
 
 みなの者、よく聞いて欲しい。
 わしは、目の前のひなたちを踏み潰してまで、
 助かろうとは思わん!

 
 
 
 そのために、阿修羅軍に殺されても
 かまわんと、そう思っておる。

 

 お前たちにはすまないが・・・



 
 ―― わしと一緒に死んでくれるか?」


 


一瞬の静寂に包まれたあと・・・




天部たち


「おおおおおおお~~~~!!」


 


天部たちの大歓声のあと、
両脇に別れて整列し、
帝釈天が引き返す道が開けた。







 ―― 目指すは、阿修羅軍。
 お前たち、わしについてこい!」

 




―― こうして、帝釈天軍は、
全員が、清々(すがすが)しい顔のまま、
死地へと引き返した。






”阿修羅様、大変でーす!

 退却する帝釈天軍が、こちらに向かってきます!”




圧倒的に数の少ない帝釈天軍が、
こちらに向かえばどうなるのか?
誰にでもわかることなのに、
なぜ、帝釈天は踵(きびす)を返してきたのか?



戦場においては、神でも人でも、
相手の先の先を読まねばならぬ。
阿修羅も当然、帝釈天の先を読んだ。



阿修羅


「帝釈天には、
 何か秘策があるぞ!


 ―― 全軍退却~~~!!」


 


阿修羅軍の兵士たちが、
急な退却命令に戸惑って
ざわめいている時であった・・・



突如、辺りが夜かと思うくらい
暗闇に包まれたかと思うと、




”バサッバサッバサッ”





巨大な羽音が聞こえたのと同時に、




”ブォォォォォォォ~~~!!”





阿修羅軍の兵士たち


「ぎゃあああああ~~~!!」





阿修羅軍全体が巨大な炎と、
兵士たちの断末魔の叫びで包まれた。



阿修羅は、退却する馬上で振り返り、
燃え盛る兵士たちを見ながら・・・



阿修羅

「―― 金翅鳥だと!!
 龍族に縁が深いわれらにとっても天敵。

 
 
 帝釈天の秘策とはこれであったか!
 恐るべし、帝釈天!
 いかようにして、金翅鳥を従わせたのか。

 

 ―― 次こそは、絶対に負けんからな!」

 



こうして、わずかに残った手勢とともに、
阿修羅は、逃げ去って行った。




―― しばらくすると、林を抜けて戻ってきた
帝釈天軍は、目の前の光景に唖然(あぜん)とした。



すでに、金翅鳥の姿はそこにはなく、
黒焦げとなった阿修羅軍の兵士たちが、
そこには無数にあったからだ。



事情はわからないが、
帝釈天軍は、大勝利の歓喜の声に包まれた。



帝釈天の、ひなの命を奪いたくない!
小さき命を助けたい!
―― そう想った心が
金翅鳥の親を動かし、
結果として、大勝利の原因を作ったのだ。




小さき善は、ときに運命を動かす。

それは、人の世においても例外ではない。




阿修羅については、
帝釈天との終わりなき闘争の末 ――
戦い続けることに、悩み苦しむことになる。



そんな時、釈迦の説法を聞く機会に恵まれ、
争いは苦しみしか生まないこと、
真の正義や安らぎは闘争の先にはないことを悟り、
遂には、仏法の守護者となる
のだが・・・




その話は、またいつの日にか ――








お・わ・り





特典画像:金翅鳥ギャラリー





(Gemini先生)





(Copilot画伯ー1)





(Copilot画伯ー2)









『ツルベをこわした野ギツネ』

         
                (摩詞僧祇律第七)

            



その昔、ハラナ国に
とある井戸がありました。



この井戸は、城外に住む
ある年老いた司祭が、



「一生のうちに人々のために、
 なにか役に立てることがしたい ―― 」



そんな考えから、
水のない、この地域の人々のために、
荒野の中に、この井戸を掘りました。



水のない地域だったので、
牛を飼う人、草を刈る人、
旅人たちにも、大変喜ばれました。



水を飲む、体を洗うなど、
井戸は、人々の日常にかかせない存在になり、
これを作った年老いた司祭は、
みなに大変感謝されました。




―― こうして井戸が、この地域の人々にとって、
日常の風景となった、ちょうどその頃です。
それは、ある日の夕暮れのことでした。




”ガシャーーーン!”




井戸には、「ツルベ」と呼ばれる、
長い縄がついた桶(おけ)があります。
このツルベを井戸の中に落として、
これで水を汲む(くむ)のですが・・・




この大事なツルベが、
たった今、壊されてしまいました。




ちょうど今、井戸のほとりに、
野ギツネの一群がやってきて、
まわりにこぼれた水を飲んで、
喉の渇きを潤(うるお)していたところです。



野ギツネたちは、そうやって、
お行儀よく静かに飲んでいたのですが・・・




野ギツネの頭(かしら)だけは違いました。




地面の水たまりなどには、口をつけません。
そのまま、一直線にツルベのある所まで行くと、
ツルベの中に顔を突っ込んで飲み終えると、
そのままツルベを投げつけて、
先ほどのように、壊してしまったのです。




これには、野ギツネの仲間たちは驚きました。
近くにいた仲間の一匹が、頭をいさめます。



仲間

「頭。なんてことするんですか。
 このあたりは水がない所なんですよ。
 

 
 
 人間だけじゃなくて、我々だって困っていて、
 この井戸のおかげで、
 こうして喉を潤すことができるようになったのに ――

 
 
 
 それなのに、頭はどうして、
 ツルベを壊してしまったのですか。」




すると頭の野ギツネは・・・




「ウヒャヒャヒャ!!

 
 そんなことは知らねーよ!
 誰が困ろうが知ったこっちゃないね。

 
 
 オレ様は、みんなが困ることが、
 面白くて、面白くてたまらんのだよ。

 
 
 勝手に困ればいいのさ。ケッ!」

 

 


こういい捨てると、
後ろ足で壊れたツルベの破片を、
笑いながら蹴っ飛ばして行ってしまいました。



野ギツネの仲間たちは、
互いに顔を見合わせて、
あきれた顔で小さくなる頭の後ろ姿を見ています。




「ツルベが壊されてる。」



井戸を通った人から、
司祭のもとへ知らせが届き、
すぐに新しいツルベを作ると、井戸に置きました。



しかし、すぐに野ギツネの頭によって壊されます。
また知らせが届き、また新しいツルベを置きます。



3か月の間に、なんと14回も繰り返されたので、
さすがに司祭も、「おかしい」と思い、
新しいツルベを井戸に置いたあとで、
しばらく隠れて様子を見ていました。




”どんな人が故意にツルベを壊すのか?”



そう思って朝から見ていましたが、
夕暮れになるまで、誰も壊しませんでした。



「今日はこないか。」と思って見ていますと、
野ギツネの一群がやって、井戸の周りの水を飲んでいます。
「なんだキツネか」と思って休んでいると・・・




”ガシャーーーン!”



ウヒャヒャヒャ




突如、ツルベが壊れる音とともに、
野ギツネのせせら笑う声が聞こえたので、
慌てて飛び起きると、井戸の方を見ます。



「犯人は、あの下品な野ギツネか。
 他の野ギツネは、行儀よく水を飲んでいるのに ――」



司祭は、こうつぶやくと、
すぐに家に帰り、ツルベを作ります。



―― ただし、今までよりもはるかに丈夫で、
しかも、”顔を入れたら二度と抜けない”
特別な仕掛けのツルベです。



次の日の夕暮れ、
井戸に、このツルベを置きます。
そして、一緒に持ってきた
重くて頑丈な杖(つえ)を握りしめて、

野ギツネの一群を隠れて待ちます。

 


―― しばらくすると、野ギツネの一群が、
昨日と同じようにやってきました。



頭は、いつもと同じようにツルベに
顔を突っ込んで水を飲んでいます。
ツルベが変わったことには、気づいていません。



いつもですと、飲み終えたあと、
ツルベが顔にはまった状態で持ち上げたあと、
自分の顔ごと、地面に叩きつけて壊す ――




かたちとしては、自分の顔を地面に叩きつける感じです。
さあ、今日は、顔が抜けないようになっていますので、
痛くなるのは、自分の顔や頭になるのですが・・・




”ガンッ!”



”痛えええ~~~!!”




「なんだ!顔が抜けねえ!!
 どうしてだ!オイッ!みんな助けてくれ!」



”ガンッ!ガンッ!ガンッ!”




いつもなら、ツルベが壊れるだけなのですが、
今日はどうしたことか、壊れません。
混乱した頭(かしら)は、なんどもツルベを叩きつけますが、
痛くなるのは、自分の顔や頭(あたま)だけです。



仲間たちは、「あれほどいったのに ――」
と心の中で思いながら、遠巻きに見ているだけです。



司祭


「下品な野ギツネめ! 

 今日は、壊すことはできないぞ。」




声とともに司祭が出てきたので、
野ギツネの一群は、
頭を残して逃げ去って行きました。




”ガンッ!ガンッ!ガンッ!”




司祭は、ツルベから顔を抜こうともがく
頭の近くに行くと、こういいました。



司祭


「お前は、これまでに14回も、
 みんなのために作ったツルベを壊したな。

 
 ―― 14回、私はお前を叩くぞ。よいな。」

 



司祭は、片手で拝んだまま、
重たい杖を振り上げて、
もがく頭を、14回叩きました。




”ゴンゴンゴンッ!”




”ゴンゴンゴンッ!”



頭は急に重たい杖で叩かれて、
いつものせせら笑いはなく、
泣き叫ぶような声を出していました。



司祭は、眉一つ動かさず、
片手で拝んだまま、
泣き叫ぶ頭に、重たい杖を叩きつけます。
あたりには、鈍い音だけが響きます。



ゴンゴンゴンッ!”



ゴンゴンゴンッ!”




何回目くらいからでしょうか。
頭の泣き叫ぶ声は聞こえなくなりました。
それでも、司祭は叩き続けています。




”ゴンゴンッ!”




―― 14回。
頭は、自分が壊したツルベの数だけ、
重たい杖で、司祭に叩かれ続けました。



司祭は、一度だけ、
動かなくなった頭に手を合わせると、
そのまま、立ち去って行きました。



やがて、空中から、
こんな歌が聞こえて来ました・・・



< 我(が)を張って、

    友のいさめも聞き入れず、

       ツルベをかぶって命とられる

          あほうな野ギツネ >    

   




―― みなさん自身や周囲の方で、
このお話のような、野ギツネの頭(かしら)みたいな人はいませんか?



人でも会社でも国でも、ただ自分の快楽や興味を満足させるために
他人の迷惑を考えずに行動することは、
このお話に登場した野ギツネの頭のように、
結果として自分の身を滅ぼすことになってしまいますよ。



お友達や家族、学校や会社の仲間、
アナタをいさめてくれることがありましたら、
ちょっとだけ考えてみるのもいいかもしれませんね。



このお話を読んだあと、アナタは、
どんなことを感じたかしら。
よかったら、聞かせてね。




今回は、これでおしまいです。
また一緒にお話の世界に行きましょうね。




さようなら。








お・し・ま・い









以上、これにて、ねこま先生の辻説法
第4回『帝釈天とひな鳥の命』『ツルベをこわした野ギツネ』
終幕と相成りましたところで、
拙僧の辻説法も終わりとなります。




さて、いかがじゃったかな。
この説話を聞いてみて、
それぞれ、感じて学ぶことがあったのでは
なかろうかと思うが ――



感じるところは、人により違うと思うのじゃが、
拙僧が1点だけ取り上げるとすれば、



「異なるリーダー像」



を、2つの説話から感じたと思うのじゃ。



帝釈天が、「守ることで導く」
理想のリーダーだとすると、



野ギツネの頭は、
「我を張って他者を無視し、共同体を壊すことで孤立する」
破滅型のリーダーといえるのではないだろうか。



両者ともに、力を持って上に立ち、
下の者を導く立場は同じではあるが、
”心の向き”で、こうまで違うものかと驚かされます。




―― このことから、



上に立つ者の“心の向き”が、皆の運命を決める!




そんなことがいえるではないであろうかと、拙僧は思うのじゃよ。




―― 1つめの話に関してはもうひとつあるのじゃが、



「たとえ小さくとも、善い(よい)ことをすれば、
 人生の中で、思わぬかたちで返ってくることがある。」




そんなことがいえるんじゃないかと思います。
アナタも、ちょっとしたことでもいいので、
なにか他人のために、善いことをされるのも
いいんじゃないかと、拙僧は思うのじゃ。



これはなにも善いことばかりではございませぬぞ。
例えば今日、このまま寝てしまわないで、
ちょっとだけやった勉強や仕事、本を広げて読んだことが、
後日、思わぬかたちでアナタを助けることがありますぞ。




―― といったところで、
今回はここまでにしますかな。👺



また、note村に立ち寄ることがあったら、
拙僧の辻説法を開きますので、
その時は聞きに来るがよかろう。




―― さらばじゃ!




















さらばじゃ!















※ このお話は、アインブックス、野村耀昌(編集)、
  『仏教説話百選 失われたロマンのエンタテイメント(1972)』 
  23ページから、26ページの
  『帝釈天と雛鳥の命』『ツルベをこわした野狐』より、
  引用と参考にさせていただきました。感謝。







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